アイドルを見つめている理由

8/3。
timeleszの宮城公演に足を運んだ。
timeleszは改名前の2017年ごろから1〜2年に一度くらいのペースでライブを見ていて、2019年にFCに入った。
自担は松島さんだった。

何故過去形かというと、今回のツアーを最後に、一度このグループのオタクを卒業することを決めていたからだ。
きっかけは紛れもなく中島健人の卒業だった。

このグループは五人組だったのに、振り返れば五人でいられた時期がごく僅かであった。
五人全員のことが嫌いになったわけではない。
熱心に追いかけるだけの体力がなくなった。
timeleszのことを自然と考えることが減った。
そういったものの積み重ねの結果、「あ、オタク卒業したな」と思った。
こうやって普通の人は数年で熱量のあったものとお別れして、次に行くのだと思う。
でも好きだった過去は変わらないし、今後も機会があれば足を運びたいとは思っている。

さて、本題。
そんな気持ちを抱えながらライブを見ていたので、どこか冷静になりつつ、ライブを楽しんだ。

そして途中でふと、「私は、自由に考えられる余白があるから、アイドルを見ているのだ」と思った。

アイドルたちは、歌い踊るパフォーマンスがメインだ。その他にも、テレビでバラエティやドラマに出たり、舞台で演技したりする。今はSNSもやっている。もちろん、雑誌で写真やインタビューが載ったりする。あ、ラジオもやっている。

その人の事、全て知ることはできない。
ひかし、その人の断片をテレビや雑誌4ラジオなどの媒体を通じて我々は受け取る。
何かしらの媒体を通じている時点でフィルターがかかり、さらに受け手側が多数なために、「その人」に対する解釈や理解はさまざま。同じ文章を見ても、受け手の解釈によって変わってしまう。

それが、先ほども書いた「自由に考えられる余白」の部分だ。
とはいえ、そういう与えられた情報の上に成り立つ自由であることはお分かりいただきたい。
「自由に考えられる余白」と「妄想」の境目は、情報源やソースがはっきりしてるかどうかだと、私は考える。

そして、私はアイドルを考えることを通じて、社会のことも見ていた。

ただ、普段からこう意識して考えているのではない。いつのまにか無意識のうちにこうなってしまっていた。
もちろん、顔はいいし、かっこいいし、パフォーマンスも良い。でも、他の俳優や芸能人よりもアイドルを好きになるのは、その人について考えられる「余白」があるから。他の俳優や芸能人よりも「余白」が多くあるように思えるから。

好き!かっこいい!きゃー!顔が好き!疑似恋愛!みたいな理由でアイドルを応援している方が単純で分かりやすく理解されやすいとは思う。

でもその他にもあるアイドルを応援する理由の一つに、この「余白」があるのだと、ライブを見ながら行き着いたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?