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夏休みの自由研究 ―白い粉の鑑定―

※大学にあるレベルの機器を使った白い粉の化学分析を解説した記事です。
 小中学生の夏休みの自由研究を期待して来た方はお戻りください

Let's 白い粉の鑑定!

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新企画、夏休みの自由研究と題しまして、大学の設備でできる白い粉の鑑定方法を考えてみます。
前情報無しの「とある白い粉」を想定して、どんな分析装置を使ってどんな情報が得られるか、検討してみましょう。

※思考実験です。実際の鑑定法とは異なる場合があります。

1. 顕微鏡観察

まずは実体顕微鏡で見てみます。
一口に「白い粉」と言っても、顕微鏡で観察してみると粒の大きさや結晶の形は様々です。

食塩のような肉眼でも見えるサイズの結晶か、小麦粉のような結晶っぽくない粉末か、何なら砂のような鉱物かもしれません。ほかに、全体が一様な粉末か、明らかな混合物かなど、詳細に観察しましょう。
さらに、押し潰してみたり、水や有機溶媒に溶かしてみたりするのも良いでしょう。
これら観察の結果を元に、今後の分析の方針を立てていきます。

さらに、必要であれば生物顕微鏡を用いてさらに高倍率で観察するほか、鉱物やデンプンの可能性がある場合は偏光顕微鏡による観察も有効でしょう。

余談:
「白い粉これくしょん」という同人誌も有名です。
http://c.joch.jp/kona/

2. 赤外分光分析

白い粉が有機物の場合、赤外分光分析(IR)は非常に有効な手段です。

教科書的に特性吸収から官能基を帰属する……こともできますが、全く未知の状態からそれをやってもそれほど有力な情報は得られません。
頼りになるのは既知の化合物の赤外吸収スペクトルが登録されたライブラリーです。白い粉が一般的な物質である場合は、IRだけで確定できることも多いでしょう。また、ライブラリーと完全には一致しなくても、似たスペクトルを持つ化合物が候補に上がると有力な情報になります。

もし白い粉が混合物である場合は、各成分の量や赤外吸収の出やすさによって困難が伴いますが、スペクトルの減算や部分検索を駆使してやることで、複数の成分を特定できる場合もあります。

さらに、顕微赤外分光分析が可能な装置があれば、粉末の粒を選り分けて個別のIRスペクトルを取得できるかもしれません。

また、IRは無機物に対してもある程度有効です。
有機物と比較すると特徴の少ないスペクトルにはなりますが、対イオンの片側など、部分的な情報が得られる場合があります。

何にしても、機器分析のスタートとしてとりあえずIRを取るという使い方が良いでしょう。

参考:
IRの基礎知識
https://www.chem-station.com/blog/2005/05/ir.html

3. ラマン分光分析

ラマン分光はIRと相補的な役割を持つ分析手法です。
IRと同様に化合物に固有のスペクトルが得られるため、ライブラリー検索を通して化合物を同定することが可能です。ライブラリーの量はIRに劣りますが、ガラス容器越しに測定ができるなど、IRにない便利な特徴もあり、持ち運んで現場で使える携帯型の機器も市販されています。

こちらも顕微ラマンの装置を用いると、より細かい分布の分析が可能です。

参考:
ラマン分光法の基礎
https://www.jasco.co.jp/jpn/technique/internet-seminar/raman/raman1.html

4. 単結晶X線回折

粉末が無機有機問わず結晶である場合、単結晶X線回折は最強の分析手法です。
ライブラリーすら不要であり、小さな単結晶を1粒セットするだけで、結晶構造を直接決定できます。
昔は解析に時間がかかっていましたが、今の装置では低分子ならほぼフルオートで立体構造を明らかにすることができます。

タンパク質などの高分子であっても、単結晶にさえなっていれば立体構造を明らかにすることが可能です。

しかしながら、分析対象が単結晶に限られる故に、混合物の全体像を捉えるのには不向きです。粉末の正体を明らかにする際は、他の手法と組み合わせることが必須となるでしょう。

参考:
【Rigaku e-learning】単結晶X線構造解析 基礎講座/概論編
https://www.youtube.com/watch?v=wWqxzRSIZFQ&t=893s

5. 粉末X線回折

こちらは結晶性の粉末に使用できるX線回折を用いた手法です。
こちらは混合物の粉末であっても測定可能であり、またライブラリーも充実しているので定性分析に有効なほか、測定法と標準品のデータによってはある程度の定量も可能です。
ピーク強度比を標準品と合わせるところまで考えると、完全な定性には粉末の量がある程度必要なので、白い粉の量が少ない場合は優先度が下がるでしょう。

ライブラリー検索の絞り込みのために、後述の元素分析の結果と併せて解析することが必須です。それも含め、他の手法を用いてある程度のあたりをつけてから分析を行う方が良いでしょう。

参考:
X線回折装置の原理と応用
https://www.jaima.or.jp/jp/analytical/basic/xray/xrd/
全自動多目的X線回折装置 SmartLab (2018年モデル)
https://www.youtube.com/watch?v=6nsxr1EgmPs

6. 蛍光X線分析

重金属を含む第三周期以降の重い元素の検出を得意とする、元素分析の1つです。
エネルギー分散型と波長分散型の2種類の装置があり、波長分散型の方が分解能に優れており、元素の定性能力が高いですが、エネルギー分散型は装置のサイズや分析時間の点で優れています。

粉末が無機物と考えられる場合はもちろん、有機物の場合でも重い元素を含む場合に有効です。
非破壊かつ簡便に測定が可能なため、とりあえず測定しておきましょう。

参考:
エネルギー分散型蛍光X線分析装置の原理と応用
https://www.jaima.or.jp/jp/analytical/basic/xray/eds/

7. 走査型電子顕微鏡/エネルギー分散型X線分析装置(SEM/EDX)

蛍光X線分析と異なり、ある程度の軽元素も測定可能な元素分析の1つです。
SEMに付属しており、SEMによる細かい粒の表面の形態観察と同時に、画面上でピンポイントの元素分析が可能です。

検出元素の詳細な分布を見ることも可能なので、粒ごとに含まれる元素を明らかにすることができ、粉末の混合の状況も見やすい手法です。

参考:
走査電子顕微鏡(SEM)の原理と応用
https://www.jaima.or.jp/jp/analytical/basic/em/sem/

8. ガスクロマトグラフィー質量分析(GC/MS)

揮発性の低分子有機化合物の分析に適した手法です。
溶媒抽出などの前処理は必要ですが、ガスクロマトグラフィーによる高分離と主に電子イオン化による化合物の構造情報を反映したフラグメントパターンから、低分子化合物の構造決定に非常に有効です。

マススペクトルのライブラリーが非常に充実しており、既知の化合物はかなりの範囲が網羅されているため、医薬品等の粉末の分析にも役に立つでしょう。

粉末が医薬品の錠剤由来などの場合、大部分は錠剤の形を作るための賦形剤であり、有効成分はわずかしか含まれていないことも考えられます。これをそのままIRなどで分析するだけでは、量の少ない有効成分を見逃してしまいます。適切な前処理をした上でGC/MSを行うことで、微量の有効成分を検出することができるでしょう。

参考:
GCMS分析の基礎 4.1.1. GC-MSとは
https://www.an.shimadzu.co.jp/gcms/support/faq/fundamentals/gcms.htm#4-1-1

9. 液体クロマトグラフィー質量分析(LC/MS)

GC/MSと同様に、液体クロマトグラフィーによる分離と質量分析を組み合わせて化合物同定を行う手法です。
こちらは溶媒に溶ける化合物であれば測定が可能ですが、用いるイオン化法の特性が異なるため、適用範囲が少し異なります。

多くの有機化合物のほか、GC/MSで分析できない種類の難揮発性化合物の分析に有効です。適用できる化合物の範囲も広く便利な分析法ですが、イオン化法の違いから、GC/MSと比べてライブラリーに難があるため、MS/MSや精密質量も含めた分析が必要となる場合が多いでしょう。

糖やタンパク、界面活性剤など、ある程度質量の大きい化合物群にも適用可能であり、GC/MSと合わせることで、互いの特徴を補うことができます。

参考:
LC-MSの基礎ガイド
https://www.an.shimadzu.co.jp/lcms/support/lib/foundation_guide.htm

10. マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI-MS)

低分子の化合物から、タンパク質やポリマーなど高質量の化合物まで、広い質量範囲の分析が可能ですが、マトリックスの種類による得手不得手なども多く、全てに適用できるわけではありません。

また、クロマトグラフィーによる分離が無く、質量情報しか得られないため、混合物の分析には難があります。

ここまでの分析で得られた情報から、この手法が有効と予想される場合に使っていくことになるでしょう。

参考:
MALDIとは・・・
https://www.an.shimadzu.co.jp/ms/axima/princpl1.htm
MALDI TOF Process
https://www.youtube.com/watch?v=0jeFpXHZ8W0

11. 核磁気共鳴分光法(NMR)

有機化合物に最強の構造決定方法として名高いのがNMRです。
NMRの分析データから構造解析を行って、これ単独でもかなりの構造が決定できるため、未知化合物の構造決定に広く用いられています。

純品が数mg必要なので、あらかじめ各種クロマトグラフィーなどを用いて化合物を単離しておく必要はありますが、それさえできればゴールは間近です。

参考:
NMRの基礎知識【原理編】
https://www.chem-station.com/blog/2018/01/nmr.html

まとめ

ここまで様々な分析手法をバラバラと挙げてきましたが、重要なのは、

「1つで何でも分かる分析手法は無い」

ということです。
どの分析手法にもできることとできないことがあり、適切に使わなくては有用な情報は得られません。
測れるものと測れないもの、測れたとしてどんな情報が得られるか。

とある白い粉に対して、どの手法をどんな順番で使っていくか、1つ1つ考えられるものを切り分けながら進めていくやり方こそが、化学分析を行う者の力が試されるところだと思います。
また、分析の目的によって、どこまで正確な分析が必要となるかも異なってきます。目的に合わせて何がどれだけ必要か、判断するのも化学分析を行う者の専門性と言えるでしょう。

そして、これを実際に実行するためには、ここで挙げたような分析装置がちゃんと使える人員と環境が揃っていなければなりません。
これらの装置は安くても数百万~多くのものは数千万円とそれなりに高価であり、中には1台1億円を超えるものもあります。
大学なら共通機器を使用したり、民間なら必要に応じて委託分析に出したりすることができますが、警察の鑑定となると情報保全のためにそうはいかない場合も多いでしょう。警察で予算を取って、多くの装置を保有・更新していく必要があります。

さらに、今回取り上げた分析手法がこの世の全てではありません。
古くから使われている他の手法もありますし、また日々新たに開発される手法もあります。
日々アンテナを高くして、新たな手法を把握することもまた、化学分析をする者の務めの1つでしょう。

この記事を読んだ皆さんも、身の回りの白い粉や他のあらゆるものについて、どんな分析が可能か考えてみてはいかがでしょうか。

もし皆さんが街中で(白い粉に限らず)不審物を見つけてしまったときは、不用意に触らず、その場の管理者や警察へ!


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