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不妊治療でお地蔵さん似のわが子に会えた話②


以下の投稿の続きです。人工授精のお話。

不妊治療再開

流産後、おじいちゃん先生のもとに戻った。
「残念だったね、だけど交通事故にあったようなものだから
不思議とこの言葉で、流産の悲しさからかなり立ち直れた。今も何かあると、お守りみたいに心のなかで唱えている。

その後、おじいちゃん先生のもとで何度かタイミングをとるも陰性。病院が閉院するとのことで、新しい病院に転院することに。お世話になりました。

転院

新しい病院は若くてきれいな女の先生が担当に。おじいちゃん先生のところから来たと伝えると、

「とても腕のいい先生ですよ、いい方だし」
 うんうん

少し治療はゆっくりめだけどね
 あ、ですよね?そんな気がしてたわ。

検査結果は変わらず問題なし。原因不明の不妊とのこと。

人工授精へのステップアップを勧められた。この時点で治療を開始して1年半経過していた。

人工授精開始

早々に人工授精にステップアップした。
名前からしていよいよ不妊治療っぽいなと思ったが、思いのほか内容はシンプル。服薬をしながら排卵のタイミングを図る。

この頃から通院の頻度が増えた。「明日来れますか?」と、通院のタイミングが読めず、急な休み調整に毎回心が折れそうだった。

加えて長い診察の待ち時間。だめだった時の自分たちを励ますために、夫とどこに旅行に行こうか、なんてLINEを送り合っていた。
結局治療でスケジュールが読めないために、旅行は実現しなかったけれど。

卑屈な自分がこんにちは

先生や看護師さんの「若いから大丈夫、うまくいくよ」に励まされたり落ち込んだりする毎日。若いのにうまくいかない。

このあたりから急激に卑屈になった。自分の周りで起こる出来事やひとが全部敵に見えた。人の妊娠報告がつらい。
とても優しい看護師さんたちに対しても、「不妊治療のつらさを知らないんだろうな、高みの見物ですか」なんてひどい言葉を心のなかでつぶやいたこともあった。

自分のなかの汚い感情を正当化したくて、「妊娠報告 つらい」でネットの世界に仲間を探していた。そんな自分のこともどんどん嫌いになる。

体外受精は一旦ステイで

人工授精での陰性が4回ほど続いたところで、先生から体外受精を勧められた。夫と相談して、あと数回やってだめならステップアップすることに。

すぐにステップアップしなかった理由としては、以下がある。

①妊娠実績。
一度タイミング法で妊娠したため、まだ可能性があるのではという淡い期待があった。自然妊娠できることがわかったことが、流産で得られた結果だった。

②仕事との両立。
人工授精の段階ですでに、仕事の調整の難しさを感じていた。仕事との両立についてはまた改めて記述しようと思う。

③金銭的な負担。
体外受精となると、かかるお金が一気に跳ね上がる。

④後戻りできない怖さ。
一回ステップアップすると、基本的には治療内容を戻すことはない。どんなに辛くてもお金がかかっても、陰性が続けば弾を打ち続けるしかなくなる。その覚悟がまだできていなかった。まだ自分たちはそこまでではない、という執着心に近い気持ちが捨てきれなかった。

後々このタイミングで早めにステップアップしておけばよかったなと思うことになるが、こればっかりは読めないので仕方ない。

続きます。

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