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死を選ぶという事
元気そうに見えていた人が、死を選ぶ。
周りの人は驚く。
そして赤の他人までもが原因を探るべく想像してはネットで繰り広げる。
そんな事赤の他人がいくら考えたってわからないし、本人ですらわからないかも知れないのに。
その人の死がショックだから、なぜ死を選んだのか、知りたい気持ちになるのはわかる。
親しい人ならば、止める事はできなかったか思うし、過去を思い返して悔やんだりするかもしれない。
例えば本人が死を選んだ理由を明確に残したとしたら、残された人はどう思うんだろうか。
理由によっては誰かを恨み、
理由によっては自分を責めて、
理由によってはやり場の無い気持ちを抱えて。
どんな理由であれ、死んでしまったことは事実で、もう会える事のない大切な人の死をひどく悲しむことに変わりはない。
それでも親しい人ならば理由が知りたいだろう。
自分を想ってくれている人が1人でもいたら、その人のことを想い、踏み止まる事ができるかも知れない。
やりたい事が一つでもあればまだ生き続ける選択をしたかも知れない。
だけどそれができるのは心がまだ健康だからなんだろうと思う。
人は悲しくても笑えるし、苦しくても笑える。
助けてほしくても大丈夫な振りができるし、
傷ついても平気な振りができる。
人は見た目よりも思い悩んでいる。
人生の中で死という選択が何度か頭をよぎる時、
そのうちの一回何かがピタリと合ってしまって、その先へいってしまう。
レントゲンでも見えない心の中は
周りの人にはわからない。
色んな心無い言葉が、自由を言い訳にして簡単に人を傷付けたり、傷付けられたりする時代。
死を選べば、誰かは絶対にひどく悲しむんだという事を信じて。
世間体より、常識より、
色んな”しなければならない事”より
自分の命を大切にしていけるように。
自分で死を選ぶこと。
誰が亡くなったとしても、なんとも言い難い辛い気持ちになる。
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