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刀の入札鑑定で出てくる「街道」って?(五畿七道について)

刀の作風について勉強する時、五ヶ伝について勉強する事が主流ですが、「五畿七道」の考え方もあります。
刀の鑑定会などに参加すると、「時代→街道→国(流派)→個名」の順で考えようにと私は教わりました。
街道が分かっていないと、例えば「イヤ(入札鑑定用語)」となった時、次にどこに入れて良いかが分からなくなってしまいます。
この街道が「五畿七道」に該当します。
(入札鑑定の用語について分からない方は以下をご覧ください)
という事で今回は五畿七道についてです。


①五畿七道

古代日本の律令制における、広域地方行政区画の事です。
因みに明治維新後(1869年以降)北海道が新設されてからは五畿八道とも呼ばれます。

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(画像転載元:五畿七道

五畿七道に該当する刀工群が以下です。
太字は五ヶ伝。

・五畿(畿内)

大和、山城、摂津、河内、和泉(現在の奈良県、京都府中南部、大阪府、兵庫県南東部)の五国を指します。畿内とも呼ばれます。

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古刀
山城伝(三条、五条、粟田口、来など)
大和伝(当麻、手掻、尻懸、千手院など)
新刀
・(京)埋忠、堀川、三品
・(大阪)国貞、真改、助広、国助、忠綱、多々良長幸、月山など


・東海道

東海道は、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利した翌年の慶長6年(1601)に、徳川幕府を開くよりも早く、江戸~京都間、江戸~大坂間の人馬と情報の往来幹線として整備され、伝馬制の制度が敷かれました。
歌川広重に描かれた「東海道五十三次」や、十返舎一九が書いた「東海道中膝栗毛」も有名ですね。

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古刀
相州伝(新藤五国光、行光、正宗、貞宗、秋広、広光など)
新刀
・(江戸)虎徹、康継、法成寺、安定、光平、繁慶、綱広
新々刀
・水心子正秀、大慶直胤、清磨、固山宗次、左行秀


・東山道

都と東北地方を結ぶ幹線道路として非常に重要な役割を担っていました

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古刀
美濃伝(志津兼氏、孫六兼元など)
新刀
・国包、飛騨守氏房


・北陸道

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古刀
・郷義弘、則重、真景、宇多、秦長義など
新刀
・兼若、清光(加賀)、越前康継、兼法、国清


・山陰道

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古刀
・安綱、真守、吉井など


・山陽道

山陽道は古代日本の中心であった都と九州大宰府を結ぶ重要な幹線道路として発展。江戸時代に海路が盛んに整備され、輸送量が多い、疲労が少ない費用が安いなど利点が多かったので陸路より人気があり物資の流通では主役の座を次第に海路に明け渡していった歴史がある。(参考:ひょうご歴史ステーション
五街道の制定と共に、西国街道は脇街道に格下げになったが、西国大名の参勤交代の重要な路として賑わった。

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古刀
備前伝(古備前、古一文字、一文字、雲、長船など)
・青江
・三原
・その他(二王、長州左など)
新刀
・手柄山正繁、横山祐定、肥後守輝広


・南海道

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古刀
・海部、土佐吉光など
新刀
・南紀重国
新々刀
・左行秀


・西海道

西海道は大陸との外交、防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄したとのこと。

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古刀
・左文字、実阿、西蓮、三池光世、高田、延寿、同田貫、波平など
新刀
・肥前国忠吉、主水正正清、一平安代、伯耆守正幸、石堂是次


②終わりに

このように九州地方など、五ヶ伝では分類しきれない刀工群も五畿七道では分類出来ます。
私だけかもしれませんが、五ヶ伝というワードだけが先走っていてついつい無理に五ヶ伝に当てはめようとしてしまいがちです。
そして、五ヶ伝に当てはまるものが何となく良い物、という印象付けが本などでもされているようにも思えます。(古伯耆、郷や左文字なんかは別ですが…)
この考えが本当に正しいのか、自分なりに今一度見直してみる必要がありそうです。
そういう意味ではより本質的な考え方がしやすいのが五畿七道なのかもしれませんね^^!


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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