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好きなこと、必要なこと

 先日いわゆるマネーセミナーに参加した時、金融商品の仕組みを説明しながら講師のフィナンシャルプランナーが、段々分かってくると投資が楽しくなりますよとにこやかに言った顔を見て、そうか彼にはこれが面白いんだなと思った。そういえば趣味が投資という友人が居て、税金とか保険関係で法律が変わると欠かさずチェックするとか、こう貯蓄すれば節税になるなどと楽しげに教えてくれたことがある。持っているお金が増えればそれは誰だって嬉しいだろうが、私にとって貯蓄は必要に迫られてやむを得ず行うもので、投資の仕組みなどを理解しようとあがいている時間の方が勿体なく、その時間や気力は他のことに費やしたいんだよと思ってしまう。そして限りある時間を金勘定なんかに使うなんてそれこそ無駄じゃないかとやっかみ8割で思う訳だが、財務センスがある人には勉強すればしただけ商品や市場の仕組みなどが分かってくるから実際面白いのだろうし、貯蓄という現代人には不可欠な事柄が自分の楽しみになるとは恵まれた人達だなあと思う。
 ところで人生に不可欠な技術といえば食べることなどもそうで、料理が趣味とか食べるのが大好きという友人知人が結構居る。栄養を取るのはそれこそ生存に必須な事柄で、新しい食材とか美味しい調理法とか、知識と技術を増やしつつ楽しく毎日食べている人ってそれこそ幸せだ。私だって美味しいものを食べるのは好きだが、基本料理は面倒くさく他の人がやってくれればラッキーだし、そこそこ好きな食べ物も気に入っているレストランも既にある中、何も冒険して新しい店を開拓したり知らない食材にチャレンジしなくても別にいいやと思う。思いながら料理好きな友人諸氏にひき比べて自分を少々恥じたりするのだが、なんで恥ずかしいと思わなきゃいけないのか。料理好きな人は別にそうあるべきだと思って料理が好きな訳ではあるまい。食べたり調理したりが単純に好きで、料理の必要性や意義といった理屈はその後だろう。どっちにしても毎日やらざるを得ない食べるということや、体を鍛えることにつながるスポーツなど、自分が本当に好きなことがたまたま人生に必要な技術知識である時、自分の嗜好に堂々と胸を張れるということなんだろう。でも自分の趣味がそういうジャンルに在ることは単なる幸運の類いだよね。
 好きな事得意なことが学術芸術ジャンルに偏っている場合、食ってくのにそれが必須という人は少ないから、高尚な趣味だと性格づけて自分に誇ってみたりする。それは貴重な時間労力を生存に必要な事柄以外に振り向けていることへの、生き物としての罪悪感なんだろうか。だけど例えば、木登りするのが好きな人、何も考えず浜辺でぼーっとするのが何より好きという人だって居るだろう。少なくともそれが自分にとって必要で、楽しくて、心から没頭できるタイミングというのは、結構色んな人にあると思われる。お金を貯めること食事を用意することと同じ位、笛を吹くこと、文章を書き付けること、浜辺で座ることが自分の生存に書かせない場合というのがあるのだ。人間が本当に楽しいことやりたいと思うことは、他人にとってはともかく、自分にとっては実は必要なこと役立つことなのだろう。
 もっとも友達とカラオケ行きたいと思うことの本質が、歌を歌いたいということにあるのか友達と一緒に騒ぎたいということにあるのか巧いねと褒められたいことにあるのか、その見極めは重要だと思うけれどもね。
 


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