あたりまえのこと

私にはずっと理解できなかった。

ハワイの夕焼けは綺麗だった。
あの夕焼けは忘れられない。
またあの夕焼けを見に行きたい。

夕焼けなんて通勤電車の車内からでも見えるじゃない?

私は見ていた。
スマホを見ている人たちが大多数の車内で、
私はずっと車窓から毎日が変わる夕日を見ていた。
だから別にわざわざ見に行く必要なんてないと思っていた。

夕日が見たかったら、スマホから離れなさいよ。と思っていた。

また私には高層マンションに住みたい人の気持ちも分からなかった。

高層マンションなんて家賃も価格も高いし、
窓も開けられないと思っていたし、
地震の時は揺れて怖いし、
エレベーターが止まってしまったら
足腰の弱い私には階段の登り降りは辛すぎるし、
ご近所付き合い大変だし、
万が一倒壊でもしたら恐ろしすぎる。
だから高層マンションなんて絶対人が住むところではないと思っていた。


私の家は日当たりが良い南向きで、
窓が大きくて多くて
風通しが良くて、
壁紙も白くて明るくて
角部屋の最上階で
もう完璧だった。
空は近く、夕焼けも毎日見れた。
もう本当に素敵な住まいだった。

でも訳あって追い出されて、
今は老朽化したボロ家に追い込まれた。

窓は少なく、日当たり悪く、暗く、風通しも悪く、
もう初夏の陽気だと言うのに冬のように寒く、
おまけにネズミが天井を走り回り、
リビングの天井には害獣の糞尿のシミ。

窓は空は見えないどころか、
夕焼けなんて全く見えない。
気がついたら日が上り、夕方になっている。  

しかも今の仕事は日が上ってからの出勤で、
日が沈んでからの夜の帰宅。

もちろん通勤電車の車内からも
夕焼けを見ることができない。

ブライドが締め切りのオフィスの窓からも
夕焼けを見ることができない。  

そうか、だからわざわざ見に行くのね。
今さらにしてようやく分かったこの気持ち。

当たり前にあるのに、
当たり前に見えないだなんて辛すぎる。


しかし今はコロナの外出自粛で
どこへも行かれないので、
外からも夕焼けを見ることができない。


あんなに見えていた空が見えなくて、恋しい。

普段空を見るのに、夕焼けを見るのに、
こんなに大変だったとは。

一体いつからこんな風になってしまったのか。




でも天守閣だって、あんなに高いのは、
もしかしたら空を見たかったからなのかもしれない。

そう考えると私の、
いや人類の、いや日本人のこの欲求は
生まれながらの生理的欲求なのかもしれない。

ひとつでも高い建物があれば、日が当たらない場所はできる。

いつから当たり前にある空を眺めるという権利は奪われてしまったのだろうか。
いつからこの空を眺めるという権利は当たり前ではなくなってしまったのだろうか。

そうか、やっぱり人生ぼーっと生きているものではないのですね。 

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