見出し画像

移転の苦労と、周りに助けて貰ったこと

移転が確定した2022年当時、あれこれ考えた挙げ句、実店舗は店仕舞いして、ネットに完全移行する心づもりでいた経緯を以前書き記しました。

思った以上に多くの方から反応を頂戴しました。もとは店主の私、渡辺豪が純粋に個人的な興味から遊廓取材を始め、「遊廓の歴史を残すためには、情報の書き手以前に、まずは器のようなものが必要なのではないか?」との構想でスタートさせた遊廓専門書店カストリ書房でしたが、いつの間にか多くの方たちの思いに支えられたことに気づかせて貰いました。

移転作業のアレコレについては、クラファン本文にも載せましたが、まず頭が痛いのは、大量の本をどのようには運ぶのか?ということ。窮地にあるときこそ本当の人間関係が分かるとはよく言ったもので、「車を出しましょうか?」「力仕事手伝いますよ!」など沢山の方が声を掛けて下さいました。台車は取次の鍬谷書店さんがご厚意でお貸し出し下さいました。

その他にも、具体的なアクションはなくとも、こちらを配慮して連絡頻度を下げてくれたり、静かに見守ってくれたり。本当にありがとうございました。あるいは差し入れや陣中見舞いなどを頂戴したり。反面、これまでの自分の振る舞いは頂戴したご厚意に見合うものだっただろうか…と恥ずかしくもなりました。

かと思えば、「せっかく移転するなら見学したいので、ゆるゆる相談しませんか?」といった意味不明な打診や、移転休業中でも店内に立ち入り、持論をまくし立ててポストカード一枚買わずに去って行く高齢男性など、本当に窮地にあるときほど見えてくるものがありました。

今回は、搬出搬入の時に気づいたことと、新店舗の造りについて述べてみたいと思います。

店内の作業スペース、店外の駐車スペースなどの関係から、ヘルプのお申し出は謝絶させて貰い、自分で台車を押して、吉原遊廓跡を何十往復かして約9日ほど掛けてようやく搬出搬入を終えました。苦労話は自慢話の一つに過ぎず、言い募ってみても詮ないのですが、やはり体温を超えた気温下での力仕事は堪えました。

旧店舗と新店舗はわずか500メートルで、さしたる距離ではありませんが、段ボール4箱程度でも本の重量は相当で、できるだけ段差のない路面を探しました。上記のルートが最適でした。(もし今後、千束4-39-3から千束3-21-14まで大量の荷物を運ぶ方がおられたら、参考になさって下さいね)

自分が窮地にあると、恥ずかしながら今まで漫然と見過ごしていたことに、今さら気づくもので、道路の小さな段差やごく緩やかな傾斜、ちょっとした道の譲り方一つでも足腰が悪い人、車椅子や杖の人にとっては大きな負担や障害になり得るのだと、炎天下でぼやける頭の片隅で考えたりもしました。

旧店舗に来店したことのある方ならご存知でしょうが、高低差45センチほどの上がり框があり、この造りは古民家の風情があって好きでした。が、「古民家の風情」と私が悦に入っている一方で、自分の知らないうちに、少なくない人に迷惑と不便を掛けてきたのだろうと考えるようにもなりました。

クラファン本文でも書き添えましたが、ドアに1.5センチほどの段差はありますが、一番奥のカフエーエリアまで段差がありません。

新しく店を構えるというと、レイアウトなど、つい飾ることに意識が向かってしまい、勿論これは楽しい作業なのですが、苦労した(そして激烈に腰を痛めた)搬出搬入が、バリア・障壁について考える機会になりました。苦労は必ずしも報われるものではありませんが、今回の苦労はこれだけでも無駄ではなかったと思っています。

クラウドファンディングは9月30日まで開催しています。ご共感頂けましたら、ご支援のほどよろしくお願いします。

※ヘッダー画像:「力仕事は身体が資本!」を言い訳に連日食べていた能登屋さんの定食。能登屋さんは吉原遊廓跡にある蕎麦・定食屋さん。戦後昭和25年前後に催された花魁道中の写真など、あまり戦後史に触れることがない吉原にあって珍しい歴史の一片が店内に掲示してあります。