ハウスみかんとガチ恋客

 スーパーに並ぶハウスみかんを見て、十八歳でピンサロからセクキャバに転職をしたときに出会った、Aちゃんのことをふと思い出した。Aちゃんは、私より2歳年上のお姉ちゃんのような人だった。自分が最年少だったこともあって、周りのお姉さま方は私のことをよくかわいがってくれたけど、Aちゃんは唯一友人のように接してくれる女の子だった。もう今は一切連絡を取っていない。思い出したら、少し良くない記憶も一緒に舞い戻ってきた。それは、「水商売ってなんて憎たらしい商売なんだろう」という、お前が言うかみたいな感情を抱いてしまったことだった。

お姉ちゃん

 Aちゃんは大学生で、将来は保育士になるのだと話しながら、バックヤードでよく教材を開いて、私に暗記ノートを持たせては一緒に小テストの練習をしたり、時々お弁当を持ってきてくれたりする仲だった。当時、両親が離婚した直後で姉妹間を除いた家族同士の仲が最悪だった(これはいつか詳しく書きたい。)こともあり、突然現れたお姉ちゃんの存在に心の底からすっかり甘えた。時々彼女の前で大泣きしたり、コンビニでお菓子を強請ってみたり、長女ができない妹としての体験を、一生分やりつくしたような感じだった。

 ある時、鬼出勤がモットーの彼女は珍しく二週間ほど休暇をとった。「実習があるから顔を出せないの。ごめんね」と私に謝って、ポッキーを手渡してくれた。すこしばつが悪そうな表情だったのが不思議だったけれど、その時は大して気にも留めなかった。そして彼女の休暇中、私はいつも通り週6日シフトに入った。

仕事が終わると、コンビニで買ったアイスクリームを店で食べながら始発を待つのが当時の習慣で、いつも通りファミリーマートでピノとボーイさんに頼まれたセッターを買ってから店へ戻ろうとした。だけど、ふと区役所通りの方を見た時に、実習で忙しいはずの彼女がやけに顔の整った男性に肩を抱かれてフラフラ歩いていた。お酒が弱いからお店でだってフェイクドリンクでごまかしているのに、どうしてあんなに飲んだのかな。しかも、寝る間もないほど忙しいと言っていたはずなのに。駆け寄ってそれを聞きたかったけど、何となく触れないほうがいい気がして、何もしないまま店に戻った。

二週間後、彼女は何事もなかったように出勤して、「実習しんどかった~」と愚痴を漏らした。それから、ロッカールームに貼ってある成績表をみて、一瞬で目の色を変えて「痛ちゃん、私の売り上げ抜かしたんだ」と一言つぶやき、今まで吸わなかった煙草に火をつけた。週6日×2週間 VS 出勤0日なら、いくら人気のない私でも成績が上回ることくらい当然あり得る。「でもすぐ抜かされちゃうよ、Aちゃんには勝てないよ」と返すと、当然と言わんばかりに「ふぅん」と適当な相槌をされた。

 その日を境に、彼女はどんどん変わっていった。あんなに熱心に読んでいた教科書や参考書をロッカールームで開くことはなくなったし、私やほかのキャストのヘルプについたとき、「次は私を指名してきてね」と名刺を渡していたり、酔いつぶれた客の財布を勝手に抜いてシャンパンを開けようとして店長に怒られたり、「痛子は枕営業OKのキャストだよ」とフリーの客に触れ回ったり、とにかくすごかった。

そして、たまたま見えたスマホのロック画面をみて、『あぁ、Aちゃんはあのホストに恋をしちゃったんだ』と納得した。そして徐々に彼女の周りから人が離れていき、私が体調を崩して入院した2013年12月、彼女は誰にも何も言わず店を飛んだ。私のもとには一つの連絡もないまま、返せなかったAちゃんのお弁当箱だけが手元に残った。

みかんどころじゃなくなったみかん狩りの話

 話は変わるが、我が家の恒例行事の一つに、伊東の山へミカン狩りに行くというものがある。伊東の山奥では当然スマホが使えないので、夕食の材料を買いに行く祖母にくっついて一緒にスーパーへ向かった。道中、知らない電話番号から何件も着信があり、怖いと思いつつ10回目で電話に出ると、電話の主はAちゃんだった。「痛ちゃん、覚えてる? Aだよ」という懐かしい声に、思わず泣いて「忘れるわけじゃない、いままで何をしていたの」とまくし立ててしまった覚えがある。そうなってしまうほどに、心から嬉しいと思っていた。

車の中では家族に会話を聞かれてしまうからと、到着したスーパーの駐車場で電話を折り返した。かけてすぐに電話に出た彼女は、世間話をする間もなく、「投資の話があるの。貯金は今いくらある?」と聞いてきた。その時、入院費やらアパートの退去費用やらで使い果たしてしまったせいで貯金はなかった。「どうして? お金ならきっと私よりAちゃんのほうが持っているじゃない」と返すと、「担当のホストに簡単に稼げる方法を教えてもらったの。痛ちゃんがこの投資に参加してくれたら紹介料が入るから、山分けしようよ」と。こんなにあからさまにカモにされた経験がなかったから、すごく戸惑った。それと同時に、怒りがワーッ! とこみ上げてきて、気付いたときには電話を切っていた。その後何回か着信があったけれど、しばらく放置していたらもうそれっきり電話がかかってくることはなかった。

 同じ店のキャストだった女の子数名にLINEでこの話をすると、ほとんどの子が「私も同じだよ」と答えた。「あんな風にお店を辞めたくせに、今度は訳の分からない投資の話を持ってくるなんてどうかしている」と話す子もいた。私自身、彼女にされたことはいまだに納得できないことも多くて、許せないことも多々ある。

でも何より、Aちゃん自身はすごくいい子だったのに、ホストにどんどん人格を食われて行ってしまったように思えて、一度しか見たことのないその担当ホストがとても憎たらしくなった。時々今でもそれが頭によぎるけれど、Aちゃんがどこかで私に「あんただって同じことをして金をもらっているくせに」と言っているような気がしてならない。あの日収穫したみかんは、何となくおいしくなくって、木の根の近くに埋めた。

ホストや自分と同じくらい、客もAちゃんも憎い

 これはナイトワークであればどこにでもある話だが、生み出したくなくてもガチ恋客は必ずと言っていいほど出没する。疑似恋愛を提供するのがナイトワークだという解釈で考えれば、ガチ恋は接客を頑張りすぎた証拠なのかもしれない。私は、なるべくガチ恋の客をその気にさせて引っ張ることはしたくない。だんだん行き過ぎた愛情に異常な嫌悪感を抱いてしまうからだ。

とはいえ、他人の感情をキャスト側が誘導することはできても完璧にコントロールできるわけではない。一度恋をしてしまった客はキャストが何を言っても何をやっても、多分全部「かわいい」って思っちゃう。だからどれだけ気を付けていても結局一定数の客が、深みにハマる。ハマるだけならいいが、夢と現実の境目が分からなくなることが一番良くない。

ホストもキャバもセクも、限りなく現実に近い夢だ。そこから出られなくなったら、Aちゃんみたいに現実の人間関係を食いつぶしてでも夢を現実に捻じ曲げようとする。つまり、金さえかき集めれば結婚できるとか、ヤれるとか、自分のものになるとかそういう思考になる。でも、アルマンドを何本開けようと、ロマネコンティを何本プレゼントしようと、キャストが自分のものになることなんてまずありえない。

 私は、カマたくさん(@takuya_hyon)の「従業員と客はそれ以上にはなれない」という話を聞いたとき、一切の反論の余地もなく、本当にその通りだと思った。

例えば、スーパーに行ったときに大根をレジに通してくれたお兄さんに私が恋をしたとする。そのスーパーでどれだけ私が大根を買おうと、私の彼氏にはならない。せいぜい「この女めちゃくちゃ大根買うじゃん、怖」程度の印象が付くくらいだ。こんな簡単なことはみんなちゃんとわかっているのに、水商売や風俗になると途端にその常識が壊れてしまう人がある程度いる。きっとAちゃんも常識が壊れていた人の一人なんだと思う。

 そのキャストの時間が本当にロマネコンティくらい価値のあるものなら、むしろ支払う義務があると思う。だけど、十年後そのホストはあの子が入れたロマネコンティの味なんて忘れているはずだ。ランキングにせっつかれてなんだかうまいことを言って入れてもらったその酒の味が、本当にわかる奴なんて大していないと思う。私だって、客がつまらなそうに、会計を気にしながら入れたシャンパンなんか飲みたくないし、おいしいと思ったことはない。

だけど、恋をしている人間を止めることができるのは、本人だけなのだ。周りがやめておけと言えば言うほど燃え上がってしまうタイプだって少なくないし、実際Aちゃんはそのタイプだった。キャスト側は仕事だから相手を店に呼ぶのは当然だけど、客がキャストに恋をするのが当然じゃない。これを理解できない人は、正直夜遊びに向いていないと思うし、遊びのために周りの人間に迷惑をかけるAちゃんには本当に腹が立った。

 ただ、Aちゃんみたいに金を作る意思と行動力があって、実際に稼いでいるならキャスト側だって「金は持っているし、仕方ないからかまってやるか」くらいの気持ちで恋愛ごっこ(客だけ本気ver.)に付き合ってくれるかもしれない。でも、男の人の場合金のない人ほどガチ恋に走りやすい傾向がある気がする。金があって、キャストが絶対に振り向かない前提でしている片思いなら、キャストがTwitterでLINEのスクショなんか晒したりしないのにな。いくら腹を立てても、夜の店が存在する限りガチ恋痛客問題はなくならないのだろうな。

駅前のスーパーに売っていたハウスみかんは、あの日のみかんよりもとっても甘くておいしかった。改めてAちゃん、さようなら、お元気で。どこかであのやたら顔だけはいい担当ホストと仲良くやっていることを祈ります。

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