粕谷幸司

日本人のアルビノ・エンターテイナー。昭和58年生まれ、埼玉県所沢市出身。 兄2人も、両…

粕谷幸司

日本人のアルビノ・エンターテイナー。昭和58年生まれ、埼玉県所沢市出身。 兄2人も、両親も祖父母も、姪っ子・甥っ子も、アルビノではありません。僕だけ。 小さいころから「日焼け」「弱視」「羞明」「見た目問題」などを生きてきました。

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  • アルビノの日本人のエッセー

    1983年。インターネットの無い昭和の時代。埼玉県所沢市に生まれた僕は、アルビノでした。 これまで生きてきて、考えたこと・感じたこと、少しわかってきたかも知れないことをエッセーとして綴ります。 不定期になりますが、応援いただくと活力が湧いてきて更新頻度が上がります。

  • 【小説】もしもアルビノな僕が

    主人公はアルビノの日本人。

最近の記事

親子だろうと兄弟だろうと到底わかりあえないことはある そのまま過ごしていけるうちはまだ良いけれど 相反してしまうなら諦めるのも仕方ない そんな人間関係の中…本当にわかりあえるなあずっと一緒にいたいなあと思えるパートナーと出会えたなら それはこの上ない幸せであり大切にした方が良い

    • 否定したいわけではないし否定されたくもないからなるべく冷静に「何が違うか」を話したいんだけれどこれは相手も同じような立ち位置で居てくれないとすぐ“口論”に成り果ててしまうから難しくて悩む…けれどそれでも実現したい会話は「違うから面白いよね」というところなんだけれど伝えるのも難しい

      • 人は 嫌いだなあと思った人のことを基本的にもう好きになれない でも 好きだなあと思った人のことは一瞬で大嫌いになったりする 好きはなかなか増えないのに 嫌いばかりが増え続けていく だからなるべく 好きを探してみているけれど 嫌いばかりが目についちゃう 生きにくい世の中だなあ

        • アルビノの僕らには「とりあえずアルバイト」もそう簡単ではない

          (当記事は2024年5月に別サイトで公開したものを再掲載しています) 高校生や大学生になると、友達と遊ぶためや欲しい物を買うために、アルバイトをしたりする。 僕の周りの普通の友達も、当時よくあったタウンワークなんかのフリーペーパーでアルバイト情報を探し「適当に」飲食店やコンビニで働いていた。 「高校生OK!」「服装自由!」などのありふれた条件の中に、数十年前は「髪型(髪色)自由」の文字が特別に輝いて見えた。 現代でこそ外国籍のアルバイト店員は珍しくなくなったけれど、20

        親子だろうと兄弟だろうと到底わかりあえないことはある そのまま過ごしていけるうちはまだ良いけれど 相反してしまうなら諦めるのも仕方ない そんな人間関係の中…本当にわかりあえるなあずっと一緒にいたいなあと思えるパートナーと出会えたなら それはこの上ない幸せであり大切にした方が良い

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        • アルビノの日本人のエッセー
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        • 【小説】もしもアルビノな僕が
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          アルビノの日本人で40歳…どこでまちがえたんだろう?

          (当記事は2024年2月に別サイトで公開したものを再掲載しています) 最近ではトークイベントなどに登壇させてもらうと、自然とメディア批判みたいなコメントが口をついて出てしまう。 表現者なんてメディアに取り上げていただいてこそ存在価値があるんだから、求められるがまま応じて、アルビノとして産まれ生きてきたこれまでを、苦しく悲しく語るべきなのかも知れない。 …いや、そうして僕が心にもない嘘をついて被りたくもない可哀想キャラを演じて名をあげたとしても、僕のタレント生命が続かないし

          アルビノの日本人で40歳…どこでまちがえたんだろう?

          「なんでみんなとちがうの?」と聞かれて泣いてばかりいた小学一年生

          (当記事は2024年4月に別サイトで公開したものを再掲載しています) 1990年、春。 僕は地元の幼稚園を卒園して、地元の公立小学校に入学した。 入学前には、親に連れられて校長先生へ説明に行ったのを薄っすら憶えている。担任になる先生も同席していただろうか…? ぼんやりと、けれど「他の子はしていない特別な時間を過ごしている感覚」はあって、少し戸惑って、モジモジしていたような気がする。 視力が弱いこと、日焼けをしないよう注意が必要なことなどを説明した上で、当時は7組と言われて

          「なんでみんなとちがうの?」と聞かれて泣いてばかりいた小学一年生

          振り返ってみれば昔から、誰にでも好かれる人気者ではなかった。 仲の良い友だちと深く親しくしているのが安心だった。 良く言えば個性的でクセがある僕だから、合わない人はとことん合わない。 「嫌われる勇気」とはそんなことなのかも知れない。 普通じゃないのが好きな自分の1つなんだから。

          振り返ってみれば昔から、誰にでも好かれる人気者ではなかった。 仲の良い友だちと深く親しくしているのが安心だった。 良く言えば個性的でクセがある僕だから、合わない人はとことん合わない。 「嫌われる勇気」とはそんなことなのかも知れない。 普通じゃないのが好きな自分の1つなんだから。

          労働力不足、低所得者層、企業内部留保、を合わせて考えたら、僕ら庶民に見えるのは高齢者の再雇用促進や法人税の減額や外国人労働者を増やすこと…ではない、って明らかなんだけどねえ。 妥当な給与で働きたい人が働けなくて、悪い待遇でも働かせられる人ばかりを雇用したがる企業…の問題よね。

          労働力不足、低所得者層、企業内部留保、を合わせて考えたら、僕ら庶民に見えるのは高齢者の再雇用促進や法人税の減額や外国人労働者を増やすこと…ではない、って明らかなんだけどねえ。 妥当な給与で働きたい人が働けなくて、悪い待遇でも働かせられる人ばかりを雇用したがる企業…の問題よね。

          自分がされて嫌なことは人にしない 親に言えないやましいことはしない 悪いことを一緒にしてくれる人より 自分を止めてくれる人を大切にする 周りに迷惑をかけるのなんかより 助けを求める方が恥ずかしくない 人を傷つけても自分は強くならない 人を貶めても自分は偉くはなれない

          自分がされて嫌なことは人にしない 親に言えないやましいことはしない 悪いことを一緒にしてくれる人より 自分を止めてくれる人を大切にする 周りに迷惑をかけるのなんかより 助けを求める方が恥ずかしくない 人を傷つけても自分は強くならない 人を貶めても自分は偉くはなれない