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学ぶことと疲れること

 初めての土地に旅行に行く。苦手な貯蓄だの投資についてプロの話を聞く。今まで読んだことの無かった作家の小説を読む。しばらく会っていなかった古い友達と話をする。それぞれ刺激を与えてくれる新しい体験だったけど、短期間に詰め込みすぎて疲れが取れない。週末は予定を入れず、久々に寝坊をする。
 疲れているのは図書館から借りた本を返却期限までに終えようと毎晩遅くまで読みふけっていたせいもあるが、習慣になっていない珍しい体験というのは、楽しいと同時に消耗させる。殊に違う生活、違う経験、違う価値観を持つ人と話をすることは ― 新しい本を読むのもほとんどこれに近い体験だが ― 大抵後々まで引きずる疲労感をもたらす(私の場合ね)。自分のと違う価値観の存在は世界の広さの証明で、その世界には自分の知らない物事が沢山あって、その分自分自身は寄る辺ないちっぽけな存在に過ぎないと感じさせられるせいだろうか。
 自分のささやかな知識、常識、生き方を全世界と信じてそこに安住しているのは楽だろうが、自分の知らない「外の」世界の存在を一旦知ってしまうと、その広さを全く見ずに閉じこもっている方が不安が募る(余談だが、いかなる単細胞の田舎者といえど自分の居場所が全世界でないことを実は知っている。その不安故に人は自分と違う人間を徹底的に排斥しようとするのだ)。無知であることが不安を生むのだから、その払拭のためにも知らない事物を学ぼうと外の世界に出て行く ― 具体的には人に会ったり旅をしたり本を読んだりする。でも余りに遠くまで広い世界を見に行ってしまうと、自分の小さな拠り所に戻ってくるのが大変で、だからどっと疲れるのだろう。
 ペースを乱さずどれだけ遠くまで出かけられるかは、自分の性格体力気力に応じて決まる。自分の持っている力を正しく認識して相応しい範囲で挑戦すること、でもその範囲を広げるためにちょっとずつ努力すること、休み方も知っていること。そんな感じでぼちぼちとでも、世界を広げていければなあと思います。

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