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蝦夷目貫⑤ 似てるけれど違う

見た目が蝦夷っぽい風合いのある仁王目貫。

蝦夷目貫であれば南北朝~室町時代と考えられているが、これは江戸時代頃のものであると個人的には考えている。
そのように感じた理由は、①力金の存在、②縁の造り込み、③鍍金の色味、の3つであるので順に書いていこうと思う。
但し現時点での個人的な所感であり間違いも含まれている可能性は多分にあるのでご容赦下さい。

①力金の存在

目貫の裏に根があり、その周りに四角なり三角なりの小さな平板が付いている事があり、これを力金と呼んでいる。
力金がいつ頃から何のために付けられたのかは私もまだ分からないが、例えば「御家彫名品集成」で後藤家の上三代の作を見ると力金が付いている物は見られない。
力金が登場するのは4代光乗(1529~1620)の時からである。
これだけを根拠にする事は勿論出来ないだろうが、一つ力金が流行した時代の参考にはなると考えている。
今回の目貫には、裏に力金が見られ、それより4代光乗以降の時代の作ではないかと考えるのが自然ではないだろうか。


②縁の造り込み

以下は蝦夷目貫の縁である。

以下が今回の仁王目貫であり、色味的にも一目瞭然と思われるかもしれないが、鍍金は擦れれば剥がれるので、色味だけで比較するのは良くない気がしている。

つまり裏の金が剥げて下地の色が見えた状態で古いかどうかを判断するにはやはり、縁の厚みが均一になっていない点(縁が厚い所もあれば薄い所もある)が挙げられるのではないだろうか。
古美濃にしろ、後藤家の上三代にしろ、蝦夷にしろ古い物は薄く均一になっているように見受けられる。
故にこの目貫は時代が下がると考えるのが自然ではないだろうか。

③鍍金の色味

最後に鍍金の色味を比較してみる。
下地の素材にも左右されそうではあるが、山銅地の蝦夷目貫と朧銀地(四分一)のものとそれぞれ色味を比較した所、今回の仁王目貫は金の色味がくすんでおらず明るく見えた。
単体で見ても何となく若そうな雰囲気があるが、こうした所を目は自然に判断しているのかもしれない。

山銅蝦夷目貫(右)と比較
朧銀蝦夷目貫(右)と比較
朧銀蝦夷目貫(右)と比較

微妙な差なので画像だとどうしても分かりづらくなってしまうのですが、仁王目貫の方が鍍金の色が一段と鮮やかに見えます。


④終わりに

①~③から、この仁王目貫を室町時代のものと考えるのは流石に無理があると思う。
しかしながら穴の抜け感の表現であったり、江戸時代の物でも何百年という歳月を経ているので自然にこうした擦れた風合いが出てたまたま蝦夷目貫っぽく見えているだけかもしれない。
ネットで蝦夷目貫のような物を探している時に、鍍金が剥がれてそれっぽく見える物は結構多いのであるが、やはり今回挙げたような点で若いと思われる物も多い。
後藤家の作は別として多くは拵に付けられていた室町時代以前の物が綺麗に残っている可能性は普通ならば低いと考えるのが自然であり、そうした物がわりと直ぐに見つかるという事はつまり写し物である可能性も高い事を示しているような気もする。
刀装具などを買うとつい希望的観測をしたくなりがちであるが、一つ一つ見られる特徴から客観的に判断できるようになっていきたいと思う。

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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑

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