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カストリ書房移転クラファン応援メッセージ・東雅夫 様

移転に際して開催したクラファンには、様々な分野から応援メッセージを頂戴しました。クラファン本文でもご紹介していますが、改めてこちらでもお伝えしたいと思います。(なおクラファン本文では五十音順にご紹介したので、こちらでは五十音逆順でご紹介します)

前回の都築響一様に続いて、今回は東雅夫(Twitter)様をご紹介させて頂きます。以下頂戴したメッセージです。

カストリの殿堂めざして

稀少なカストリ雑誌の探索と研究に執念を燃やす「カストリ出版」店主・渡辺豪氏の八面六臂の活躍ぶりは、古書好きの読者諸賢なら、先刻御承知だろう。

もっとも、私自身は豪さんと知り合う以前に、夫人の水谷さんのお世話になっていた。怪奇幻想短篇の逸品を紹介するグループ「ロウドクシャ」のメンバーとしてである。

先日は、ひょんなことから旧・吉原の面影を残す料亭で、豪さんやゲストの若い皆さんと共に「遊廓と怪異」というイベントを御一緒することになった。折しも、その際、話題に出た吉原弁財天さんの近くに社屋を移し、よりパワーアップされた形で、カストリ探究に精進される由。善哉、善哉。

願わくは、志を同じくする皆さんの、御支援・御賛同を賜りたく、ここに平伏して、お願いする次第であります。

アンソロジスト、文芸評論家の東さんについて今さら私の拙い紹介など不要ですが、怪談専門誌『幽』の初代編集長を務め、幻想文学、怪談のアンソローなどを手掛けておられます。東さんのTwitterをフォローしている人であればご存知でしょうが、精力的な編纂、執筆活動に圧倒されます。また、こう申し上げるのは誠に僭越ですが、SNSを利用する同世代に比べて、とてもスマートに運用されているお姿が印象的です。

過日、弊店が開催したイベント『シンポジウム遊廓と怪異』に東さんがご登壇くださる栄誉に預かり、ご縁を頂戴しました。イベントは告知と同時に即日完売状態。

『シンポジウム遊廓と怪異』(企画・茶谷ムジ)。画面手前、店主渡辺、奥、東雅夫様

遊廓という歴史が抱える負の側面からか、遊廓と怪談の結びつきは浅くはなく、文芸作品に扱われることも稀ではありませんでした。岡山の遊廓を舞台にした岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』はよく知られています。

東さんが編んだ『日本怪奇実話集 亡者会』も、吉原遊廓を舞台にした怪奇作品を多く収録しています。是非お買い求めください。

イベント『シンポジウム遊廓と怪異』開催にあたって、なぜ遊廓を舞台にした怪談伝承が生まれるのか?と私なりに考えてみました。

私たちがより良い社会や生活(とされるもの)を得るために、少数の誰か(何か)を犠牲にして捨て去ることを正当化しようとするとき、その罪悪感は恐れに変わるのではないか──

拙いなりに私はこう考えています。象徴的な事例があります。

日本海に浮かぶ佐渡ヶ島は、金銀鉱山や北前船寄港地であったことから近世期からいくつか遊廓がありました。

佐渡金山に設けられた遊廓は、慶長17(1612)年には娼街の存在が文献で確認でき、吉原遊廓が創設された元和4(1618)年より古い歴史を持ってます。創設時は他の居住者と混在して「相川千軒」と謳われた鉱山町の町域内に存在していました。時代が下って金山が衰微すると、享保2年(1717)年、風紀を理由に海沿いへ移転しました。以降、水金遊廓と名づけられ、戦後まで続きました。移転後の水金遊廓は囲繞され、周囲から隔絶された空間となりました。

周りを囲いこまれ、周囲と隔絶状態にあった水金遊廓(『佐渡郷土文化』82号所収)

この水金遊廓には以下を始めとする怪談が多く伝承されています。

遊廓に縁のある寺のご住職の回顧談「小さいころ父はよく頼まれて○屋(妓楼の屋号)の土蔵へ読経へいった。その土蔵では、折檻されて死んだ遊女の亡霊が夜な夜なあらわれて主人を苦しめるという話を父はしていた」

磯部欣三『佐渡金山の底辺』(伏せ字はカストリ書房渡辺による)

引用した『佐渡金山の底辺』の著者・磯部欣三は、水金遊廓があった相川町(現 佐渡市)で生まれ、地元遊廓について造詣が深く、のちに佐渡博物館の館長も務めた人物です。磯部は「怪談話は小木にはなく、水金町固有のものだ」と指摘しています。

磯部が言及する小木とは北前船寄港地でもあった港町で、同名の遊廓を指します。小木遊廓の娼家は歴史の終わりまで市街と混在していた状態にありました。

磯部の指摘は、街から排除された遊女から怪談が生まれ、「隣人」であり続けた遊女から怪談は生まれなかったことを意味しています。

無論、佐渡だけの例をとって結論づけることは乱暴ですが、明治以降、各地の遊廓は風紀問題などを主な理由に、これまで港町や宿場町に混在していた娼家が、街外れの一角に集められて、地理的空間が切り離されていった経緯があります。近世期に比べて、近代期は遊女へ蔑視が強まったことが指摘されています。こうした地理的空間の隔絶もまた蔑視を強化させたのではないか、私はこう考えています。

応援メッセージを寄せてくださった渡辺憲司先生は同じく佐渡の水金遊廓を取り上げ、次のように指摘しています。

そして明治〈近代〉の訪れは(中略)、民衆の倫理的正義は、遊女を隣人の場から追い払い差別していく。(中略)遊女たちは人間らしく死ぬことすら許されなくなったのである。

渡辺憲司『江戸遊里盛衰期

怪談というと、店主渡辺のnoteでも言及しましたが、ともすると俗耳を引くための消費的な関わりに陥りがちです。イベント『シンポジウム遊廓と怪異』は、私自身に新しい見方を与えてくれるイベントとなり、胸を貸してくださった東様に心から感謝しています。

また本来、クラファンの応援メッセージなどは受けておられないにもかかわらず格別のご高配を頂戴しました。

この場を借りて、暖かいメッセージを下さったこと、改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

ご共感頂けましたら、クラファンへのご支援をお願いします。