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「名物・大島行光」がなんとお目見え!

五郎入道正宗の父とも兄弟子とも言われる藤三郎行光。
新藤五国光の門人とも言われています。
そんな行光で享保名物に指定されている刀が、以下。

・不動行光
・矢目行光
・大島行光
・佐藤行光
・後藤行光
・綾小路行光

しかし不動行光を除いてこれらの殆どが所在不明、中には現存すら不明のものも。

しかし!

現在刀剣博物館で開催中の「珠玉の名品展 第2期」にてついに「大島行光」がお目見えしました!

凄い!!
ありがとうございます!
行光好きとしては溜まらないです!!

という事でこちらが大島行光です。

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宝永元年(1704年)の本阿弥光忠による代金子百枚の折り紙付です。

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①大島行光の伝来

享保名物帳に所載されている脇差で、元は大島茂兵衛光政が所持していたことから大島行光と呼ばれています。
その後、1万石の旗本である加々爪甲斐守直澄が所持し、本阿弥光由を介して埋忠明甫に金具の調製を依頼、寛永19年(1642年)に完成します。
その後は会津40万石の加藤明成が所持、その曾孫の加藤嘉矩が所持した後はその姿を消していました。
目釘孔は4つで差表に行光と朱銘が、差裏には「本阿(花押)」と本阿弥光室の朱銘があるようです。
朱銘は消えかかっていて、ガラス越しだと微かにしか見えませんでした。
埋忠刀譜にも大島行光の記録が残っています。

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(「埋忠刀譜」より)


②拝見した感想

1尺1寸(約33㎝)と長く、茎長が刀身に比べて短かったり、反りが強かったりなど、何となく姿的に南北朝あたりに見え、刀身彫も有ったりなどしたのでどちらかというと貞宗に似ているように個人的には思いました。
地景は見事に刀身全体に入っていて沸も良く付き刃が明るく冴え、金筋などの働きや刃の近くには流れている肌も見る事が出来ます。
帽子も掃きかけのようになっており、ザ・相州伝というような良さが感じられました。

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差し裏も見てみたい…


③終わりに

日刀保が鑑定審査をしてきたお陰でこのような行方不明の名刀の存在が世に知られる所になるというのは、日刀保の功績に他ならないと感じます。
享保名物の行光は私自身今まで不動行光しか見た事が無かったので、今回拝見出来たのはとても貴重で嬉しい体験でした。
所有者の方展示下さりありがとうございます!
今後生きている中で行光の他の名物も拝見出来る機会に恵まれれば嬉しく思います。
あ~…幸せ……。


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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