かっこいい大人への道のり

日本もイギリスも少しずつ新しい生活が始まっていますが、私はといえば、ほとんど外に出ることもなく家にこもって課題をやったりしています。コロナ騒動の前から授業に行く以外は部屋にこもって勉強したり、合間にSNSをやったり、本やマンガ映画を見たりする超絶地味な暮らしをしていたので、あまり変わりないと言えば変わりないです。

先日SNSで就職時の女性差別に関する記事を見つけ、その仕組みを目の当たりにしてきた身として、その深刻さ、問題の大きさにぐったりしました。今は以前の”普通”が若い人たちから真っ当に批判されていて、頼もしいなあ、と思う一方、私の思考が古いんだな、と思うところもあり、自分がどんどん「老害」化してることに気づいてしょげたりしました。どうしても年を経るにつれ経験に基づいて言葉を出しがちになりますが、”普通”は時代時代でどんどんアップデートされるし、特に最近はそのスピードが早いと思います。自分がアップデート出来ていないことでどんどん頭の固いおばさんになっていくのはまあ、良いとして(良くはない)、真っ当な価値観を基にして、古いものを壊そうとする勇気のある若者たちの邪魔だけはしたらいかんなあ、と思ったりしました。

しかし、当たり前のことに当たり前に怒れる若い人が妬ましくも感じます。私達がアンフェアながら苦しんで我慢したり、従属してきた価値観をひょいひょいと乗り越えて先に行くであろう若い人たち。こんなことを変えることすら出来なかったの?と笑われている気がします(被害妄想)。そう感じること自体が自分が成熟していないことの現れです。かっこいい大人とは、ぐっとこういう子供っぽい気持ちを飲み込んで、「私達の世代が変えられなくてごめんなさいね、一緒に変えていきましょうね」といえるようになることなのだなあ…。はあ、道程は長い。そしてもう私は若者ではない、しっかりしなければ…。

なんだかまとまりないですが、それではまた。

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