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相州伝は難しい。でも信仰心とまでは行かない気がする。

無銘物の多い相州伝。信仰心と言われるほどの相州伝。
しかし個人的には信仰心とまで行かない位には出来に差がある気がする。

例えば、新藤五国光、行光、正宗、貞宗は基本的に沸の粒がとても小さい。
匂いのような粒感で沸が付いている。

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(画像転載元:e国宝 短刀 銘行光


そして地鉄は水を含んだように潤んでいる。
匂い口も刃境が目立つわけでは無く全体が沸づいているように見える。
(地鉄の潤いはLEDだと正直よく分からない気がする。LEDだと大体全部潤んで見えるのでやはり白熱電球が良いと個人的には思う)

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(画像転載元:Yuhindo Soshu Yukimitsu

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(画像転載元:Yuhindo Soshu Yukimitsu

個人的に相州伝を見る時には、姿、沸の粒の大きさ、地鉄の色を見るようにしている。
勿論全部が全部当てられるわけではないが、相州伝で言えば大体時代は合うようになってきたので、素人ながら特徴の捉え方としては大きく方向性は間違っていないのではないかと思う。

①新刀の名工と相州上工の違い

例えば新刀で相州伝が上手いと言えばやはり南紀重国な気がする。
地景がとても自然な形で入るし、沸の粒も小さく均一に揃えている。
でも地鉄の色が違う。やはり本歌に比べると少し白い。
所々荒沸が混じる事もある。やはり名工と言えど全ての沸を細かく焼き付けるのは難しいのか。
あと姿が大抵鎌倉期のそれとは違うのでそれが決め手になる気がする。

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(画像転載元:刀剣杉田 於南紀重国造之 第三十回重要刀剣


晩年の国広も上手いがやはり地鉄の色が大抵違い、本歌と並べると差が歴然となる場合が多い。
あと匂口も本歌に比べて硬く沸粒も大きくなる箇所がある。
(傑作は地鉄が粟田口のように見えるらしいからこれはたぶんというか絶対私には分からない)
以下画像は国広弟子の大隅掾正弘。

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(画像転載元:e国宝 銘大隅掾藤原正弘 慶長十一年三月吉日


②新々刀の名工と相州上工の違い

新々刀で相州伝が上手いと言えばやはり清磨だろうか。
金筋はバリバリ入るし、地景の入り方も凄い。
地鉄の色味も本歌に迫る物がある。
刃も青く光る事もありそこも似ている。
しかし沸の粒が大きく付くところが多い。そして切先が枯れたような姿だったり、おそらく造りである点が鎌倉期のものとは違うのでそこが本歌とは大きな違いな気もする。
でもそもそも清磨は別に正宗の真似をしようとか思ってなさそうな気概を刀から感じたりもする…。これが俺の世界観だ!みたいな感じ。

清磨の沸が小さい所

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(画像転載元:銀座誠友堂 源清麿 嘉永三年八月日 第28回重要刀剣


清磨の沸が大きくなる所

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(画像転載元:銀座誠友堂 源清麿 嘉永三年八月日 第28回重要刀剣

このような視点で見ると、少なくとも行光で言えば時代違いの物と見間違える事は少ないのではないかと思う。(行光と書いたのは私が行光しか所持していない為に貞宗や正宗といった他の刀工作について行光以上に分からない為)

正宗は冒頭に書いた通り恐らく新刀も紛れて極められたものが恐らく多く混在しているので、全部を正宗と信じずに割り切って見るようにしている(何様だ!とお𠮟りを受けるかもしれないが…)
ただ正宗で凄いと感じるものはやはり沸粒が小さい、地鉄に潤いがあるという点で共通している気がする。
ぱっと見で美しいというか、ため息が出る程美しい。
上記のようなものがあるが故に、逆に地鉄ががさついたもの、沸粒が全体的に荒いものは新刀以降の刀が正宗に極まってい紛れたものではないかと疑ってしまう。
ただこれは自分の知識が浅いだけという事もあるのでこれから数十年経ったら考え方が変わるかもしれない。

ややこしいのが次。


③当麻(大和伝)と行光(相州伝)の違い

これは現時点でまだ見分けられない。
しいて言えば当麻の方が若干刃が明るく、匂い口がはっきりしている気がする。でも当麻の地鉄は潤いがあり美しいし、時代も行光などと同じなので違いが正直分からない。
非常に難しい。
信仰と言われるとすれば、「俺の当麻は実は相州上工だ」と信じる所な気もする。無銘であれば正解は無いのでこれは可能性として十分ある気がする。
個人的には当麻でも相州上工でも美しければそれで構わない気もするが、相州上工に極まっている方が得てして値段も高く人気があるのだろう。

因みに個人的には以下のコレクション情報の当麻は行光な気がする。

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(画像転載元:コレクション情報 伝当麻


④郷と正宗の違い

これも主観ですが、より沸粒が小さく揃い、金筋等がしきりに入り、地鉄が潤むという正宗に共通している部分が郷には多い中で、正宗はどこかに沸の粒が大きく付く箇所が部分的にあるが、郷は無い、という差と、正宗は刃が青く感じる事があるが、郷は刃が白く見える、と言った感覚の差くらいしか思いつかない。
しかも別に郷を難十振りと手に取って拝見したわけではなく、まだせいぜい数振程度。
なので少ない母数の中での感覚にはなってしまうが思いつくのはこんな感じの差。個人的なイメージとしては正宗の上位版が郷というイメージ。(この書き方は敵を作りそうですが…)
先に書いた正宗の沸粒が小さく揃っている物をどう捉えるかと言うとそれは正直分からない。
もはや、正宗として伝わってきたか、郷として伝わってきたかという伝来の差でしかないのではと思う程に…。

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(画像転載元:Yuhindo Go Yoshihiro


⑤古備前と相州上工の違い

これもかなり難しい。
新藤五や貞宗との比較であればそこまで難しくない気がするのですが、難しいのは行光と正宗。
乱れ映りや地斑映りなどが出ていれば古備前とすぐわかるが、沸の粒はとても小さくそこだけでは判断が出来ない。
地鉄は光る粒を全体にまき散らし地鉄全体が所々きらきら光っているのが古備前という認識を現在持っているが、行光や正宗にもそういった箇所が見られ、基本的には分からない。
正宗が備前の派生と個人的に考えているのもそれが理由だったりする。


⑥終わりに

これらの違いは本などで読んだ内容を書いているわけではなく、私が個人的に手に取って見てきた刀を比較して書いています。なので本に書いている内容と異なる場合もあると思いますのでそれは割り切って読んでください。
また、この記事を読んで気分を害した方がいた場合は申し訳ありません。
あくまで経験も浅い素人の戯言ですので気にしないで下さい。

あとこれは前から思った事なのですが、極めが○○だから良いとか、○○の作じゃないからこれは品位が劣るとか、そんなことは甚だ可笑しいというか、変な固定観念に侵されてるなと思うのです。
別にその刀を美しいと思って買ったなら誰の作であろうとどうでも良いのではないか。
そんなこと言いながらお前当麻極めじゃなくて行光極めの短刀選んでんじゃんと思われそうですが、初めてお店で行光を手にした時、行光と名を聞いた時は恥ずかしながらそれが誰か知りませんでした。
でも引き込まれたのでその作を最終的に選んだ。
勿論購入を決断するまでには行光について調べたが、決してネームバリューで選んだわけではないと自分では思っている。
なので他人からその作は○○だよね、と別の刀工を言われたしても別に何も感じないし、出来イマイチだよねと言われても恐らく何も感じない。
流石にここまで失礼な事を言ってくる人にはまだ遭遇した事は無いが、遭遇したとしても「あなたには分からないよね」程度に割り切れる自信はある。
今でも個人的に極めは参考程度にはするが誰に極まっていても刀が良ければ正直どうでも良い。
どうしても○○の作が良い!という人は在銘を買うしかないのではないだろうか。

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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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