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パニック障害から学校に復帰した自分

パニック障害の怖さ 人間不信に陥った僕の話です
よろしくお願いいたします

1そもそもどんな症状が出た?

A個人によります
僕の場合は 人間不信 足の感覚が抜ける 多重人格 力が入らない などがありました

これらの症状が1年間起こり続けました 日中は誰もいないはずなのに部屋のカーテン 窓をしっかりと締めます そして傍に包丁を置いて誰もいないはずなのに護身用のものを備えてました 誰もいないはずなのに誰かに脅え 誰かに見られてるか のように怯える そんな1年間でした


こんな話しても怖いだけや って思いますよ

そんな僕の唯一の生き甲斐はスマホゲームでした
その中でどっぷりやってたのは バンドリ 遊戯王 荒野行動 など様々なゲームが僕の生き甲斐でした
けど僕はこんな生活が嫌で嫌で仕方がなかった 何かを変えないといけない と思い始めます
他の症状については下で話していこうかなと思います

2 人間不信

人間不信って人間を信じれないとやろって思ってますがそれ以外にもあります
外に歩けない
人を見ると吐き気する
人を見ると強烈な倦怠感に襲われる とまぁこんなものでしょうか
家族でさえ信じれなくなってました 家族の中でも1人で孤立しております そんな中 家族は自分を 見捨てることなく自分に対して寄り添ってくれました 感謝しかありません
家族に対して感謝を忘れないようにしましょう


3 多重人格

僕が僕ではない とまぁこんな感じでしょう
まるで僕じゃない人間が僕の体を乗っ取ってるようだ
そんな中僕は抗っている もう1人の僕と戦ってる ←遊戯王の武藤遊戯君みたいです。 行くぜ!相棒!

とまぁ茶番は置いといて 僕が僕でなくなる時 それは急に起こります
終わったあとは解放感に加え疲労感が出てきます
それに なんか力が抜けていきます まるで幽体離脱して行くような感じです
頻繁に起こるわけないのですが 起こったあとはめっちゃしんどいです
頭痛いです 泣いてます
そして当然 記憶にありません 暴れてたとしても なんで暴れてたのか 泣いてたとしても なんで泣いてたのか それすらもわかんなくなってます
しんどいですよね 沢山調べてくれた家族には感謝してます

4 足の感覚が消える 力が入らない

これ長めです

これ 時系列で言うと本来1番初めに来た症状なんですよ けどここで話しますね

事の発端は 学校で起きました 3時間目 化学の授業の後 意識がはっ と消えてその場で倒れました 意識なくなりましたね
これは友達に聞いてたので僕は知りませんが 意識がない僕は強くゆすられても起きず 救急車1歩手前だったらしいです
気がついた僕は 体の重さを痛感しました けどどこか悪い訳でもないし まー大丈夫やろと思い次の情報を受けました
普通に過ごしてた矢先 5時間目 数学です そこで起きたのが 感覚が消えました 教科担当に 「やばい笑力入らん笑 立てんわ笑」って言ってましたね 支えを使っても立てないのでこれはおかしいとおもった教科担当は保健室に連れていきました 保健の先生に僕は足の感覚がないって伝えたら ???って言う顔されました(・_・) まるでこんな顔でしたね

そこで僕 足つねられたり たたかれたり くすぐられたり 毛を抜かれたりしたんすけど 痛みも感じないし こそばゆくもないんすよね これえぐくね?ってなって親呼ばれました その足で大きな病院行って車椅子の生活が始まります
当然不自由ですよ! 何も出来ないですし。
入院しましたけど何も症状が分からない ストレスによるものでしょうって言われました そのあと 全く良くなる気配が無くはぁ って思いながら過ごしてたらなんか急に感覚が戻ったですよね これ症状が出て1ヶ月後の話です
で 学校に行ったんですよ そしたら また同じ症状が3日後に出たんですよ
先生に担がれながら 椅子まで連れて行ってもらって 授業受けてましたね 上の学年からめっちゃ見られたの今でも思い出します
そしたら もう限界でしたよね 先生数人で担架持ってきて担架で運ばれました 外まで運ばれたらまた親がいる そのときは泣いてましたね
そして何も言わずに家まで送り届けてくれた親に感謝しかないです

僕は今まで野球を10年続けてきましたがこれで終わりなんやろうなって思いながら帰ってましたね
そしてその1ヶ月後 また治って 当日夏休みでしたので 野球部に復帰しました その日が弟の誕生日でしたので尚更気合い入りながらやってましたね
すると翌日 いつも通り電車に乗ると 乗り換えの駅に到着
よし 頑張ろ と思った矢先 ふらっ と意識が無くなりました 半目を開けて半分意識があった俺は 足の症状がないけど這いつくばってホームに行きました 駅員さんがその場にいてくれて 気がつくと救急車と警察が呼ばれてました あの時気づいてくれたおばあちゃんには感謝しかありません
半目を開けながら僕は救急車に運ばれました 頭の中では 大丈夫です ご心配をおかけしました とか 部活行きたいなぁ というのでいっぱいでしたが 口に出た言葉は 「あっ」だけです
口元が硬直してたのでしょう 喋れなかった とにかく喋れなかった そのまま病院に運ばれ 手当を受け 入院して 翌日携帯を見て見たら着信の嵐! 怖かった ほんま
もうとりあえず近くに従兄弟の結婚式あったからその事しか考えてなかったです
僕の場合癲癇も疑われましたが また別のお話しで


5まとめ

僕が言いたいことはただひとつ 家族に感謝
これだけです
他は何もいりません
僕自身たくさん経験してきました
家族の支えもあり 1年後 通信制という形ではありますが学校復帰 そして新たな友達も出来ました

野球をしてた時もそうですが やはり感謝 はいい言葉ですね
僕が好きな言葉です

これは全て実体験を元にしたお話ですので 同じ症状で悩んでる方には共感して欲しいなと思います
僕自身 文を書くのが下手くそですが伝えたいことは伝えたと思ってます
そして この経験がさらに自分を強くする そう考えてます


最後に好きな歌詞の写真を貼ります。
ファンキーモンキーベイビーズの悲しみなんて笑い飛ばせと湘南乃風の黄金魂です
ありがとうございました

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P.S コロナに負けるな
ありがとうございました

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