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頼りない行き先表示

例えば身体の中に何の行き先表示もなくなってしまったときに人は死への誘惑を形にするのではなかろうか。死の匂いは耐え難いほど甘い。死に絶えたところでいったい何者が悲しむのであろうか。ふとしたときに繋ぐ糸が切れました。そうして生命は一つ名乗り難い場所へ床を移す。遠くからその光景を目にした。哀しみはない。
特別な緊張は解けました。然し人は本を読み、夜食を胃に流し込む。汗臭いからと汚れた服を洗濯機に収める。死んだ人を想い念仏を唱える。何か矢印を新設した案内表示に従わなければならないかの様に若いときには自己を促していました。何事もなかったとしても、誰にも私が何に強いられていたかなんて伝わらない。楽な世界と笑う。
世の中を動かしていくのはこの肉体だ。精神は肉体と所を違えたところで寝ています。
肉体が決定していく世界を目にしながら、生きるというものは本当に耐え難いものだなと笑みをこぼす。
「死にたい」「耐え難い」という想いを共有出来るとしたら、死人そのもののみ。肉体を捨てた魂のみだろう。
目の前の肉体とその言葉を交わし、世界を動かせたらいいのだがとふと思う。
そういった世界が何処かにはあるはずだった。あるはずだった世界は此処とは違う場所へ所を移した。
笑みをこぼそうが悲しみに暮れようが、変わりなく動くほど人の数が多い。何事もなくがいつしか非常事態と呼ぶには手遅れな時を迎える事だろう。そのときに諸行無常と笑うのは悲しい。
終わりのない繰り返しに想いを寄せながら。月を肴にゆったりと夜に浸かろう。
ホラティウスの詩をいつか読みたい。どんな世界を彼は抱えているのか。気になっています。
わからない事だらけのなか、この肉体が唱える答えにいつも捉えられながら、身体をつよく自然に流されていく。川の流れに逆らわない。
ゆったりとした志が本当にこの生命が絶対的に唱える言葉が否かと胸に刻む。30代まじかの男には命取りの泥のような時間を歩む。
古今東西の老若男女の喜怒哀楽に一喜一憂。
呪のような言葉が自分を明日に動かすと書けばかっこいいがそんなことはない。
沢山の喜びと悲しみが胸を通り過ぎてゆき、人と人との呼吸を交わす日々を送りたいな。
命懸けの為に出来ることは何か。
まだまだ出来ることはある。


行き先表示が案内する道を僕は断る事に致しました。その道の先を想像すれば楽しい想いは何もないように感じられましたから。
道案内のない航路ほど心許ない散策はありません。帰り道を思い出せなくなれば、楽しい我が家には二度と脚を踏み入れる事はありません。
帰りも行きも仄暗さを胸に収めた人生を送る事になるなんて夢にも思っておりませんでした。
思想や知恵で何事も判断はなしに生命はただ流されるがままに世界を形創っていきます。その人生を楽しみます。

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