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蛙化現象について考える

  片思いとか付き合う前の、相手にドキドキと夢を膨らませている時ってすごく楽しい。「相手は自分のことをどう思っているんだろうか」と恋煩いの乙女ぶってみたり、気のあるそぶりに一喜一憂してみたり。付き合うまでのこういうやり取りは非日常のファンタジーで、だからこそ私たちに胸の高鳴りをもたらしてくれるのだ。


  ただ、実際に付き合うとなるとこういう夢もいつかは醒めてしまう。お互いを尊重し合い、幸せな付き合いを続けるのは”日常”を過ごすことだ。だから付き合うまでは夢見ていた相手を、現実的な視点から見始めると「なんか違うな」となってしまったり冷めてしまったりするわけなのだろう。


  しかし、蛙化現象が怖いのはなにも男性側だけではない。わたしは自分が蛙化現象を起こすかもしれないということを、男性と同じかあるいはそれ以上に恐れているのだ。「付き合ってはみたものの、思っていたのと違ったらどうしよう」とか「一緒に過ごすうちに無理して相手に合わさなきゃいけなくなったらやだな」とか。だからこそ私は自分の性癖に正直になり、片思いが冷めても無理なく付き合える人と恋をしたいと思ってしまうのだ。


  けれど、いろんな女の人の話を聞くと「告白してくれた男の人と付き合う」とか「絶対に自分からは告白しない」という人は結構いる。こういう話を聞くと私は結局お子ちゃまで、自分の理想を振りかざしているだけなのだろうかと思ってしまう。たぶんこれはその人の性格によるところも大きいだろうけど、世の多くの女の人達は恋愛に関して私よりずっと現実的なのだ。


  「蛙化現象」という言葉がこれほどまでに人々に共感を持って受け止められているのは、多くの人がこの問題に直面するからだろう。相手の”現実の姿”を受け入れられるかどうかは、その後の付き合いを続けていく上ですごく大切なことだ。そんなことを言っている私は25にもなるのにいまだに交際経験ゼロで、今並べているのは全て机上の空論である。これらの言説は私が精一杯、恋の外側から推測してみた考えなのだ。でも冷静な立場から客観的に判断した意見というのもそれはそれで意味があると思うし、付き合ったことがない私の言うことも一つの意見として蛙化の議論に混ぜてくれてもいいと思う。

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