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八崎は血となり灰となり

 歌舞伎町の路地は、雨と吐瀉物の臭いに満ちていた。八崎芽愛が歩くたび、ピンクのハーフツインが揺れる。
「はぁっ……はぁっ……」
 目の前を女が駆ける。楓牙の担当だった6人の被り客のひとりだ。
 八崎が女を蹴り飛ばす。ビールケースの山が崩れた。
「綾だね」
「アタシ、知らないよぉ……」
 フリル付きのシャツの袖から、綾が手を伸ばす。
 八崎が手斧を振った。【4】と彫られた刃が閃き、綾の両腕が飛んだ。
「迷路使いが」
「ぐひっ」
 倒れかかった綾の髪を掴み上げる。
「嫌ぁ……」
「楓牙殺ったよね」
 綾は首を横に振る。
「Lにいたよね?」
 また首を振る。
 八崎は綾の顔を地面に叩きつけた。
「テセウスって誰」
 泣き声が止まった。石のように固まり、
「……ぐひっ」
 綾は首を振った。
 手斧を振る瞬間、八崎は後ろに吹っ飛んだ。衝撃で視界が歪む。
「クズホストの養分が」
 そう言って綾は異形化した。
 めりめりと両耳から巨大な腕を生やし、頭を掴む。
「内耳の迷路か」
 八崎は自分の愚かさを呪った。
 内耳は骨と膜が複雑に絡み合う。迷路と見破るには簡単すぎた。
 綾が笑うと、八崎の頭蓋が軋んだ。
「カワイソ」
「……化け物が」
「楓牙の脚はアタシが潰した。逃げないようにね」
 八崎が綾を睨む。
「アンタは頭」
「ぶっ殺す」
 八崎の呪詛を、骨の砕ける音がかき消した。手斧が地面に落ちる。刃の文字が【3】に変わった。
「……もしもし。殺った」
 綾の通話に返答はない。
「ハッ、臆病者が──」
 手斧が綾を黙らせた。八崎は綾の頭から刃先を剥がし、スマホをもぎ取る。
 受話口で破裂音がした。
 八崎はLに走った。通話が切れる寸前、背後でシャンパンが開いたのだ。
 5日前、真昼の玄関口で八崎は少年を抱きとめていた。
 小さな身体は冷えきり、血塗れだった。右手に手斧を握り、左手は白くなるほど握り込んでいた。
「兄を、どうか」
 左手が解ける。
 刺青で黒くなった指が転がった。
 八崎は楓牙の裸身を思い出す。彼の全身には迷路の刺青があった。
【続く】

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