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苦手な人

私が人を見るとき、
学歴や肩書きには興味はなく、
見ているのは人柄がほとんど。

お金持ちでも、お金が無くても、
高学歴でも、そうでなくても、
人が羨む職業でも、違っても、
好きな人は好きだし、苦手な人は苦手だ。

今までの苦手な人を思い返してみると、
多分肩書きでしかアピールできないような人が苦手なんだと思う。

お金や、学歴、職業、地域、人はそういったもので優劣を無意識にしているものだけど、

私は人より上ですよと言いたいんだなという人が苦手なのだ。

それは父親の影響が強いのだと思う。
父親は努力していい大学を出て、それなりの仕事をしていたが、それだけが自分のプライドだった人だ。
なので人の基準は学歴や職業で判断していたし、馬鹿にしたりしていた。

私はそれが嫌で嫌で仕方なかったのだ。
なので少しでもそのような雰囲気のある人には嫌悪感を抱いてしまう。

理由は多分それだけのことなんだと思う。

私は、なにに対してもやる気が出ないのもあったし、勉強もそれほどせずに、ただ興味のあることをそれすらも適当にやってきた、中途半端な人間だ。

高学歴な人は人を見下す。
当時はそのイメージが付いてしまっていて、
学校の勉強を頑張ったとして、このような人間になってなんの意味があるのかと思ったりもした。

今となっては、知っていて当たり前なことすら知らない自分を情けなく思ったり、恥ずかしかったりするから、学生の時に頑張らなかったことを後悔したりもする。だから勉強はした方がいいと思う。

でも、やっぱり肩書き主義な人や、それを基準に人を見下す人を苦手なのは変わらない。

昔放送していた
“アルジャーノンに花束を”というドラマがある。
同じ人物でも知能や知識が増えるにつれてこんなにも人は変わってしまうんだなぁと思った。
周りの人に恵まれて自分の間違いに気付いていくこともあるんだろうけど。


そんなのもあって、我が子に勉強をしろと強く言わない。というか言えない自分がいる。
勉強は大切だとは教えるが、勉強するかしないかは本人に任せている。

それはきちんと勉強してこなかった私の逃げでもあるし、
勉強せずに怠けて、そしてある時バカにされたとして、悔しい思いをするのもいい経験かなと思ったりもする。
なにくそと思って次は頑張るのもいいし、気にしないと思ってそのままの自分でいるのも、それもまた自由だとは思う。

最終的に
人間を学歴や職業などで底辺だとか、負け組とか、そんなことを平気で言っている人を見て、ちょっと違うよねと思ってくれたらそれでいいかなと思っている。

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