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びっくりした

  ここ数年、意図的に起伏のない生活を送るようにしてきた。自分自身の不安になりがちな性格の中からできるだけ不安要素を取り除き、生活に安定をもたらすためだった。だからさっき久しぶりに不安になるような夢を見たことにとても驚いた。こんな夢を見たのは数年ぶりだ。


  私は自分という人間が異常な人間であるということを、この二十数年の人生で嫌というほど知らされてきた。だから大学に入学するという機会に人間社会から遠ざかり、山に庵をむすぶ世捨て人のようにして暮らしてきた。この生活の弊害は山ほどあったが、それでも生活に安定をもたらすという意味ではまあまあの効果を発揮した。


  しかしついに年貢の納め時が来た。私のモラトリアムは終了し、社会との接点を復活させなければいけない時が来たのだ。就職するということが如何なるものであるかは知らないが、わたしはとりあえず人間と話さなければいけない。


  大学時代、教授がカズオイシグロの「私を離さないで」という小説を課題図書にした読書感想文会のような授業を開いたことがあった。私はここでいくつもの芸術的な読書感想文を読み、自分のレベルの低さに打ちのめされることになるのだったが、まあそれは置いておこう。この「私を離さないで」という小説は社会という場所へ出荷される現在の私の気持ちを代弁したようなものであった。こんな些細な自分の悩みと比べれば、冷たい運命に弄ばれるキャシーたちには怒られてしまうかもしれない。しかし私は敢えて今、社会の歯車となるべくドナドナと運ばれる気持ちをこの小説になぞらえてみたいと思う。


  そのためここ数週間というものわたしはとりあえず言葉を発する練習をいくらかしてきた。人間と話すということは人の言葉を自分の中に取り込み、咀嚼し、それを自分なりの解釈にして相手に投げ返す、という営みである。いったん自分の中に相手の言葉を投げ入れてみる時、私の意思とは無関係な相手の意思を解釈するという営みが私の中で行われることになる。


  冒頭の不安な夢を見たのはおそらくこれが原因であるということは簡単に推測できる。わたしは数年ほど全く人の世界から遠ざかっていたのにも関わらず、自分の脳がちゃんと人間の言葉に反応し、鮮明な夢を見せたことにひどく驚いた。どうやらこの機能は人間の根源的なものであるらしく、しばらく遠ざかっていた程度ではなくならないものらしい。


  いったいどんな夢を見たのかと言えば、最近話題の「君はどう生きるか」、あの君生きバードに自分がなって高い高い屋根の上まで飛び上がるというような夢だった。こういう時ジブリと、夢という不可解な世界の親和性はすごぶる高いなと改めて思わされる。さすがは宮崎駿である。実際に映画を見たわけでもない私に君生きバードについて考えさせる機会を与えたのは、ジブリのイメージ戦略の勝利といわざるをえない。果たしてこの夢がどんな意味を表すのか。実際のところ夢占いを見る手間をかけるほどのことではないのだが、宮崎御大に聞けば何か教えてくれるかもしれない。


  久々にこんな鮮明な夢をみて、驚いたわたしはこの気持ちを整理するために今この日記を記している。気持ちを吐き出す、ということは絶大な効果を発揮する。夢によって不安定な気持ちになっていた私は今やどこかに消え去り、まさに泡沫のように不安な気持ちは消え去った。やはり人間は日記をつけるべきである。どんなことを思っても吐き出してしまえば案外どうとでもなるものなのだ。

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