復讐の女神ネフィアル第7作目 『聖なる神殿の闇の間の奥』30話

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 《裏通りの店》に戻った。すでに夕闇が迫り始めていた。まだ青い夜の闇と、黄金色が空に見える。東は青い闇、黄金色は西に。太陽はすでに沈んでいた。

ヨレイはいなかった。ロージェもだった。

「無駄足か。すまなかったな聖女様。だけどここの様子を見て、だいたい事情は察してもらえると思う。灰色の世界でしか、生きられない人たちがいるのさ。もちろん、君は知っているだろうが」

「ええ、もちろん知っています。きっと、あなたよりも」

 やや、という以上に、ジュリアの声には棘(とげ)があった。

「そうだ」

 アルトゥールは素直に認めた。

「もちろん、君は知っているだろう」

 もちろん、君は知っている。僕が言うまでもない。

 少女を犯して殺した少年の姿が浮かんてきた。アルトゥールが、復讐の代行をした、その標的だった。

 哀れな老婆、彼女の代行をして、彼女もまた、復讐の対価として死んでいった。苦しんで死んだ。

 ジュリアは知っている。人々の苦しみを。罪を犯した者もまた、酷(ひど)く苦しんでいたのだということを。

 聖女の方は、このように考えていた。

 皆が酷く苦しんでいるわ。

 聖女は心につぶやいた

 私もまた、同じように。

「さて、聖女様、では今回はたとえ不本意でもご協力願おうか」

 いつものように、やや冗談めかした物言いをアルトゥールはした。

「いいわ」

 聖女は短く答えた。彼女は、その胸の内を明かしはしなかった。そうしても無駄だと思っていたから。

 アルトゥールは、その後ジュリアから短い手紙を受け取る。その場で彼女がしたためた物だ。ヨレイに渡してくれと言われた。

 彼女は白いローブの隠しに様々な物を入れているが、革製の紙挟みにはさんだ手紙のための紙もあった。

 それにインクの入った陶器製の瓶、細い小枝の先をけずって出来たペンも。

「よし、確かに預かったよ」

「残念ながら、ここにいる人々が神殿に直接来るのは差し障りがあるわ。今となっては、ジュリアン神殿も、万人のための慈愛の神殿ではなくなってしまったの」

「それは僕や君が生まれる前からだ」

「ええ、そうね」

 それ以上を、聖女は告げなかった。その表情は硬くはないが、穏やかとも言い難かった。アルトゥールは、正面から彼女のまなざしを受けとめた。

 今、二人は隣り合わせにカウンターに立っていた。カウンターに椅子はなく、立ったまま飲み食いする場となっている。

 アルトゥールの前には安い蒸留酒が、ジュリアの前には薬草茶が置かれていた。

 アルトゥールは紫水晶の瞳の視線を酒の入った陶器製のカップに落として、しかし酒にはほとんど口をつけていなかった。

「この手紙は確かにヨレイに渡すよ。それに僕は中身を読むつもりはない」

「ええ、そうでしょうね」

 ええ、そうでしょうね、か。その程度には信用しているんだな、僕を。

 アルトゥールは思う。それを口には出さない。

「それでは、私は失礼するわ」

 ジュリアは今は、ジュリアン神殿の神官のための白いローブを着てはいなかった。代わりに褐色のくたびれたローブを身に着けている。

 ローブに付いているフードを目深にかぶり、顔が見えないようにしていた。目立ちたくはなかったし、このような場所に安寧を見出す人々の邪魔をしたくもなかったからだ。

 白いローブは折りたたんで、腰からさげた革製の袋に入れてある。褐色ローブの下に隠れて、あまり目立たなかった。

「何が書いてあるのか、訊いてもいいかい?」

「私に会える場所よ。ジュリアン神殿以外のね」

「分かったよ。ハイランが君に言った。君を嫌う者は、君が街角で教えを説くのを望まないと」

「そうね、この店にもそうした人々はいるのでしょう」

「そうだろうな。まあ僕自身、そこまで諸手を上げて歓迎されているわけでもない。だけど彼等も味方は欲しい。それも強力で、誠実な味方が」

「あら、自分でそんな風に言うのね」

 やや呆れたように、聖女はネフィアル神官の青年の顔を見た。彼女の前に置かれた陶器のカップからは、すでに半分も薬草茶がなくなっていた。

「彼らの人を見る目は確かなはずだ。でなければ生き残れない」

「そうね」

 ジュリアは、仕方なしに、といった風にうなずく。

「だから君のことも、少なくとも信用はするはずだ」

 決して真から心を許しはしないだろうが、と付け加える。

「グランシアはこの件に関わっているの?」

 ジュリアは急に訊いてきた。

「……」

 どう答えるべきか、しばしの間、思案する。

「何故そんな事を訊くんだ?」

「はっきり言うわ。私は魔術師ギルドを信用していないの。もちろん魔術そのものは、この世に必要だけれど……ある程度は」

 アルトゥールは、ゆっくりと息を吸い込んで、また吐き出した。

「そうか」

 そうとだけ言った。

 重罪と破戒のジュリアン神殿長ヘンダーランは自分の屋敷で死んでいた。

 その屋敷から、魔神マルバーザンが封印されていた物も含めて多数の価値ある古い書物を運び出した。

 魔術師ギルドに持ち込み、それら全てをグランシアに任せたままだ。

 それを話すべきだろうか?

 自らに問い掛ける。

 魔術師ギルドの一部の者の企みは、神技を魔術で再現できるようになる事だ。アルトゥールは、それも思い出した。

 実際に言葉にしたのは、こうだった。

「だけど同じように、僕には君たちを信じなければならない理由がない」

 君『たち』と告げた。ここにいるジュリアだけでなく、ジュリアン神殿全体の話だ。そう、ヘンダーランのような者も含めて。

「魔術師ギルド全体が、信用に値するかは分からない。けれど僕は、グランシアのことは信頼している」

 たぶん、君よりも。

 その内心だけは口にしなかった。

続く

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霧深い森を彷徨(さまよ)うかのような奥深いハイダークファンタジーです。 1ページあたりは2,000から4,000文字。 中・短編集です。

ただいま連載中。プロモーションムービーはこちらです。 https://youtu.be/m5nsuCQo1l8 主人公アルトゥールが仕え…

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