誰も教えてくれない成人向け漫画の描き方備忘録 #番外 ~お手本の意義~

自分が見たい・描きたいページのみの成人向け漫画を描くルーチンを始めてからいつの間にか一年以上が経過していた。前回noteに表題の記事を書いたのも一年以上前だった。時間が経つのが早すぎる。こわい。

一年以上同じルーチンをやり続けていたらさぞ神絵師になったであろうかと思いきや、そんなことはなく下手の横好き・ド底辺の場末絵描きおじさんライフを現在も満喫中という体たらく。まあ世の中そんなもんやろなあと思いつつ、それはそれとして一年前の漫画と直近の漫画を見比べると多少は違いが…あるような……ないような…………うーん、あるんじゃないかな。知らんけど。
ともあれやっぱり描きたいものを描くのは楽しいので、これだけ継続できているということは健全なルーチンになっている証拠ではあるのでその辺りはいい流れに乗れていると思う。内容は不健全だけどなガハハ

閑話休題。

さて今回記事を書こうと思ったのは、特にどうというわけではないけど何となく補足しておいた方がいいのかなあと思ったので書いている次第。
具体的な方法・それに至るまでの経緯は前回までの記事で書ききっているし、今になって特にアップデートされていることもないのでそこに関しては補足することはなんにもない。ただ、このやり方の根幹であるところの

「既存の成人向け漫画を参考にページ・コマを構成する」という手法

について、改めて補足しておこうかなと思った次第。
まあこれから述べる話はあくまで個人的な意見だしなんか自分のモヤモヤをとりあえず収めるための自慰行為・予防線張りに過ぎないということを先に言っておきます。

さて、一年以上前に初回の記事を書こうと思った際、その時点でも所謂「トレパク問題」というのは定期的にSNSとかで目にすることが既にそこそこあった気がする。
話が複雑だし事例によって詳細が異なるし何よりかなり繊細な問題なので踏み入った話はここでもしないしどこだろうとする気はない(冗談でもこの話を絵描きに気軽に振るな)として、見ようによっては自分がやってる上記の手法もトレパクの範疇に含められてしまう危険性はあるなあと記事を書きながら思っていたのを覚えている。
実際のところ自分のやり方はトレパクではないし(そもそもの話トレースしてないんだからそらそう)そんな吹っ掛け方は通りですれ違った相手に空気を介して肩がぶつかって不快になったから弁償しろとかそのレベルの気○い発言だと思ってるので意に介さないけども、とはいえなんか「トレパク」の概念がどんどん曖昧になってきてる気がするこのご時世、いつそんな交通事故が自分に起きてもおかしくないのでは…? と思ったりもしていた。

ここまで読んでくれている諸氏の読解力があればもちろん、もちろんのことご理解いただけていると思うが、自分はトレパクを許容する気は一切ない。そんなもんは許されていいはずはない。トレパクなんぞする奴には一週間以内にロードローラーに轢かれて挽肉になる呪いをかけておきます。ごあんしんください。
わからない? わからないキッズの皆は今すぐスマホの電源を落としてママのおっぱいでもしゃぶりに行ってきな

とまあ、そんな感想を漠然と抱きつつ前回までの記事を書いていた一年以上前。そしてそれから現在に至って、漫画を描く・殊更に絵を描く環境はホントむちゃくちゃ変わったように思う。
特にAIでのイラスト生成というものが現れてから、絵の描き方について明確に新しい選択肢が生まれた。AIイラストについての是非をここで議論する気はない(冗談でもこの話を以下略)として、こういった新しい手法が生まれたことで件のトレパク問題も余計に曖昧・複雑化を遂げているような気がしてならない。

SNSではある日、とある絵描きが「自分のイラストがAIイラストの作成元として使われている!」と比較画像みたいなものを公開していた。具体例は出さないけど多分こういう話は自分が観測してないところでも山のようにあるんだと思う。
その件について誰が悪いだのなんだのと言う話をする気はないが、それがトレパクに限りなく近いもの・何ならトレパクそのものとして扱われていることに自分は凄まじい違和感を覚えた。トレパクってなんだっけという考えたくもねえような哲学の領域に踏み込みかけてる気がした。
自分が目撃したその事例が実際にどうだったのかは定かではないが、場末おじさんの自分の目にも届くような拡散力があったことを鑑みた上でそれがトレパクとして扱われるのであれば、下手すると自分のやってる漫画の描き方もマジでそういう認識で捉えられてしまうフェーズに入ってるのでは? と思ったりした。

ここで「あれ、その話って別にAIイラストに限った話で普通に絵描きしてる分には関係ないんじゃないの?」と思ったそこのあなた。聡明すぎてIQ1000万なので今すぐオックスフォード大学に行きましょう。
そうなんです、本来なら関係ない。関係ないはずなんだけどもそういうのにこぞって騒いでる方々は多分IQ10のマイナス1000万乗くらいなのでそれがわからず同じものとして扱ってしまうんです。かなしいですね。

というわけで、前述の漫画の描き方について改めて、「お手本を見て描く」ことについて補足しておこうと思う。なんとここまで前座です。長すぎてびっくりしたでしょう、自分が一番びっくりしています。
まあ補足する、なんて仰々しく言ってるけども、ここから先は自分の昔の経験を書き連ねるだけ。この経験をもとに自分はこれを正しいと思って漫画を描いてるんですよ、というお話をしておく。

昔、自分は書道教室に通っていた。結構長いこと同じ教室に通っていて、小学校に入学してから高校を卒業するくらいまでは通ってたと思う。
その教室では一般的な毛筆での書道に加えて、ペン習字もやっていた。自分もご多分に漏れず両方とも教えてもらっていたので、最終的にはそれなりにどっちも書けるようになっていた。ペン習字は一応師範代クラスまでにはなっていた気がする。今となってはそんな面影もないけど。
書道教室は週に一回、水曜か木曜辺りに通っていて、何をするかと言ったらただひたすらに渡されたお手本に従って同じ文字を半紙に書き、文字を書いた半紙がある程度貯まったら先生のところまで持って行って添削をしてもらう。添削してもらった内容をもとに書き方を修正してまた半紙に文字を書く。半紙が貯まったら添削してもらう。それをホントにひたすら二時間とか三時間とかやり続ける。それだけ。正座しながら書くからマジで足が痛かった。
それを小学生から高校生まで、数えてみれば十数年も同じことをやっていた。もちろん学年が上になればなるほど書く内容は複雑なものなっていくし、年に数回コンクールみたいなものがあっていつものお手本と少し違うような内容のものを書くこともあったけど、基本的にやることは同じだった。
なんでそんな退屈そうなことをそんな長いことやり続けていられたのかは今になって考えてみるとちょっと謎ではあるけど、学校では会えない同世代の子と会うわくわく感とか、書道を教えてくれていた初老くらいのおばちゃん先生が添削ごとになんかウケを狙ってきて面白かったとか、多分そういう何気ないのが色々あって続けてたんだろうなあと思う。
とはいえ書道教室に通い始めた小学生の頃、さすがにそんな機械的な作業に意味を見出せなかったのでいつだったかおばちゃん先生に聞いたことがある。「お手本で書くだけじゃつまらん。もっと自分の書き方で文字を書きたい」みたいな聞き方だったと思う。
そうするとおばちゃん先生はこんな話をしてくれた。正確な文字通りではないと思うけど、大体こういうニュアンスだったはず。

「自分の書き方はな、まずお手本通りに書けるようになってから見つけるもんや。ちゃんとお手本通りに書けるようになって、それでも人によってちょっとずつ書き方に個性が出てくる。そこに味があって、それが自分の書き方なことに気付くんやで」

まあ基本的かつ当然のお話。別に変哲もないありきたりなものでしかないけど、その時キッズだった自分なりになるほどなあと思ってそれに従った。結果的にそれが最善手だったのかはわからんけど、最終的に教室を出る頃にはそれなりに書けるようになっていた。今はすっかり筆なんて握ってないしもう書けないだろうけど。
そもそも自分の絵柄は今どきの流行りでもないし誰かに教わったものでもない我流で覚えたものだし、そんな輩が基礎がどうこうなんて話をする立場にいるはずねえだろタコという話だとは思うが、とはいえその頃おばちゃん先生に教えてもらった精神は間違いなく今の自分にも根付いているように思う。握るものがタブレットのペンに変わって描くものが不健全図書になっているので若干の申し訳なさがあるような気もするけど。握るものは自分のムスコじゃないかって?うるせえタコ

とまあそういう感じで、自分の中にはお手本で描く意識が根底にある、ということ。ここから先になんかそれっぽいありがたそーな話を膨らませることもできそうだけども、そういう話はもっと神絵師とかが言った方が説得力があると思うのでそっちにお任せします。
むちゃくちゃざっくり言うなら、今まで人生で経験してきたインプット全てがお手本と言い換えられるよね、みたいなお話。

お手本のない創作が偉いんじゃなくて、もともと創作なんて貴賎もクソもないのにねえ。

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