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世の中の人間は不思議だ

  私ならそんなの絶対ほっときゃいいのにと思うようなことでもお世話したがる人が現れる。知らん人、赤の他人、どうでもいい人にも親切にしてあげる人がいる。これはとても不思議だ。例えば私も子供の頃から、もじもじしていれば「どうしたの」と話しかけてくれる人が必ず現れる。しかもそこに下心があるようには見えないのだ。 


  私はおそらく彼らにメリットは与えない。まずそんなに性格が朗らかなわけではないから、私に話しかけてくれるような明るい人間とはきっと気が合わない。加えてどんくさくてマルチタスクができないから、ことあるごとに足を引っ張る。できないことがたくさんあるから、困ればまた助けて欲しいと要求するかもしれない。その他にもマイナス面はいくつも思いつくけど、プラスになるような点はまず思いつかない。それなのに人は親切かつフレンドリーに私に手助けを申し出るのだ。これは控えめに言って計算ができておらず、大袈裟に言えば気が狂っている。これがもし店舗運営としての判断であれば私という商品を採用したことで店は大赤字、あっという間に店じまいになるだろう。


  でも実際には相手側が、私にそれなりのメリットを見出している、と邪推する人もいるかもしれない。(例えば相手への感謝から私が日頃から尽くすようになるかもしれないとか、なんらかの手段で恩返しをするかもしれないとか。)しかしそれは手助けを申し出た時点ではわからないのだ。私は助けられたくせにその恩義をケロッと忘れるかもしれないし、そのまま日常をぬぼーっと過ごすだけで特に恩返しもしないかもしれない。だから手助けを申し出るという投資によって得られるメリットは、限りなく低く見積もられる。私という人間は投資先としても優秀とは言えないのである。


  私はこの話の結末をハートフルなところに持っていくつもりはない。世の中には私と同程度にはシビアな見方をし、人を助けないという選択肢を取る人だってたくさんいることを体感として知っているからだ。助けない、というだけでは悪として糾弾されるいわれはないし、触らぬ神に祟りなしという格言もある。手助けしたあとに意に沿わない様な継続的な支援を要求されたりすれば大変である。


  そうではなくて私はこの世の誰もが、助けを差し伸べる人の判断を一切不思議に思っていないらしい、というところが人間の謎だなあと思うのだ。誰もそれは合理的な判断ではないよとか言わないし、なんの感想もないような顔でただ普通に眺めているだけである。それは一体どういう感情なのだ…?ただそこには一抹のあったかさが残るだけで、何事もないようにしてそのまま世界は回っていくのである。


  よく漫画の主人公が「なんだかわからないけど体が動いてたんだ」とか言って人を助けるシーンがある。それを見たヒロインが「もうっ、計算ができないお人好しなんだから」とかいって話が解決するところまでがこの流れのテンプレートであるが、この様式美には見るべきところがあるだろう。人はみんな何となく未来はそれなりに何とかなる、と考えている。この物語の様式は多分そういう含蓄を含んだエピソードなのだ。だから人はこういう漫画に惹かれるし、主人公とはこうあるべきなのだろう。


  
  世の中の人間は不思議である。こうやって今日も世界のどこかで人々は素知らぬ顔で通り過ぎていくのだ。

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