五色沼

下調べと旅

 休みに友人と旅行することにした。初めて行く場所で土地勘も相場感も無いので、価格比較サイトと口コミサイトを参照しながら宿などを選んだ。現地では何をしよう。ガイドブックでは物足りず、その街に住んでいる人のブログなどを見つけて読みふける。2月の観光はここがお勧め。美味しい食事ならあのレストラン、あの道沿いの景色はこんな感じでドライブは最高。行きにくそうな場所も、Googleマップを使えば風景を確認しながら道順を探せる。おお確かにここは海が見えて綺麗そう。今からすっかり旅行気分になって、地図を見、写真を見、レビューを確認する。行く場所、入る店などをリストアップする。カフェのウェブサイトを開いて、注文したいメニューまで考える。何時間も下調べに費やして、現地の様子も段々分かってきて、そしてちょっと飽きてくる。

 どうせ旅に出るなら、できる限り自分の好みの素敵な場所を訪ねたい、無駄やハズレの無い旅程を組みたい。インターネットが出来て以来、下調べに幾ら時間を使っても終わりは無く、どんな詳細情報も探せば大抵は手に入るようになった。そしていつの間にか、旅は新たな見聞というより事前調査の追体験のようになってきた。これでは何かが違う気が激しくする。旅の下調べが悪いはずはない、それ無しでは良い旅行は絶対に出来ないし、それは旅の一部ですらあるのだ。問題は恐らくこの情報過多、なのだろう。地球の反対側に旅する時でさえ、バス停から宿までの風景を事前に見ることができる。安心して旅をしたいからというより、元々興味のある旅先だから、ネットの情報、映像を追うのが楽しくて仕方ないのだ。でもそれは旅の楽しみの先取りで、実際現地に行って得られるはずの印象や感激の量と質を変えてしまう。

 では下調べはそこそこで止めて、もっと現地での偶然に運を任せる?勿論そうすべきだろう。でも物事は全て程度問題、どこまでの調査ならOKなのか。必要な情報を持たずに出かけて現地で途方に暮れるのは馬鹿げている。少なくとも、事前知識があったからといって人間は感激しないわけではない。頭で知っていることと、現地で空気を嗅ぎ、温度と湿度を肌で感じ、地面を自分の足で踏みしめて、風の音や鳥の声を直に聞くことは全く別次元の体験だ。恐らくは許すべからざる多量の知識を持って旅に出るかわり、生き物としての感度を上げて、現地でしか味わえないことを目一杯感じてくることが、現代の旅というものなのだろう。期待された構図通りに写真を撮ってSNSにアップする自己満足が旅と同義でないのは言うまでもなく。

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