高校3年間をポケカに捧げた話
こんにちは、かしわもちです。先日行われたPJCS2022が終了して、自分のシニアリーグ最後の活動が終わったので区切りを兼ねてnoteに書こうと思います。タイトルにもあるんですが、自分が高校生の間に行われたシティリーグ、大型大会共に全て参加しているので言葉通りポケカに全てを捧げた3年間でした。
まず、自分がポケカ廃人へとなったきっかけが中学3年生の頃参加したPJCS2019です。この大会が自分が初めて参加した大型大会でこんなポケカするとは思ってもいませんでした、当時1枚500円のブルーの探索を買うことすら少し渋ってたくらいだったので…。初参戦の大型大会は予選全勝でday1を通過、day2はtop64の初戦は勝てたものの、次の試合は圧倒的な実力差を見せつけられ負けてしまいました。この頃は今と比べるとポケカは圧倒的に下手でなんで勝てたか分からないくらいなんですが、負けた時に思ったことはこれまでに感じたことがないくらいの「ポケカっておもしれぇ‼」でした。これを期にポケカ廃人への道を歩むことにしました。その後に行われたCL東京にも参加しようと応募しましたが、落選。次のCL愛知2020は当選したものの今思い返すと普通に下手で4-3、高校受験のため一旦ポケカから離れることとなります。
そうして高校には無事合格、ポケカポケカの生活が始まるかと思えば話は一転、コロナ渦が始まってしまいました。これにより大型大会どころか各地のジムバトルまで中止、ポケカができる場所が大幅に減ってしまいました。そんな中、ポケカに対するモチベーションを維持したい気持ち、高校生になって何か新しいことを始めてみたいという気持ちから自分が始めたことは動画投稿でした。これが自分のポケカ人生の中で大きな分岐点だと思ってます。はじめはポケカの動画1本でやるポケカ系の投稿者ではなく、その日の日記を書くようにその時の気分で動画を撮ってる感じだったので当時やっていたゲームの動画やyoutuberらしい企画動画などいろいろやってました。そこから徐々にポケカの動画を投稿する頻度が増え、今のようにポケカ1本の動画投稿者となっていったのですが、それはまた後程。
コロナ渦ではありながらも、住んでいる静岡では緊急事態宣言が出てないタイミングではジムバトルが開催されていたので少しずつ参加してポケカを練習。そして自分が高校生になって初めて参加した大会は中止になってしまったPJCSの代わりに開かれた自主大会PJNOでした。この大会でも結果は4-3とよくはなかったですが、この大会によってリモートポケカという文化が定着し、自分のYouTubeの代表企画的な存在となった「リモートポケカ生放送」が生まれました。近くのジムバトルまで往復2000円の田舎者にとっては毎週視聴者の方と対戦できるこの企画はすごい助かっていて、少しずつ実戦経験を積んでポケカが上達していったと思ってます。
そして2020年10月、1年ぶりに大型大会が復活し、CL横浜2021が開催されましたがコロナの影響でカットは今のようなセルフカット、マスク着用、サイドイベントの廃止など大きく変わってしまいました。そこで自分はこれから半年間使い続けることとなる三神ザシアンを握って5-2のtop64、初戦負けが響いてtop32には入れませんでしたが久しぶりに賞品を貰えて嬉しかったのを今でも覚えてます。
次に参加したのは11月の会場で参加したシティ1、ここで初めての大敗を経験します。セキタンザンを使用して結果は0-3、しかもズガドーンGXに対してキョダイガンセキを打って勝ちの場面での宣言は「ふんかだん」、残り時間1分の緊張にやられて負けてしまいました。そういう経験はこれが初めてだったので結構メンタル来たのを覚えてるし1年くらいあの瞬間が悪夢になってました。
そして2020年最後の大会となったのがシティ2です。前回の負けがかなり悔しく、絶対負けたくないと死ぬ気で練習したのを今でも覚えてます。そして結果は見事優勝、シティ初優勝ということもあってめっちゃ嬉しかったです。あとこの時使った三神ザシアンの構築はかなり好きで、願い星ジラーチ1枚採用が手に馴染んでたのをよく覚えてます。動画の投稿履歴から振り返れるの便利すぎ。
2021年に入って初の大会はCL愛知2021。ここでも三神ザシアンを使用しました。シティ2で使った構築とは大きく違って、クチートやケルディオ、ザマゼンタなどを採用せずアタッカーを三神とザシアンだけにするシンプルな構築で挑みました。今回も5-2することができ、結果は前回より良いtop32、初めての緑スリーブ獲得となりました。でもこの大会で一番印象に残ってるのは予選2回戦、自分が昔投稿した弱すぎるデッキレシピを紹介した動画から神奈川で自分のことが広まってたらしく、Twitterで宣戦布告してきたやつと遭遇。自分のGXマーカーを見て「お前かしわか!?」って言われた衝撃を今でも覚えてます。この奇跡的な出会いをしたのが今日までずっとデッキ調整から練習まで手伝ってくれた一番の貢献者です。現実じゃ考えられないような話だけど実話、ライバルが仲間になる熱い展開。
そして自分は高校2年生になり、ポケカ2021シーズン最後に行われたのがPJCS2021です。PJCSは自分の始まりの大会でもあったので、どうしても勝ちたいとジムバトルに出まくったりPTCGOで同じデッキ作って回したりと今までで一番練習した大会だと思ってます。シティ2で優勝できたのがでかく、優先権を持っていたので1ヶ月前からデッキに試行錯誤重ねながら連撃ウーラオスを死ぬほど回してた記憶があります。結果は予選を5-1-1でギリギリ突破、両負けを踏んでしまったので無理かと諦めてたのですが1戦目に対戦した方が自分に負けた後全勝してたのを後日知ってオポ最強で上がれたらしいです。そして2連続のday2進出、初戦が黒馬バドレックスで有利ではなかったですが、相手は今や有名なシニア最強プレイヤー。普通にストレート負けして今年もtop32でPJCSは終了となりました。この時使ったデッキは蒼空ストリーム、摩天パーフェクトによる変更(ヨガループ、キバナ)をしてないデッキで、この方が使い慣れてて勝てると思って変更前を持ってったのですが、今思うと明らかに甘えだしキバナに至っては採用検討すら早い段階で切っていたのでカードの強さを理解すらできてなかったのか…と実力不足を改めて実感しました。
2022シーズンが始まり最初に参加した大会が8月に参加したシティ3。アイアントLO握りました。予選は通過できたものの決勝トーナメント初戦は予選最後に戦った絶対勝てないデッキの一つダークパーフェクション。当然のように負けbest8で会場を後にしました。負けた悔しさはあったけども当時ネットに出回ってたアイアントLOの中では上位の出来だと思ってて、実は一番DM来た件数多いのこのアイアントに関する質問とかだったりする裏話。その後アイアントLOのレシピをちらほら見たんですがシティで勝ってるのが58枚一緒だったりとか参考にしてくれたんだろうな…ってのを結構見て嬉しかったですね、自分が作ったデッキが評価されてるってことだし。
2022シーズン最初の大型大会となったのがCL京都です。この大会はミュウが登場してから初の大型大会ということもあって使うデッキが全く思いつかない。こんなに思いつかないのは初めてで、CL愛知で出会った協力者にいろいろ案を貰ったところ、目に留まったのがニンフィアでした。なんとこのデッキはPJCS2019で戦ったサナニンフのニンフィアと、PJCS2021で戦った連撃ウーラオスが合わさったデッキじゃないか!とこの案が出たことは運命的だと思い使う事に決定。が、練習段階で白馬にどうしても勝てないデッキだと分かりながらもミュウに対しては上振れ、ゲンガーも連撃ウーラオスで何とかできるし行けるやろ!と持ってったら案の定白馬に全敗、4-3で京都を去りました。この時体調最悪で熱出しながら戦ってた一番大変だった大型大会なの覚えてます。朝起きたとき37.0だし行けるやろって参加したけど普通に試合中体温上がって38度くらいあったと思う、アウトですね。
次に参加したのはCL福岡、この時一番の懸念材料だったのがクワガノンの存在。CL京都で強さが評価され、一気に環境デッキへと成り上がったデッキの一つです。このカードの可能性を知るべく、大規模な自主大会マグノリアカップにクワガノンで参戦してみようと思い参加しました。その時当たったデッキには黒馬にベンチバリアのミュウが入ってたり半分三神対面だったりと鬼畜すぎたマッチだったのにもかかわらず4-2、このデッキやばすぎると改めて実感。このデッキを持ち込むことに決定しました。当日は序盤にサポが半分サイド落ちする鬼畜局面引いたせいで最後引ききれず負ける試合があった以外は綺麗に勝てて5-1のところまで。6戦目はガラル鉱山入りスイクンフリージオに当たって後1カチカチロック。完全に終わったと思ってたけど採用していた祈祷師からの滝登りシューターで今の自分じゃできないくらいの神プレイかましてまさかの勝利、今日の自分は行ける!と確信してました。そして久しぶりに予選通過が見えた最終戦、ここでまさかの大事故。種切れで福岡を去りました。今回は5-2でも数人上がれる人数で、もしかしたら!と祈りましたが最終19位。6戦目に戦ったスイクンフリージオの方は5-2で予選通過していたのでなお悔しかったです。でも前泊の時食べた鉄鍋(餃子)が美味しすぎたので許します。悔しいけど許します。撮影禁止の店だったのでネットから参考画像、また食べに行きたいな…。
そして、2021年最後に参加した大会がシティ4です。この時も使いたいデッキが全くなくこんなことをしてました。
もう分かると思いますがバカです自分。その結果、またまた登場CL愛知で出会った協力者さんがいい山をくれました。それがインテレオンVMAX/インテレオン、通称ツインテ。もうこれはデッキ名だけで選んだようなもんです。このデッキにウマ娘のダイワスカーレットのスリーブを付け、デッキ登録名は「俺のダスカ」、完全にやばいオタクして挑んだ結果は予選全勝1位通過。ダイワスカーレットのレッドエース発動!!(当時は終盤に1位だったら速度が上がるスキル)と完全にオタク暴れてました。ポケカ楽しんでたなぁ。結果は決勝戦まで行ったものの三神ザマゼンタとかいう勝てないデッキ踏んで敗北。結果は準優勝で終わりました。余談だけど2021年最後にはペア大会に参加してイシヘンジン使ったんですが、もちろんダイワスカーレットのスリーブを付けて、初対面の対戦相手に対して「このデッキダスカと関係あるんですよ~、表出すか!ダスカ!」とかいう発言繰り返して引かれてたお話もありました。ちなボロ負けもしてペアの方に迷惑かけまくりました。これが2021年ラストポケカです。
2022年、シニアリーグ最後の年となった最初の大会はシティ5でした。この大会で優勝できれば世界大会、WCSに参加確定まで行けるかもしれないということで死に物狂いで練習しました。デッキの理解度向上から全環境デッキに対する基本ルート、運悪く引けなかったときのリカバームーブまで。完璧に練習して臨んだ当日。予選は練習どおりテンタクルにはサイコジャンプのテンプレ通して勝利、ダイナ後手バケッチャスタートの下振れに対してはフュージョンエネ上手く使って裏取られないよう工夫し、1-1-3-3通して勝ちと完璧にこなして予選全勝通過。このままいけば勝てると思った矢先決勝トーナメント初戦の相手はデッキがよくわからない。場面デルビルとしっぽミュウだけ、なんだこれはと思いながらもメロエッタ1枚サイドだったので残り1枚で前狩って様子見。すると出てきたのは一撃モルペコ、一撃のバレットする系デッキか!と理解。非エクならいつものようにジャンプで対処すればいいと思って技宣言の時。相手の手札1枚、トラッシュには一撃エネルギー3枚。これ前飛ばなくね?そんな思考が一瞬よぎり選択したのは情熱の雫。結果はサイドから拾ったその1枚が博士でその後ヘルガーも立って壺も引いてモルペコ3エネ完成してと無茶苦茶7枚で揃えられて一瞬の油断が負けに繋がりbest8で終了。世界へのチャンスを自分のポケカが下手だったという理由で逃しました。このときのことは2ヵ月くらいずっと悪夢になってたし過去の失敗を全部思い出して一番立ち直れなかったと思う。
次に参加したのはCL愛知2022。この大会は勝ちたければミュウかアルセ裏工作の2択と言われてたし実際そうだった程その2強環境で、どっちを使うか悩んだ結果自分はアルセ裏工作を握ることに。アルセ裏工作の方が自分に合ってると暗示をかけて前回のシティでミュウ使って甘えた自分から逃げての選択でした。結果はアルセV3落ちや種切れと運に見放され3-3、大型大会最低戦績でした。真面目にやってれば最低でも完走できるだろと思ってたけどそうじゃないんだと3年間出続けて初めて知りました。
負け続きを打開すべく参加した次の大会は自分のシニアリーグ最後となるCL横浜2022。結論から言うとミュウ使って2-3、またまた最低記録更新。初戦ダイナに下振れてドガスダークライ連戦の地獄へと。参加中も終わっての1週間もずっと虚無になってました。今思うとロボ抜いて挑もうと思ったのはシティ5で使ったロボミュウを使いたくなかったんだろうな…って思います。過去の自分から逃げないと決めたのに無意識のうちに逃げてたんだと思うとポケカする前から負けてました。
今年に入ってからなんも勝てない理由はなんなのか、自分のたどり着いた答えは実戦経験の少なさでした。vsterが出てからのポケカは大きく変わっていて、さっき書いたように近くのジムバトルまで2000円の田舎に住んでる自分は今の環境でそれほど対面してポケカをできていなかったんですよね。なので実戦経験を積むため、開催されるジムバトルに出まくりました。
そうして十分な準備をして望んだWCSをかけた最後のシティ6。練習の成果が出て優勝できました。これで合計取得可能cspが現ランキング5位となりWCSの出場権獲得、遂にポケカ日本代表の内定を取ることができました。
WCSに行ける喜びもあったのですが、今年に入ってから何も大会で結果を残せていなかったのでやっと勝てた喜びってのが1番大きかったです。自分の知ってる人達が毎回CLがある度WCS権利を取っていって、徐々に自分だけ取り残されてく感を感じていたから遂にそっち側へと行けたんだと肩の荷が降りたような、ホッとした感覚があったのも覚えてます。
そして、シニアリーグ最後の大会となるPJCS2022まで3週間となりました。がシティ終わった直後の1週間は高3の中間テストで実質2週間。いままでのPJCSは準備に1ヶ月くらい使っていたので今から練習するには明らかに時間が足りませんでした。今まで使い続けてきたミュウは今の環境じゃ勝ち残れなそう、パルキアはみんなが死にものぐるいで詰めてるから今から始めても練度で負けてそう。この時PJCSまで残り1週間で、今まで練習してきたミュウを信じて握るか、それともパルキアを詰めて頑張るか。どうしようかと悩んでた時、またまた登場CL愛知で出会った協力者さんがこう言ってくれました、もう相棒です。「お前はレジギガスだ、レジギガス握れ。」この一言で決心が付き、レジギガスでシティ6からPJCSまで走り抜くことにしました。そうと決まったらPTCGOでレジギガスを即組んで無限に回しました。念入りに準備をして遂に当日、初戦の後手一エコーに対して先4から殴り始めと5戦目の初手釣竿3枚後4殴り始め以外は普通に回ってくれて5戦目、最終戦負けの6-2で予選を17位通過できました。この時PJCSの3連続本戦出場が決定してガッツポーズで喜んでました。だけどその喜びもつかの間、自分の順位が17位、最終戦の相手が16位というありえない奇跡。本戦初戦が予選最終戦の相手との再戦になってしまいました。普通なら問題ないように思えるけど相手はアルセ裏工作。レジギガス知ってる人なら分かると思うんですけどまず勝てません。予選最後で引くか…とも思ったけどまさか本戦初戦でも引いてしまうとは、事前情報でノコッチはあるけどマナフィが無いことは分かっていたので少し情報アドバンテージがあると思いながらもこの日は諦めムードで帰りました。そしてday2、初戦アルセ裏工作に必死で抵抗するもまさかのダンデ採用、アクアバレットで取られて5-6で敗北。ここまでかと思い2戦目にいくと相手の動きが悪い、貼った雪道のおかげでスターバースが言えず止まってくれたので隙を付いてまさかの勝利。もしかしたらと希望を抱いて最終戦、ここまじで記憶ないんですがお互い回って最後相手がクイックシューター宣言忘れてくれたおかげでまさかまさかの勝利。プレミに救われてtop16進出を決めました。
今回はtop32で完全に終わりだと思ってたのでこの時開かずの扉が何故か開いたような感じで全く記憶がないんです、冗談抜きで、どんな展開だったかもこの試合だけ思い出せん。相棒へのLINEから対戦相手がパルキアで2-1してtop8進出、WCSのday2権利を手に入れたことを知りました。そして次のロンドンまでの旅費が免除になるTAをかけた試合、対戦相手はまさかの前回PJCS2021本戦で敗れたシニア最強プレイヤー。2戦目の時に横の卓になっていてお互いのデッキは知っていたので今回こそここまでか…って思いました、コオリッポ入ってるんだし。
始まった試合は初戦運がいい事に相手コオリッポがサイド落ちして勝利、流れ来たかと思いきや2戦目山札見たら何かが違う、レジロックが1枚もありませんでした。BO3のルール上勝てないマッチで時間使うのはもったいないので1ターン目で即投了。3戦目はコオリッポを出されたものの雪道で止まり気味でエネが全然引かれない、最終的に技は打たれるものの最後はレジエレキのベンチ40点でクロバットを5回殴って勝てました。この時はあまり実感なかったんですが遂に大型大会で盾貰えたことはほんと嬉しかったです。次の日の登校中やっと勝てたんだ…と思って嬉し泣きしてたくらいです、嬉し泣きなんて空想の現象だと思ってたから本当に起こるんだなって。決勝戦をかけた準決勝はお互い事故気味だったけどベルトバチバチ3回目の所で相手が投了、ギリ自分の方が早く動けて勝ちました。2戦目は相手の方ジャマーの貼り所やダメージ分散全部最適解で上手すぎ、1ターン止まったレジギガスじゃ勝てませんでした。3戦目は自分先行で有利に進んでったのですが、最後7枚の山札にマリィ打って1枚残った釣竿引けたら勝ち…のとこで惜しくも引けずtop4で敗退となりました。71%引けなくて負けは悔しいけどもツツジ後にサポ引いてるので仕方ないですね。余談ですがこの試合が終わった後、現地まで応援に来てくれた相棒と抱き合って喜んで、top32で貰える黒スリーブあげました。売るなよw?
そんな感じで終了したPJCS2022ですが、自分のシニアリーグ最後の大会で遂に大きな結果を残せたことは改めてすごい嬉しいです。これにて自分のシニアリーグでの活動が終了となりました。WCSはマスターリーグでの参戦となるのでマスター初大会がWCSってのはなんか面白いですよね。
ここからはYouTubeについての話になるのですが、YouTube活動をこれからどうするかについてずっと考えてました。高校1年生のときに始めたYouTubeだけど、ほぼ毎日投稿する活動は結構というかかなり大変でずっと続けられるとは思ってません。じゃあどうするのかいろいろ考えた結果、初めは忙しくなっていくシニアリーグ終了のタイミングでYouTube活動をやめることにしようと思っていたのですが、いざそう考えるとここまで自分が成長できたのはYouTube活動があったおかげなのでやめたくないなと思い始めて、できる限り続けたいなと思いました。でも大学受験からその後は初めての一人暮らしと、忙しくなるのは変わりありません。なので投稿頻度は前と比べると大幅に下がってしまいますが、毎週金曜日に1本投稿を基準に活動を続けていきたいと思います。これからもポケカプレイヤーとして、YouTuberとしても活動していきたいと思っているのでよろしくお願いします。
超長くなりましたが以上になります。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!!
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