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そうか、私は未だに「ごめんなさい」って思ってるんだ。




日々「後悔はしない」と言いながら、実は結構過去を悔やむタイプの鍼灸学生5児の母かすみんですどうもこんばんは。



大豆田とわ子について書いてるふりして、こっそりと母に対するラブレター仕様になっていた昨日のnote。




書き終わったあとにね、実はちょっぴり泣いちゃったんです。


なんの前触れもなくそんなこと言われても、情緒どないなっとんねん問題だと思うんで、今日はアラサーが急にホロリときても、それは決してメンヘラではないという事を証明していこうと思います。
(なんの決意)


あ、ちなみに今日のnoteはびっくりする程暗いんで、ちょっとそういうの今は読みたくないな〜って人はマジで避けて下さい。
本当に、読み終わったあと嫌な気持ちになると思います。








いい?

    



もう大丈夫??






引き換えしたよね??
(誤字がすごい)






大丈夫だよね??
(シンプルにしつこい)




ではいきます。



かすみ、いっきまーーーす!
(もちろん口調はアムロで)





(スベる時は堂々と)








遠く離れて暮らす彼女にも、深い理解者がいるといいな。


昨日のnoteで、私が母へ宛てた想い。
これって、逆を言えばつまり“そういう人が周りにいない”ってことになりますよね。

実際は私の弟も妹も実家にいるし、母には気心知れた友達もいるので、周りに理解者はいるし、彼女はとても楽しい人生を生きてると思います。


だけどね、パートナーはいない。


そのきっかけを作ったのは、大きく舵を切っていったのは、他でもない私だったんですよね。



何度か書いたことはあるのですが、私の父はニート時々フリーターなゆるキャラで。


私の母の口癖は、「おじいちゃんとおばあちゃんが元気なうちは別れられないよね。」だったんですね。

生活が完全に別れている2世帯同居だったんで、至らない夫の(金銭的な)面倒をみてくれたりで、頭が上がらないと思ってたみたいで。


私が母の立場なら「え?おたくの息子、どういう仕上がり?」という逆に詰め寄る案件になるのですが、そこが彼女の大豆田とわ子感なんだなと思います。



そんな感じで良くも悪くも奇跡的に続いていた婚姻生活の条件だった「おじいちゃんとおばあちゃんが元気」という条件が破綻した日。


おじいちゃんのお葬式の帰りに聞いてみたんです。
「“元気なうちは”って言ってたけど、これからどうするの?」

白か黒かを生きることが正義だと思っていた当時の私としては、一刻も早く母に幸せになって欲しかったので。

でもグレーを上手に生きてきた彼女は、その問いかけにイエスともノーとも言わず「次に金銭的なトラブルが起きた時かな〜」という返答で。



結局その時は私もそれ以上は何も言えず(うそ食い下がったかも)、諸々が終わってから新幹線で帰宅したのですが、その次の里帰りのタイミングに「あーあ、これはもう無理だね。」という決定的なことが起こりまして。


パンダもびっくりな白と黒しかない世界を生きていた私は、当時2歳だった長男をベビーカーに載せ、0歳の次男は抱っこひもに。
その状態で地元の役所へ離婚届をもらいに行ったんです。


役所の人は思ったでしょうね。

「このヤンママ、これから一人で大丈夫かよ」


(ヤンキーじゃなくてヤングの方ね)



傍から見たらドキドキの象徴でしかない状態の私がもらった離婚届は、もちろん自分の為ではなく両親の為のものです。


白のパンダをどれでも全部並べたPUFFY達もびっくりだったでしょうね。
どんだけハッキリさせたがんねん。と。

とにかく私は!
母に一刻も早く幸せになってもらいたい!


と同時に。
振り返った今思うのは、絶対ね、少しだけ思ってたんです。
「今まで散々言ってきたんだから、やれよな。」って。


だって、ずーっとずーっと聞いてきたんだから。
ちっちゃい時からずーーーっと。


ずーっとずーっと見てきたんだから。
肌で感じてきたんだから。



「別れたい別れたい」っていつもいつも言ってたよな?
お前が言う条件全部揃ったぞ。
それで別れないとか、まさかそんな訳ないよな?って。


小さくても確実にあった。
それは、濃縮された復習でした。 


#続きはまた明日  


追記:続きだよ!



#熟年離婚
#子供が思うこと


褒められて伸びるタイプです💁 サポートは大いに甘んじて受け取ります🙆♥️