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分析手法の証明力 ―薬物分析―

あなたの分析手法、戦闘力はどのくらい?

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世の中に数多ある分析手法や装置の中から、あなたは何をどれだけ使いますか?
薬物分析のガイドラインから、それぞれの分析手法の ”力” を読み解きます。

化合物を同定するということ

世の中には様々な化学分析手法が存在します。
それらは様々な原理を用いており、使用すれば様々な結果が得られます。
このとき、用いる手法によって、得られた結果からどこまで言えるか、程度が全く異なってきます。

未知のものを分析して化合物を同定する、「その化合物が何であるか」を科学的に証明するためには、どんな分析手法をどれだけ用いる必要があるのでしょうか。

例えば、化学の学生実験で定番の薄層クロマトグラフィーではどうでしょうか。
目的が「既知の有機合成反応において反応の進行を確認する」だけであれば、薄層クロマトグラフィーにおいて原料のスポットが消えて生成物のスポットが現れれば、「目的物ができた」と判断して次のステップへ進んでも良いでしょう。
では、目的が「違法な薬物かもしれない粉末の鑑定」であればどうでしょう。Rf値が文献と一致した、並べて同時に展開した覚せい剤の標準品と一致した、さらに展開溶媒の条件を変えても標準品と一致した。もしここまでやったとして、この結果だけでその粉末が覚せい剤であると言えるでしょうか?その粉末を持っていた人を有罪にして牢屋に送ることができますか?

……とても無理でしょう。

薄層クロマトグラフィーは便利な分析手法ではありますが、「化合物を同定する」には戦闘力が足りません。もっと手間をかけて展開溶媒を3条件4条件と変えていったとしても、薄層のシリカゲルとの親和性が類似した、全く別の化合物である可能性が大きく残っています。

次の例として、抗原抗体反応を利用するイムノアッセイはどうでしょうか。尿中や血液中の薬物を検出する簡易検査キット(トライエージなど)で広く利用されていますが、抗体が化合物を認識する原理上、ターゲットとする化合物以外に、構造の似た別の化合物に対しても反応してしまう、いわゆる交差反応があります。症状や診察と合わせて判断できる医療の現場では有用な手法ですが、ターゲットの化合物を検出できているとは言えません。
こちらも、人を有罪にするには戦闘力が足りません。

それでは、ガスクロマトグラフィーならどうでしょうか。
ガスクロマトグラフィーは、特に主流のキャピラリーカラムの分離能が高く、各化合物の沸点とカラムとの相互作用の差によって保持時間が分かれます。
適切なメソッドで分析して、ターゲット化合物の標準品と同じ保持時間にピークがあれば、ターゲット化合物を検出できていると言えるでしょうか。
……先に挙げた薄層クロマトグラフィーやイムノアッセイと比較すると、ガスクロマトグラフィーはかなり高い戦闘力を持っています。
しかしながら、分離能力が高いとは言っても、あくまで化合物の沸点とカラムとの相互作用の強さを見ているだけなので、化合物の性質の一側面を見ているだけに過ぎません。

試料の状態と検出されるものがある程度決まっている分析であれば、ガスクロマトグラフィーの戦闘力は十分です。しかしながら、生体試料やそもそも背景の不明な試料など、何が入っているのかわからない試料の分析では、予期しない化合物が同じ保持時間に現れたり、被って邪魔をする可能性があります。
人を牢屋に送るなら、もう1歩踏み込んだ分析手法が欲しいところですね。


「……だったらいったいどんな分析をしたら『確実に検出した』と言っていいの?」


この疑問に答えるためには、どの分析方法がどれだけの証明力<<ちから>>を持っているのか整理する必要があります。

SWGDRUG

そこで、本稿では「Scientific Working Group for the Analysis of Seized Drugs(SWGDRUG)」の「Recommendations Version 8.0」を参照します。

Page15の表を見てみましょう。
一部を引用します。

Category A (Selectivity through Structural Information)
Infrared Spectroscopy(赤外分光分析)
Mass Spectrometry(質量分析)
Nuclear Magnetic Resonance Spectroscopy(核磁気共鳴分光)
Raman Spectroscopy(ラマン分光)
X-ray Diffractometry(X線回折)
Category B (Selectivity through Chemical and Physical Characteristics)
Capillary Electrophoresis(キャピラリー電気泳動)
Gas Chromatography(ガスクロマトグラフィー)
Ion Mobility Spectrometry(イオンモビリティー)
Liquid Chromatography(液体クロマトグラフィー)
Microcrystalline Tests(微結晶試験)
Supercritical Fluid Chromatography(超臨界流体クロマトグラフィー)
Thin Layer Chromatography(薄層クロマトグラフィー)
Ultraviolet/Visible Spectroscopy(紫外可視分光)
Macroscopic Examination (Cannabis only)(外観検査(大麻のみ))
Microscopic Examination (Cannabis only)(顕微鏡検査(大麻のみ))
Category C (Selectivity through General or Class Information)
Color Tests(呈色試験)
Fluorescence Spectroscopy(蛍光分光分析)
Immunoassay(免疫学的測定法)
Melting Point(融点測定)
Pharmaceutical Identifiers

代表的な分析手法を、構造情報による選択性をもつカテゴリーA、化学的・物理的性質による選択性をもつカテゴリーB、大まかな分類を与えるカテゴリーCに分類しています。

そして、単独の分析手法だけでなく、これらの手法を組み合わせて複数用いることが求められています。
中でも、

・カテゴリーAから1つと、他に原理の異なる手法を1つ。
・カテゴリーBを2つ含む、原理の異なる手法を3つ。

などの組み合わせが求められており、薬物の確実な分析のために、これらの分析が(最低限)必要とされています。

この記事の最初に例に挙げた分析手法を振り返ってみると、
「薄層クロマトグラフィー」はカテゴリーB、「イムノアッセイ」はカテゴリーC、「ガスクロマトグラフィー」はカテゴリーBです。
したがって、これら3つの分析手法は、3つとも全てやって初めて、最低限のレベルを満たすことができる分析手法ということになります。
戦闘力が足りない、というのはそういうところですね。

hyphenated technique

複数の分析手法の組み合わせが必要、という話をしました。
原理の異なる複数の手法で、化合物を複数の側面から分離・識別してやることで、化合物同定の確度を高めようという狙いです。

しかし複数の分析手法を実施することは時間と手間のかかるもの。
効率よく分析を行うことには常にニーズがあります。

そこで、重宝されているのがhyphenated techniqueとも呼ばれる、ガスクロマトグラフィー質量分析(GC/MS、GC-MSとも)や液体クロマトグラフィー質量分析(LC/MS、LC-MSとも)などといった、複数の分析手法を合体させた分析手法・装置です。

ガスクロマトグラフィー質量分析は、その名の通りカテゴリーBのガスクロマトグラフィーと、カテゴリーAの質量分析を組み合わせた分析法であり、これ1つでも最低限の条件を満たすことができるほど、選択性の高い分析法です。
このGC/MSやLC/MSは、薬物などの低分子有機化合物の分析において、ほぼ必須の分析手法となっています。この手法で化合物が検出され、標準品と一致すれば、十分な証明力があると言えるでしょう。

この手法は選択性が高いだけでなく、検出感度も高く、GC/MSでは注入量でng(ナノグラム)程度、LC/MS/MSでは装置によってpg(ピコグラム)やそれ以下のごく微量の薬物をも検出可能です。
さらに、生体試料のような、前処理をしたとしても多数の夾雑物質を含む試料であっても、クロマトグラフィーによる分離と質量分析によって、微量の化合物を同定することが可能です。

2つの分析手法を一度に行えてかつ、有用な特徴を持つこれらの手法は、薬物分析において、化合物を確実に同定する非常に有効な手段となっています。

まとめ

違法薬物の分析など、人の人生がかかった分析では、誤りは許されません。

そのため、性能の高い分析手法を用いるのはもちろん、さらにそれらを複数組み合わせることで、確実な化合物同定が行われています。

ほかの目的で分析・検査を行う際も、その目的にどれだけの証明力が必要なのか、それを達成するためにどんな分析が必要なのか、考えてみることが重要です。

また、日常生活において皆さんが触れることのある、例えばインフルエンザウイルスの簡易検査などの分析や検査を見るときも、その検査がどんな検査なのか、何を検査しているのか、そしてそれがどれだけの証明力を持っているのか、気にしてみるといいかもしれませんね。


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