見出し画像

明治金工師の筆頭「加納夏雄」

明治の金工として一番有名なのが加納夏雄かもしれません。
明治の超絶技巧の1人として称されています。
今日はそんな加納夏雄について紹介します。

画像2


・加納夏雄はどんな人?

1828年~1898年の金工師で幕末から明治にかけて活動しました。
明治時代の金工作は超絶技巧と称され、素晴らしい作が沢山ありますが、その中でも加納夏雄の作は筆頭に挙げられます。

7歳で刀剣商の養子になり鐔などの刀装具の美しさに魅入られ、見よう見真似で鏨を切ったといいます。
その甲斐もあって12歳には既に線彫りや象嵌といった技法を習得。
14歳には写実を極め、19歳で独立します。
26歳で神田に店を構えると小柄や鐔に心血を注ぎました。
その評判はとても高く、41歳の時に明治天皇の太刀飾りを担当するまでになります。

同じく41歳の頃、新政府から新貨幣の原型作成を依頼され、様々な図案を門下生と共に検討し試作貨幣を作りました。
本来はその試作を元にイギリスに極印の作成を依頼する予定でしたが、その試作見本を見たイギリス人技師がその完成度の高さから「これほどの名工が居るのにわざわざイギリスに依頼する必要はあるまい」と驚嘆させます。
結局、新貨幣はデザインから型の制作まで全て加納および門下生に一任されました。
以下が完成した新貨幣。

画像3

(画像出典:加納夏雄wiki

夏雄が45歳の頃に明治天皇が水龍剣を気に入り佩用し、それにあたりこの水龍剣にあう拵え作りを命じられ完成させます。

画像3

(画像出典:加納夏雄wiki

画像4

(水龍剣)

1876年に廃刀令が交付され多くの金工師が廃業に追い込まれる中、加納夏雄は注文が止まらずたばこ入れや値付などを作り続けます。
そして62歳の頃に、国内の産業発展を促進し魅力ある輸出品目育成を目的とした内国勧業博覧会という博覧会に出展した「百鶴図花瓶」が一等妙技賞を受賞。宮内庁が買い上げ明治宮殿桐の間に飾られたと伝えられています。
同年に第1回帝室技芸員に選出され、東京美術学校の教授も務めます。
(参考:加納夏雄wikiより一部引用)

画像5

(画像出典:百鶴図花瓶 オークファン

因みに夏雄には3人の子供がいます。
長男を冬雄、次男を春雄、三男を秋雄といいます。
冬雄と春雄が20歳で早死にしたため、三男の秋雄が跡を継いだようですが。それにしても名付け方よ…。


・終わりに

個人的な感想ではありますが、夏雄の作はとにかく手が細かく、空間の取り方が上手く引き込まれます。
以下の鯉は実際に泳いでいるように見えますし、目から生気を感じるようです。

画像2

画像13

画像6

(画像出典:「ボストン美術館秘蔵日本刀 里帰り展」より)

画像8

(画像出典:「ボストン美術館秘蔵日本刀 里帰り展」より)

画像9

(画像出典:「ボストン美術館秘蔵日本刀 里帰り展」より)

以下の2枚は表裏を横に並べると鹿が月を眺めている絵になります。
このように表と裏でそれぞれを余白を活かした世界観というのも個人的には好きです。

画像9

(画像出典:「ボストン美術館秘蔵日本刀 里帰り展」より)


加納夏雄の刀装具が販売されているのを見たのはまだ2回しかありません。
値段は書いていなかったので一体いくらか見当もつきませんが、鐔であればきっと1000万円以上は軽くしてしまうのでしょう。
ただ本当に滅多に見ないので、これも刀と同様名品はコレクターの間やお店の裏側で周っているのでしょうね。きっと。

今回も読んで下さりありがとうございました!
面白かった方はハートマークを押して頂けると嬉しいです^^
記事更新の励みになります。
それでは皆様良き御刀ライフを~!

画像11


↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

プロフィール_1

「刀とくらす。」をコンセプトに刀を飾る展示ケースを製作販売してます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?