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"祭アレルギー持ち"が考える、まちづくりの入り口としての祭について

とあるオンライン読書会に参加(こういうのは初めて)し、いろいろ議論があったのだが、「まちづくりの入り口としての祭」に関する話題が出て大変興味深かった。

とある会社の社員さん達が、その街の方々と信頼関係を構築するために、毎週末祭に参加をしていたり、あるいは新卒の頃は祭への参加が必須という話しだった。

「すごいな」と思う一方、過去に上記のような経験が私もちょっとあり、自身は完全に祭アレルギーになってしまい(太鼓を聞き、盆踊りを見るのも辛いくらい)、今では出来るだけ近寄りたくないものになってしまっていることを再認識した。(同じものの食べ過ぎ・触りすぎで、その食物アレルギーになるのと同じ理屈だと思っていただけたら幸いだ)。尚、最近は全く行ってないが花火大会は恐らく問題ないはずだ。

理由はいろいろあるのだと思う。マッチョな男性中心のヒエラルキー社会も苦手だし、イノベーションは期待できないし(いわゆる「伝統芸能」とは「偉大なるマンネリ」であり、それに社会的価値があるのも当然分かるが)、せっかくコロナで形骸化していたものを見直したり、アップグレードするチャンスだったのに、そんな議論もなく、そのまま再開しちゃってる感じだし。

すいません、祭を全否定するつもりは全くないが、一般論として、「まちづくり」というある程度間口を拡げておく必要があってしかるべき事柄に、実質、祭しか入り口が無いという事実が、まちづくりの担い手を減らす原因にもなっているだろう、と感じるのだ。

故に、「つなげる30人」はそんな祭アレルギーであってもまちづくりに参加できるコミュニティにしたい、という気持ちが根底にあったのだな、とこの読書会を通じて思い起こされた。




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