『なんで僕に聞くんだろう。』本の記録①
ほとんど本を読まない私が、本を読みたいと思って買った。
活字が大の苦手な私が、1冊の本を読み切った。
私は相談者の気持ちにもなれないし、相談に答えた幡野さんの気持ちにもなれないけれど、
文法が綺麗に並んだ文章より、
心理的な何かで相手の心を動かそうと置かれた単語より、
編集で整えられた言葉より、
難しい言葉が羅列された小説より、
その場しのぎの同情や根拠のない励ましより、
私の身体のなかにヌルッとズシッとグサッと入ってきた。多分これが私が久しぶりに1冊の本を読み終えることができた理由、かな。
最後まで読んだ時、泣いていた。もう一度開いて2回目を読みたかったけど、言葉の処理が追いつかなず開かなかった。
それだけ濃くて重たい本だった。
人の背中を押す、というのはめちゃくちゃ難しいことだろう。
共感でも、同情でも、励ましでもない。
この本を読んでもどう背中を押していいかなんて分からなかったけど、私はこの本を読んで確実に背中を押された。こんな言葉選びをする方に今まで出会ったことがない。
幡野さんは人生何周目だろう。
幡野さんの視野はどれだけ広いのだろう。
幡野さんになってみたい。
読みながらなんど思ったことか。
この本を読んで、人のために生きるのは辞めようと思った。
別に今まで誰かのために!と生きてたわけではないのだけれど…自然とそうなっていた部分と、そうなっているがゆえに、何かあったときにあの人のせいで…となっていた自分がどこがいた気がする。
私の母は、この本の言葉を借りればいわゆる「毒親」に近いのかもしれない。
兄と弟に挟まれた唯一女の子だった私は、他の兄弟よりも厳しくしつけられた。というよりも、離婚前はストレスのはけ口が父だったのが、離婚後私になった、というような感じだ。
私は母の顔色を伺ってばかりいた。こうしたら怒られるだろうな…また叩かれるかな…
自分がやりたい本音は言わず、世間的に見る「いい子」でいた。そうしていれば母は嬉しそうだった。
私は……苦しかった。
きっと心のどこかで、こうしたら母が…母のためにと思っている自分もいただろうし、
マイナスに物事が動いた時は、母のせいで今こうしてるんだ、母がこんなんだからやりたいことができない…と思っていた。
この後者の私をなくしたい。と本を読みながら感じた。
誰かのために、がいつの間にか誰かのせいでになっている、
だからこれからは「自分のために」
…やってみよう。
この本に出会えて心から良かったと思ってる。