舞台「アイとアイザワ」を観て、思ったこと

マンガ原作で、舞台演劇になった『アイとアイザワ』を観て、心が大きく動き、その後いろいろと考えたので、整理するためにも、それらを書いてみました。感想というより、舞台を観て衝撃を受けた私の内面から出力された何か、です。千秋楽からも、だいぶ時間が経ってしまいましたが。

『アイとアイザワ』という作品は、もともとがマンガで、ざっくり説明すると、「技術的特異点を超えた人工知能(AI)」なるアイザワと、それと唯一対等なコミュニケーションを取れるという特殊な少女アイの、恋物語です。
原作マンガは、原作者の かっぴー先生が冒頭100ページを無料公開されていますし、2020年7月現在、Kindle Unlimitedで上下巻が読めます。
https://note.com/nora_ito/n/n75239197ae50

また、舞台の公演を収めたブルーレイも発売されます。
https://twitter.com/aqzb6iaf9jrzbhd/status/1283532161740496896?s=21

さて本題ですが、舞台版アイとアイザワでは、原作と異なり、アイザワが“実体”で舞台の上に現れます。
これが ものすごく大きな要素だと思っていて、原作ではスマートフォンの画面の中、あるいは電子上の存在でしかなかったはずのアイザワが、肉体を持って、観客の前に、“いる”。それも、超男前で。
“二次元コンテンツが好きな女の子”である、主人公アイの好む容姿なので、銀髪に白シャツという組み合わせなんですが、こんなに銀髪が似合う人類がいるのかと驚くくらい、違和感がない。2.5次元どころか、2.2次元くらいまで迫ってる。まず、ここで感動しました。
そして、これによって、“AIとの恋”という観客の感情移入を妨げるハードルが下がっていると思いました。「特殊な才能を持つ男女の恋」であれば、わかりやすいじゃないですか。すごいですね、ハンサム万能。

そんなアイザワ役の龍人さんは、忍たまのミュージカルにも出るんですって。まさしく2.5次元人ですね。
https://twitter.com/hb_ryuto/status/1218858679400726528?s=21

話の筋は「愛する男女が“世界 滅ぼしマン”である悪者を やっつける」というものなんですが、この男女、物語が終わるまで、キスどころか、抱擁すら無い。
個人的には、そういうシーンが得意ではないので、無いほうが物語に集中できて良かったんですが、よくよく考えて、そんな簡単な話ではないのかもしれない、これは「現行人類の愛情表現を超えたもの」なんじゃないかと、勝手に思ってしまったんです。

アイザワが あんまりにも人間っぽいので忘れていましたが、彼はAIで、現在の感覚では“人間ではない”。彼の本質は肉体にはなく、そんな彼に肉体を持たせて、肉体で愛し合うなんて、あまりにも“古い”。

物語の冒頭で語られている通り、アイザワがアイに興味を持ったのは「自分と同じ、あるいは近いレベルでコミュニケーション(対話)ができる可能性がある」からです。
つまり、肉体を必要としない存在には、コミュニケーションがセックスないしは それらの愛情表現の てっぺんにくるのではないか、と思うのです。
こういう意見、けっこう前に どこかで読んだと思うのですが、ハッキリとは覚えていません。誤解して覚えている可能性も、あります。

ここでいう“コミュニケーション”は、単純な会話というより、“情報”の交換、できれば「自分/相手が持っていない情報」の量が多いほど良い、というものです。アイデアの やり取りと言ってもよいと思います。
なので、劇中でアイがアイザワの思いつかなかった妙案を実行したときに、アイザワが「私には無い発想です!」と感嘆するのも、これは彼にとって最大に称賛されることで、この発言も まじりっけなしに最高の賛辞であるはずなんです。

このように考えていくと、攻殻機動隊を はじめサイバーパンクの近未来世界では、電脳セックスなるものが出てきますが、それすら、肉体に引っ張られていると感じられてしまいます。

一方で、そんなAIと同レベルにいる人類であるところのアイは、最初の出会いで「小説を書いてよ」と言っているんですね。当然、小説というものは、超高度な情報の組み合わせで、これはもう、極上の愛情表現を相手に求めているといえるわけなんですよ。たぶん。きっと。
その前提が正しいと、これは考えうる最高の告白じゃないですか。

余談になってしまいますが、同じように小説を書くことを求められて困惑するアイザックは、アイザック役・葉山さんの人間臭い芝居も相まって、すごく人間っぽく見えてしまうのが、対比的でした。アイザックの演技プラン、AIっぽくはないけど、“特異点を超えた”AIは、むしろ人間っぽくなるのかな、なんて思ったりもするので、おかしくはないですし、そもそも めっちゃ好きな芝居なので、劇場で観れて良かったやつです。おかわりもする。

最終的にアイが自分の小説を書く、というのも、人類の新しい領域に片足を突っ込んだアイの、おそらく新しい人類であるアイザワに向けての愛情表現だと思えると思うのです。彼女が そこまで考えてはいないはずだけど、小説の方が、次の因果律が揃うまで残っている可能性が高いし。

ただ、ラストで、「どこか」にいるアイザワがアイのとなりに来て、「最寄りの喫茶店を検索します」の くだりは、すんごく心に刺さって、何回も観たのに泣いてしまうくらい、大好きです。あそこはもう、理屈じゃなくて、たぶん、アイとアイザワの二人が、ものすごく おさまりが良くて、ハッピーエンドを表してくれたから、なんじゃないかと、思っています。

あと、ラストのくだり、モーリス役の日比さんの「本当に?」の お芝居、めっちゃくちゃ良くて、あれで感動するスイッチが入って、ラストシーンへの準備が整うんですよ。
また、エンディングの味付けも、原作と舞台で異なっているので、その辺り、脚本の川尻さんのコメントなんかも、もし聞くことができたら、うれしいですね。

ひさしぶりに長い文章を書きましたが、やっぱり、舞台を観て受信した電波って感じですね。そんなところに役者の方たちの名前を挙げるのがいいのか、迷ったりもしたんですが、広大なネットの海に浮かぶペットボトルに入った手紙みたいなものなので、大目に見てください。
ただ、ここまで長い文章を書けたのも、観たあとの幸福な感情が強かったからで、それも、舞台という没入感の得られやすいカタチで、チカラのある役者さんたちが演じてみせてくれたことが大きいと思っています。
また、観劇したひとたちと感想を交わせたことも、あります。感謝しきりです。

ありがとう、ございました!

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