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問題なのはヘッピリ虫が尻を持ち上げるということじゃない――本当に、ひじょうに注目しなければならないことは、われわれがそれを注目すべきことだと思うことなんだ*

 自己中でやたら気に障る発言をする人が居る。なんでこの女は常に自分のことばかり考えてるんだろう?
 どの発言も微妙に攻撃的な知り合いが居て、コイツの発言ていつも自分が偉いという話ばっかり、そんなにマウンティングしようとしなくてもいいのにと感じる。
 ところで他人がどういう性格と動機に基づいて発言をしているのかなどはどうでもよいことなのであって、ある人が自分のことしか考えてない・知り合いがいつも偉そうに話す、と自分が感じているということの方が、実は重要かつ対処可能な問題であるのではないかと思う。

 知人の発言が自己中心的であると気になるのは、その発言意図が分かってしまう自分がもしかして彼女に似ているためだろうか。知り合いがマウンティングしてるっぽくて不快なのは、もっと普通に穏やかにコミュニケーションすれば面白そうな人なのにと自分が思っているせいだろうか。他人の言動を不愉快に感じるのは、そのどこかが自分の何かと通じている時なのだから(そもそも人間は他の人間のことに関心などほとんど無いので、興味を惹かれるのは他人という鏡に映った自分のことだけなのだ、大抵は)。

 じっくり分析してみたことは無いけどそのうち考えてみなくっちゃ、なぜ彼らの発言は不愉快なのか。自分がもっと達観に至れば、他人の発言を不愉快に思うことも減ってくるに違いない。


* スタインベック「キャナリー・ロウ」

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