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そういうものと「知っている」のと「わかる」は違う

主婦です。

娘と絵の具遊びをよくします。
昨日もたくさん描いて満足した娘。
まだ小さいのでパレットや筆洗を洗うのは私です。

洗いながら自分が小学校で絵の具を習い始めた時のことを思い出しました。

真っ白なパレットに絵の具が付いていて、
先生に洗っておいでーと言われて洗いに行く。

思ってもないくらいに水が出る学校の蛇口とも戦いつつ、使い古しの歯ブラシでごしごしこする。

でも、絵の具ってなかなか取れない。
パレットにどうしても薄く残ってしまう。
それが嫌で嫌で。
レモン石鹸を歯ブラシにつけて頑張る。
でも取れない。

友達も待ってるし、先生は急かすし、チャイムはなるし。
結局納得のいかないままパレットや筆洗の洗浄を終える。

白くならないことを先生に伝えても、
そんなもんだっていう。

幼い頃の私がそれが不満で不満で。

でも何度もそれを繰り返してやっと汚れは残るものとわかって。
その後は後片付けも適当になったりして。

残るものだと教えてもらって知ったとしても、
自分のなかで腹に落ちるまでタイムラグがかなりあった。

大人になってからもそう。
学生時代仲の良かった友人と、結婚出産を機に疎遠になったり。
別れた人が自分のことを考えなくなったり、
親子でも分かり合えないものがあったり、


そんなこと当たり前なのに、
わかる。までは随分心揺れてしまう。
なんなら今もそんな感じだなぁーって考えてたら、娘がお菓子をおくれと騒ぎはじめた。
急がないとご機嫌斜めさんになる。
今日はこれくらいにしよう。

パレットに残った絵の具の跡を見て、
今までいっぱい描いてきたんだなぁって思える日が来たらいいな。

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