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友達の話をしようと思う。



ともだち、と一口に言っても、それは今の職場でできた人間関係だとか、大学時代から今現在までずっと付き合いのある友人だとか、そういうのではなく、小・中・高と長く付き合ってきた割に、卒業後からは程なく会う機会の失せてしまった、よくあるタイプの意味合いでの"友達"である。

数ヶ月前、縁あってなぜか連絡を取るようになり、最近どう?みたいな話からちょくちょくやりとりするようになった。なんか色々思い出したので、せっかくだから書こうと思う。



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順を追って書く。

彼は子供の頃から教会に通っている敬虔なキリスト教徒で、自分と同じく絵を描くのが好き。ピアノが弾けて、高校では弦楽部に所属しチェロを弾いていた。成績も良く、私が初めて会ったときから字もやたら上手かった。便宜上"Tくん"と記す。

こう書くと、Tくんはめちゃくちゃ真面目な人?みたいなイメージが湧くと思うが、私の目線で言えば彼は良い意味でニュートラルな感性の持ち主だったように思う。

陽キャでも陰キャでも分け隔てなく関わりを持ち、人の話を否定せず、激しい好き嫌いがあるわけでもなく、キリスト教徒だから聖書しか読まないとかの偏りもない。

小学生の頃などは、変な替え歌を覚えたらわざわざ私に教えに来てくれたりした。

クラシックが好きだが、2CELLOSなどのチェロでロックをカバーするアーティストも聴いていたし、フジ子・ヘミングの弾くショパンの幻想即興曲に感銘を受けて体育館に置いてあるピアノでずっと練習していたりした。上手だった。

私はといえば、当時から絵を描くのが好きだったにしろ、変人である事は今とさほど変わりはなく、小学生の頃は、当時流行っていたジブリの『ハウルの動く城』の絵をでっかく模写して先生から褒めてもらった挙句、どういう経緯かクラス全員にそれのコピーを配布することになったり、A4の型紙を半分の半分くらいに折って作ったオリジナルの漫画を教室の壁際に吊り下げてみんながいつでも読めるようにしてもらっていた。 

今考えると本当に信じられない話だ。当時の自分という存在ごとこの世から消し去ってやりたいくらいの奇行だが、担任の先生は私の描く漫画を何も言わず容認してくれたし、周りは周りで、まぁ小学生なので、漫画が読めてラッキー、くらいの認識をされていたように思う。




事のきっかけは中学生の頃。多感な時期独特の、他者の目線が人並みに気になり出した思春期。

私は馬鹿で無邪気だったけれども、その頃からは自作漫画を描くのも控えるようになり、美術部にこそ入らなかったものの、絵を描くこと自体は細々と続けていた。

気が置けない仲の人間とはとことん距離を縮めるタイプの人間だったので、私とTくんとは部活も一緒の部に所属していたし、お互い全く系統の違う絵を描いていながらも、彼は私の描いた絵を笑ってくれたし、私は私で、彼の写実的で芯のある絵にいつも憧れていた。

そんななか、当時仲の良かった男3女3のグループ(我々含む)で下校していたとき、女子グループが何かヒソヒソ話をしているのを察した。

特に深入りすることもないか、と思っていたのだが、何を思ってか女子のうちの1人が、私が1人になったタイミングで辛抱できず、といった面持ちで私に打ち明けてきた。




「実は、君とTくんでBLの妄想をしています」




当時の私は、具体的な内容はさておき、それがどういう意味の言葉であるのかは知っていた。

ブックオフで『銀魂』の知らない漫画が置いてあるな、と思って手に取ったそれが、なんだか明らかに本編のそれとは毛色の違ったテイストのものだった時の衝撃が、"それ"を理解するに十分な足掛かりとなっていた。

私は平静を装い、「そうなんだ」と返す。

好きにすればいいんじゃない、知らんけど。みたいな事を言っていたような記憶もある。

何せ私には、それを聞かされたとてどうこうしようもない。

そちらが思想信条の自由のもと妄想するのはそちらで自由にして頂ければよい。現に我々は、別段そういう関係にないのだから。

ただ、今思うと、中学生の女子って同世代の男子と比べれば結構ませてたんじゃないかと思う。

そういう意味では、一体ナニを妄想してたんだ? と今更ながら心配する。そのカップリングで、私は左右のどっちなんだ…!?とかね。
当時の私は阿呆であったので、もしかしたら右だったんじゃないか…?



…この話はやめよう。



話を戻すと、久しぶりにやりとりしたTくんとの通話では、彼は今現在お付き合いしている女性がいるとの事だった。

めでたい事だ。遠恋との事だが、末長く幸せになってほしいと思う。

同時に、今の自分の立ち位置について少しばかり思いを巡らす。

きっかけはどうあれ、妄想で人をイチャコラさせる、という遊びで自分の価値観を上塗りされたあの時から、自分の中の恋愛観はどこか他人事のような、宙ぶらりんな心持ちで見るようになってしまったように思う。

自分は百合も薔薇も異性愛も、等しく同一な目線で見るように心掛けているが、じゃあ自分はどうなのか。と思った。

男女の恋愛とは何なのか?友愛とどう違う?何がその境界を線引きするの?そもそもキスってあれ何のためにするの?

彼は通話中、時おり何かカタカタと音を鳴らしているな、と思えば、ルービックキューブの最速記録を樹立したいのだと言っている。何秒以内を目指しているとかいないとか。

彼は彼で、自分の人生を生きている。

なんだか複雑な気持ちになった。

この話を知っているのは恐らく自分だけだ。打ち明けてきた女子はあけすけな人だったが、流石にキリスト教徒にそういう話はしないだろう。流石に。

別に、その告白をされて私が不快になったわけではない。ないのだが、少なからず、今後も私はこの形容し難いモヤモヤを抱えたまま彼と接するのだろうし、彼にはついぞ打ち明けないまま、墓場までそれを持っていくのだと思う。

それだけである。

この話にオチはない。言うまでもなく、ヤマも、意味もない。

以上。

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