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型月伝奇研究ことはじめ:《型月伝奇》って何?

文=曾良ひめる

 先日公開した奈須きのこ・TYPE-MOON評論誌「Binder.」刊行宣言ではたくさんの反応をくださりありがとうございました。私たちがどのような考えと目的で活動しているか具体的に知っていただくためにも、このアカウントでは一部の掲載予定記事を連載していきます。頒布予定の「Binder.」本誌と併せて、よろしくお願いいたします。

 本記事では、短い刊行宣言に収めることのできなかった「型月伝奇研究センター」の基本的スタンス「Binder.」の編集方針について詳しくお話します。寄稿をお考えの方の参考になれば幸いです。


Q.《型月伝奇》って何?

 たとえば「TYPE-MOON作品」と一言で括ってしまうと、『空の境界』などの竹箒作品が外れてしまいます。「奈須きのこ作品」と括ると、こんどは奈須がどの程度関わったものから対象にするかという厄介な問題が生まれ、また『Fate/Zero』などの奈須以外が手がけた作品群を扱いにくくなります。批評家にとって都合のよい領域を設定して新たな作品包括概念をつくるという手もありますが、私たちの目的はあくまで好きな作品と作家を人類史に刻むことであって、私たち自身の自己実現ではありません。

 しかし皆さまはお気づきでしょうか? TYPE-MOONにまつわる諸作品を批評的に整理するための概念的なリソースは、すでに奈須きのこ本人の口からしばしば提供されているのです。それらは他のクリエイターや将来の奈須自身に向けた自己同一化Self-identificationのための道具立てなのかもしれませんが、作品制作と批評活動とは根抵において近似する物ですから(もしそうでないなら三田誠『ロード・エルメロイⅡ世の冒険(3)』や成田良悟『Fate/strange Fake(7)』のような、回顧的反復にとどまらない批評的ポテンシャルをもつ作品が書かれうるでしょうか?)、同じツールを批評のための装置として転用できるはずです。直近の具体例を挙げましょう。

奈須氏:まずは「FGO」の第二部,それから“月の裏側”を完走するのが先決です。その後はTYPE-MOON第二期の集大成のようなものを出せたらいいなと思っています。
 自分は描くテーマを10年単位くらいで決めていて,「まほよ」からの10年は“消費文化”がテーマでした。これだけ娯楽にあふれた世界で,飽食の末に何を目指すのか,というような。だから「まほよ」と「FGO」「月姫R」は全部同じテーマなんです。
 それが終わったら,次は何を目指そうか。TYPE-MOONの第三期が始まるのは,それが見つかったときになると思います。

今甦る真月譚,新生「月姫R」クリエイターインタビュー。奈須きのこ&BLACK両氏が語る世界の裏側,そしてこれから
(太字強調は引用者による)


 奈須曰く「魔法使いの夜」発売以降の10年、すなわち2012年の「TYPE-MOON Fes.」で掲げられた「(To The Next) 10 Years.」とは、TYPE-MOON第二期、消費文化批判がテーマの10年だったというのです。この歴史認識に従えば、「魔法使いの夜」以前の10年間および同人時代はTYPE-MOON第一期であり、そして第二期の問題意識が昇華されたあとの時代はTYPE-MOON第三期である、と整理できます。商業的成功の歴史からTYPE-MOON史を区切る見方は数多あれど、メインライター奈須の問題意識を基準として区切る見方は稀少です。これは奈須本人にしか語りえない歴史観でしょうか。違います。

 私たちは「Fate/EXTRA」以降、それまでは物語の背後規定に過ぎなかった神秘主義およびサイバネティクス由来のガジェットが作品主題の中心にまで迫りだしてきて、普遍経済学的宇宙エネルギー論と現代大量消費文明批判のための直接的なモチーフとなる様子を見てきました。昨今の奈須作品に現れる晦渋な術語タームを過剰な装飾として読み飛ばしてしまうと、主旨を掴めなくなることもしばしばです。「魔法使いの夜」では消費文明とモラトリアムの有限性がアナロジーとして語られ、「Fate/Grand Order」では対立構造が常に形而上学と宇宙論のレベルで示され、「月姫リメイク」では旧版以上に社会存在としての実存が掘り下げられています。『月姫読本』や『Character Material』で開示された設定の数々は将来描かれるべき問題系の素描であって、ファンどうしの知識量マウント合戦の材料などではないこともそろそろ周知の事実でしょう。物語消費(世界観消費)とデータベース消費の有限系内部、すなわち資本主義の論理に乗じて大量消費を駆動させる企業体の内側から、外宇宙へと刺し穿ちアクセスする批評性を研ぎ澄ますこと。これこそ有限会社ノーツ結社以後、とくに商業的成功を収めたあとのTYPE-MOONが不可避に取り組むべきだった課題であり、その進捗評価は私たちコンシューマーに委ねられていたはずです。このたびその評価指標となりうる歴史概念を公言したのは、継続的な取り組みに対する手応えがあまりにも感じられず奈須が痺れを切らしたから、とも取れないでしょうか?

 私たちは、奈須が整合性に強くこだわる作家であることを思い出さねばなりません。『ロード・エルメロイII世の事件簿material』や『Fate/Grand Order Lostbelt No.6 : Fae Round Table Domain, Avalon le Fae Reminiscence』(『TYPE-MOONエース Vol.14』付録)に収録された作品内年表は、歴史時間感覚をクリエイター間ですり合わせておきたいという奈須の作家的(ゲームマスター的)性向のあらわれです。設定主義者の怒りを買った『Fate/complete material』の記載否定(通称・コンマテ焚書事件)も、蓋を開けてみれば宇宙の熱的死が迫る死徒世界にリアリティを与えるためのやむなき編纂で、世界観再整理のための有効なアイディアだったのです。つまりは、無際限かつ野放図に繁茂してフランチャイズ展開するTYPE-MOONユニヴァースを無策のまま放っておけるほど、奈須は不真面目な作家ではないということです。

 そんな奈須がTYPE-MOON作品について語るとき、とくに2010年以降しきりに用いるようになった作品包括概念が、《型月伝奇(TYPE-MOON伝奇)》なのです。英語圏で「Nasu Verse」と呼び表されがちな観念を徹底してこの言葉に置換することで、奈須はTYPE-MOON作品が奈須個人の作家性のみに基づくものではないと強調しながら、TYPE-MOONの本分と軸足は常に伝奇にあると言わんばかりの行為遂行的発話パフォーマティヴ・アタランスを繰り返します。

 マスターアップ!
『Fate/EXTRA』マスターアップの報せが届きました!
 二年越しのプロジェクト、スタッフの皆さんお疲れさまでした。

 これで本当に、確実に、7月22日に“まったく新しい、RPGとして型月伝奇”〔原文ママ〕をお届けできそうです。

竹箒日記 2010/6/9 : 届いたぞー!(きのこ)

TYPE-MOON伝奇における魂の所在の問題だが、今回は説明しない)

竹箒日記 2016/11/12 : 感謝のエクステラ(きのこ)

TYPE-MOONの伝奇……というか、奈須きのこがTYPE-MOONでやっている伝奇は『すべて同じ世界』と思われがちですが、それはあくまで基本であって大きく二つの系統に分かれている事は今までちょろちょろ説明してきました。

竹箒日記 2017/4/15 : ノブノブの、ノブのノブノブ。(きのこ)

「ゲームではできない、一冊完結による推理小説の切れ味を、TYPE-MOON伝奇でもやってみたい」

『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿(10)』解説

TYPE-MOONの伝奇観において、オリュンポスの神々の源流は〔後略〕』

竹箒日記 2020/4/16 : 無題。(きのこ)


 そして、極めつけがこちら。

ぐだぐだ世界における日本古来の神話設定はサーヴァント・ユニヴァース同様、型月伝奇の本流とはちょっと違うものなのです。

竹箒日記 2021/12/2 : 無題(きのこ)


 型月伝奇の本流って何⁈
とファンの度胆を抜いたこの発言。型月伝奇に本流と傍流があったとは……しかしこれは強い凝集力と中心的身分を《型月伝奇》概念に与えることで、「Fate」シリーズの一見無秩序な展開に秩序ある見通しを与えたいとの意思のあらわれであると解釈できます。いいかげんTYPE-MOONは《型月伝奇》の名の下に編纂されたがっているのではないか、と思うのです。

 ところで、なぜ伝奇なのでしょうか。知名度の高い文芸ジャンルで表現するなら、TYPE-MOON諸作品にはSF・ミステリ・ホラーのガジェットも頻繁に導入されています。「『FGO』のメインストーリーはそれぞれ異なるジャンルをお出ししていくもの」と度々明言しているくらいですから。それでも奈須が伝奇にこだわる理由としては、キャリア初期において本格ミステリと伝奇小説の融合を標榜していたこと、そして、講談社ノベルス版『空の境界』に寄せられた笠井潔の解説(改稿版「偽史の想像力とリアルの変容」は『探偵小説はセカイと遭遇した』収録)にて奈須作品が伝奇文学の系譜に連ねられたとき奈須自身その系譜の末席を引き受けたであろうことが挙げられます。かつて文芸誌『ファウスト』が提唱した《新伝綺》なる売り文句は人々に忘れられ埃が積もっていますが(なにしろ元ネタの《新本格》も求心力を失って久しいので)、それは《型月伝奇》の宿命的衰弱を意味するわけではなく、むしろこれから人口に膾炙する概念としていきたいからこそ、奈須はぐだぐだ世界と蒼輝銀河を剪定しながら「型月伝奇の本流」とまで言い放ったのではないでしょうか。

 奈須きのこ決死の発言にちゃっかりタダ乗りして《型月伝奇》研究を名乗るもの。それが私たち「型月伝奇研究センター」なのです。



Q.「Binder.」はどんな本になるの?


 当面の目標は、『ユリイカ 総特集=奈須きのこ』の同人誌における実現です。『ユリイカ』とは青土社が刊行する月刊芸術総合誌で、詩と批評を中心に幅広い文化現象の領域を扱っており、(旧弊な言い方ですが)オタク系の文化にまつわる特集もしばしば組まれます。

【特集例】西尾維新、攻殻機動隊、腐女子マンガ体系、BLスタディーズ、初音ミク、RPGの冒険、菅野よう子、涼宮ハルヒのユリイカ!、魔法少女まどか☆マギカ、平成仮面ライダー、BLオン・ザ・ラン!、百合文化の現在、2・5次元、梶浦由記、アイドルアニメ、新海誠、ソーシャルゲームの現在、幾原邦彦、クトゥルー神話の世界、岡田麿里、バーチャルYouTuber、上遠野浩平、女オタクの現在、円谷英二、湯浅政明、今井哲也……

青土社公式サイトから作成

『ユリイカ』はTYPE-MOONとも浅からぬ縁があります。2008年5月号にはインタヴュー「さらに時代の先へ行くために アニメ版 『空の境界』 の挑戦」(語り手・奈須きのこ、聞き手・さやわか)が特別掲載されました。「幾原邦彦」特集と「梶浦由記」特集には奈須きのこ本人がインタヴュイー/寄稿者として名を連ね、「ソーシャルゲームの現在」特集では中川大地が「Pokémon GO」と「Fate/Grand Order」の比較検討を行いました。TYPE-MOONユニヴァースの展開が世界的文化現象だと信じる私たちは、型月関連コンテンツがユリイカで特集されるのも時間の問題だと思っていたのですが……これがなかなか実現しない。

 たしかに「FGO」も「月姫リメイク」も現在進行中のプロジェクトなので、総括するには時期尚早かもしれません。ただ無事にFGO二部が大団円を迎え、月姫のリメイクが完遂された暁には、世にさまざまな評論仕事が溢れかえるのでしょうか。「オリンピックを待つくらいの気持ちで」構えた果てに「月姫 -The other side of red garden-」が発売されたとき、人々は「月姫 -A piece of blue glass moon-」で味わった感動とその内実をすっかり忘れているのではないでしょうか。

 全体論的な議論を望む批評家たちは、制作途中の作品については口を閉ざし評価を保留します。しかし私たちはその戦略がクレバーだとは考えません。F2P(Free-to-play)モデルのソーシャルゲームという、コンテンツ全体を汲み尽くすのに必要な金銭が莫大かつ運次第で変動するような形態の商品を総論的に評価できる有資格者といえば、制作サイドの人間と大金持ちくらいのものでしょう。私たちは手持ちのサーヴァントだけで人理を守らねばならないように、手持ちのテキストだけで批評的判断を下さねばならない。それをしないのであれば、著作権の保護期間失効(団体名義の著作物の場合、現行法では公表から70年後)を待つことになります。10年は待てても70年は待てません。

 私たちは今のうちから準備を始めることにしました。もし将来『ユリイカ 総特集=奈須きのこ』が組まれることになったとして、その役割を奈須とTYPE-MOONをめぐる論点の提示のみにとどめたくないからです。20年前ならともかく、今や奈須もTYPE-MOONも全然センセーショナルなトピックではないので、ただそれらを扱うだけでは面白味がありません。ある程度界隈の議論レベルを発展させておいて、円熟あるいは臨界を示すような特集号にしたい。発端の書ではなく中葉の書としたいのです。

 わざわざ『ユリイカ』を掲げる理由はもうひとつあります。読んだことがある方ならご存知の通り、『ユリイカ』誌面には学際性・分野越境性・多様性があります。ひとつのトピックを軸としてさまざまなジャンルの専門家を招き、その畑ならではの論考やエッセイを募ることで、どの寄稿者が偉いとかどの分野の言及が覇権的ということもなく、あくまで多頭的な雑誌が目指されます。これは私たちも大前提として掲げるべき境地です。誰も支配したくないし誰にも支配されたくないので、私たちはあらゆる寄稿を歓迎します。内実を規定してしまうような具体性ある編集方針は示しませんし、校正過程においても可読性と学術的誠実さの追求以上の意図を持ち込むつもりはありません。

 2022年4月発売の『TYPE-MOONエース Vol.14』には特別寄稿として坂上秋成による「魔法使いの夜」評、そしてさやわか・めれむ・青柳美帆子の三氏による「月姫リメイク」評が掲載されました。クリエイターや制作関係者へのインタヴュー記事がテキストの大半を占めてきた『TYPE-MOONエース』誌においてこれは新しい傾向といえ、大変喜ばしいのですが、一方では紙幅不足の感も拭えません。むしろ空きっ腹に少量の食べものを抛り込んだときのような飢餓感が煽られて、もっと複雑に入り組んだ論評が読みたい!と思った方もいらっしゃるでしょう。そういった方々の食指をそそる雑誌を目指しています。



Q.「研究」「評論」「文学」って何?


 ものごとに完璧な定義は存在しません。明晰判明な定義とは常に仮想的なものです。感想と批評はちがうといったありきたりの説教がありますが、では厳密に感想と批評を分ける区分は何かと問われても、誰も答えることはできません。ごく一時的に狭いコミュニティ内で通用する区分を発明するのが関の山です。『空の境界』で蒼崎橙子は黒桐幹也ら非魔術世界の人間に対して分類学的説明をおこないますが、あれは蒼崎橙子自身が築きあげた独自の現象学を暴力的に捨象しながら伝えているにすぎません。

 ですからここでは、「研究」「評論」「文学」といった厄介な概念について、確かな定義を与えようなどという僭越な態度は取りません。ただそれらの概念を、私たちがどういったニュアンスと方向性を含ませているのか、どういった先行使用例に依拠して用いているのかについて、ごく簡単に書き留めておきます。

【研究】

研究は、大学や研究機関に所属する研究者の特権行為ではありません。小学生が夏休みに課される自由研究もれっきとした研究です。任意の対象について調べたり考えたりする作業は総じて研究と呼べるのです。自己探求もまた研究です。近年では「当事者研究」や「在野研究」のキーワードを軸とする学術機関外の研究コミュニティ形成が盛んであり、すぐに参照できる実践例も豊富ですから、これらを範に取りながら、ファンメイドの研究コミュニティを立ち上げ育てていく方法論を模索していきたいと考えています。

【評論】

評論のための理論書をひもとくたびに気付かされるのは、説得的でさえあればどんなツールを使って評論をしても良いのだ、ということです。テリー・イーグルトン『文学とは何か』を読めば、現代批評があらゆる人文知を総動員して発展してきたことがわかります。私たちは評論・批評・論評のニュアンス差を追求して定義するつもりはありません。しかし言葉は生き物ですから、時勢下の変遷(かつてゼロ年代批評では批評的=臨界的の響きが強かったこと、そして現行のアマチュア批評シーンでは“批評“概念のガラパゴス的変容が起こりつつあること)に目を配りつつ、常に自分の立脚点を客観視しておかなければなりません。ただこれだけはあえて述べておきます。今のところ私たちは、「批評・批判」が直ちに否定的な価値づけ行為を意味するとか、「評価」が直ちに肯定的な価値づけ行為を意味するといった用法を採用していません。

【文学】

作品が文学的かどうかは、ひとえに、その作品へと寄せられた註釈の質と量に拠ります。「Fateは文学」といったミームの喧伝は、結局のところ作品を文学史に位置付けるのに大して寄与しません。本当にFateを「文学」にしたいのであれば、その面白さや特徴を何千何万年未来の研究者にも伝わる言葉と理論で石に刻む必要があるのです。読者ひとりひとりの誠実な註釈は、作品の文学的普遍化に間違いなく寄与します。



Q. どんな文章を寄稿すればいいの?


①適切な語彙を充填すれば誰が読んでも理路を了解できる
②引用部の出典が明瞭に示され、筆者の主張と明確に分かれている
③奈須きのこ・TYPE-MOONと直接の関係がある

 私たちが寄稿文に求める条件は以上の三つです。①の「了解」はなるべく平易な意味で捉えてください。つまり目指すべきは読者の理解を得ることであって、共感や同意を誘うことではないということです。本誌が想定する読者はTYPE-MOON作品に興味をお持ちの方なので、TYPE-MOONに関する脚注は最低限で構いません。

 先述の通り本誌は『ユリイカ』を範にとっているので、上記の三条件を満たすものであれば詩や小説も掲載します。思弁小説にはセオリー・フィクションという分野があるくらいですから、論述的であることと文芸的であることは矛盾しないはずです。とはいえ私どもにも明確なビジョンはないので、委細についてはご相談いただければと思います。雑誌媒体で可能なことは大抵やってみたいです。楽しい企画をどしどしお寄せください。

 以下では、本誌の創刊をうけて論述的文章の執筆に挑戦したいと思ってくださった方のために、僭越ながら手引き書をいくつかご紹介いたします。

【批評理論・文学理論の入門書】

北村紗衣『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』(2021, 筑摩書房)
ノエル・キャロル『批評について : 芸術批評の哲学』(原著2009, Routledge:邦訳2017, 勁草書房)
廣野由美子『批評理論入門—『フランケンシュタイン』解剖講義』(2005, 中央公論新社)
三原芳秋『クリティカル・ワード 文学理論 読み方を学び文学と出会いなおす』(2020, フィルムアート社)
石原千秋・他『読むための理論—文学・思想・批評』(1992, 世織書房)
真銅 正宏『小説の方法—ポストモダン文学講義』(2007, 萌書房)
デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(原著1992, Secker & Warburg:邦訳1997, 白水社)

【学術的文章術の慣例】

戸田山和久『最新版 論文の教室: レポートから卒論まで』(2022, NHK出版)
滝浦正人・編著『改訂版 日本語アカデミック・ライティング』(2022, 放送大学教育振興会)

【より広範な実践的文章術】

安田峰俊『みんなのユニバーサル文章術 今すぐ役に立つ「最強」の日本語ライティングの世界』(2022, 星海社)
古賀史健『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(2021, ダイヤモンド社)

 とりわけ批評の教室 ——チョウのように読み、ハチのように書く』(2021)は、作品愛から生成されるファンメイドの文章を説得力ある批評へとステップアップさせるための戦略書です。TYPE-MOONが好きだからTYPE-MOONについて深く語りたいという人にとって、この上なく頼もしい味方となるでしょう。同書からプロローグの一部を引用しておきます。


 俺はチョウのように舞い、ハチのように刺す。I'm gonna float like a butterfly, and sting like a bee.(中略)
 なぜ批評に関する本がボクシング史に残る名台詞の引用から始まるのかというと、この一節は芸術作品に触れる時の心構えとしてもけっこう当てはまるのではないか……と私はいつも思っているからです。
「チョウのように舞う」というのは羽が生えたように軽いフットワークを意味しています。批評というと、ひとつのテクストに根が生えたように沈み込み、真面目に取り組んで……というイメージを持っている人がいるかもしれませんが、少なくとも私のイメージでは批評というのはそういうものではありません。ちゃんとした批評をするにはある程度フットワークの軽さが必要です。ある作品に触れたら、その作品に関連するいろんなものに飛び移って背景を調べたり、比較をしたりすることにより、作品自体について深く知ることができるようになります。(中略)
「ハチのように刺す」のほうですが、軽いフットワークで作品の背景を理解したら、次は鋭く突っ込まないといけません。後の章で詳しくお話ししますが、作品を批評しながら楽しむ時は何か一箇所、突っ込むポイントを決めてそこを刺すのがやりやすい方法です。羽を生やした後には針を身につける必要があります。

pp.8-9

 批評をして楽しむことを覚えたばかりの時は、批評をしない楽しみ方がちょっと浅はかに見えてしまうことがあるかもしれませんが、そういう蔑視は禁物です。楽しみ方は人それぞれでいろいろあるということを尊重しましょう。ただし、「批評なんてせずに何も考えずに見ればいいじゃないか」と言われた時には「批評をして掘り下げたほうが私は楽しいんです」と反論しましょう。

p.15

Q. 先行研究にはどんなものがあるの?


 サブカル批評華やかなりしゼロ年代、TYPE-MOON作品は東浩紀あずまひろき大泉実成おおいずみみつなり佐藤心さとうしん宇野常寛うのつねひろ前島賢まえじまさとしら評論家の言及の対象でした。大塚英志おおつかえいじが発起人を務めた文学フリマの初期においても、少なからずTYPE-MOON作品を取り扱う評論サークルは存在したようです。しかし今やかれらの成果を定価で入手することは概ね困難ですし、2010年代以降のTYPE-MOONの動向をフォローするものでもありません。ここでは2010年代を射程に収める先行研究例をご紹介します。

坂上秋成『TYPE-MOONの軌跡』(星海社)

 インタヴューとテキスト読解によってTYPE-MOON史の素描を目指した格好の入門書です。ただしこの本の目的は「TYPE-MOONが成し遂げてきたことを一本の線として読者に提示」しながら「最近になってその世界に触れた人やこれから知ろうとしている人たちにとっての地図となること」であって、TYPE-MOON批評シーンの開拓に力点を置いてはいません。また、商業性をもったガイドブックとしての限界もあります(商品販促を企図して書かれる文章は一般に売り物を貶しません)。この本の手が届かない領域とは、在野批評・同人批評が手を伸ばすべき領野なのです。

grogxgrog「TYPE-MOON設定資料 最強リセマラランキング」

 グロッググロッグ氏のブログは今や最も充実した在野のTYPE-MOONアーカイブ・サイトといえます。この記事はあまりにも膨大なTYPE-MOON設定資料の数々に資料的価値の序列を付しています。これから資料にあたりたい人にとってひとつの道標となるでしょう。現在同ブログでは「TYPE-MOON展 Fate/stay night -15年の軌跡-」で展示された奈須きのこ本棚の所収本を全部読むという気の遠くなるような連載が行われており、奈須作品の元ネタ研究に先鞭をつけています。

よるとり「「物語を消費する」ことへの痛烈な問いかけ Fate/GrandOrder Cosmos in the Lostbelt No.6「妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ」感想【後編】」

 メタフィクションの在り方の追求が奈須二十年来のテーマであることは、「漢話月姫」における竹本健治への言及からも疑いを容れません。実験的なゲーム作品の数々を念頭に置いて執筆されたであろう「アヴァロン・ル・フェ」は、奈須2021年時点の到達点を示すものであると解釈できます。よるとり氏はそのための補助線を引きながら、奈須作品に潜む批評性のステータスを掘り起こしています。なお2022年末には、一連のNote記事を再編してまとめたものが刊行される予定とのこと。

Boyd, David John (2019) Soulful bodies and superflat temporalities: a nomadology of the otaku database of world history at the ends of history. PhD thesis, University of Glasgow.

 英語論文。題を拙訳すると、「魂にみちた諸身体とスーパーフラットな時間性:《歴史の終わり》における世界史データベースオタクのノマドロジー」。第五章ではトーマス・ラマール『アニメ・マシーン』(2009)に依拠しながら「Fate/Zero」(2011-2012)と 「Fate/stay night [Unlimited Blade Works]」(2014-2015)における運動イメージと時間イメージの交錯が分析され、第六章では「Fate/Grand Order」および「Fate/EXTRA」シリーズの可能性と諸限界が指摘されます。
 アニプレックスの海外展開は、日本語圏以外でのTYPE-MOON研究に活気を与えました。もちろん全作品が完訳されるには程遠い状況ですが——欧米で商業展開するには意訳するほかないテキストもゲームには見受けられます——Boyd氏はポストモダンの諸理論をメディアミックス作品解析に適用する過程で、原作者奈須の作家的性格や思想的特徴をも議論の射程内に捉えています。

九鬼「空の境界 考察」

「劇場版 空の境界」(2007-2010)の研究手帖。「劇場版 空の境界 未来福音」(2013)も考慮の対象となっているため2010年代の先行例として取り上げます。九鬼氏自身「作品の考察の覚書」と称する通り、奔放な思考をそのまま羅列して文章化したかのごとき印象は受けますが、原作テクストや思想史など作品内外の文脈を縦横に引き入れながら物語に現れる諸象徴を読み解いており、アイディアと示唆に富んだ考察であるといえます。

藤村シシン×ゲームさんぽ/ライブドアニュース「古代ギリシャ研究家と見る『FGO』の英雄たち」

 著書『古代ギリシャのリアル』(2015)が〈奈須きのこ本棚〉にも収められている古代西洋史研究家・藤村シシン氏が「Fate/Grand Order」登場キャラクターの元ネタ解説を行うYouTube動画シリーズ。動画内で主に扱われるサーヴァント・プロフィールといえば、2020年に沓掛良彦訳『ホメーロスの諸神賛歌』(筑摩書房)からの流用が指摘されて問題となった箇所です(ディオスクロイ剽窃問題)。フレーバーテキストの細部まで読み解こうとする編集部マスダ氏と藤村シシン氏、彼らのような態度のユーザーが多数であれば、そもそも流用など起こらなかったのではないでしょうか。

北出栞「現代批評としての『直死の魔眼』——2021年に『月姫』を読むということ」

 セカイ系同人誌『ferne』の企画編集を務める文筆家・北出栞氏が「月姫 -A piece of blue glass moon-」の発売直前に投稿したNote記事。同人版が発売された2000年のノベルゲームを取りまく状況が今とは異なることを確認しつつ、「月姫」の物語が本来発揮するはずのポテンシャルを指摘しています。2021年の消費者は月姫リメイクをどう受け止めたのか、あるいは、2021年の消費者の批評的読解を喚起しうる何かを月姫リメイクは投げかけられたのか、今後問うていかねばなりません。



【寄稿募集】

「Binder.」は、奈須きのこ作品およびTYPE-MOON作品に関するあらゆる論述的文章を掲載します。チャットアプリ「Discord」にて、クオリティアップと校正のためのやり取りにご協力いただける方であれば、どなたさまの寄稿も大歓迎です。
ただし原稿については、以下の三点を必ず満たすようにしてください。

①適切な語彙を充填すれば誰が読んでも理路を了解できる
②引用部の出典が明瞭に示され、筆者の主張と明確に分かれている
③奈須きのこ・TYPE-MOONと直接の関係がある


字数制限は特にありません。おおまかな目安として論説文は2000〜40000字、物語文2000〜20000字としておきますが、面白ければ大作も載せます。
また本誌をご購入くださる方への配慮として、寄稿文の紙媒体および電子媒体への全文再録は当該号発行日から半年間(6カ月)お控え願います。

ご興味をお持ちの方は、「型月伝奇研究センター」までご連絡ください。
Twitter:@KATADENKEN
Mail:katadenken⚫︎gmail.com(⚫︎→@)

(更新履歴)
2022/07/05 公開
2022/11/19 創刊号掲載稿に更新
2022/12/07 【寄稿募集】を更新
2022/11/04 【寄稿募集】を更新

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