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今年の春、佐世保出張の帰りに、念願だった長崎市内の「亀山社中の跡」と長崎の街が一望できる風頭公園の「坂本龍馬像」に訪れる事ができ感無量であった。

その中で、最も目を引いたのは、タイトルにもあるが、「亀山社中の跡」の中で展示されていた「海援隊約規」だった。


一般的に、Wikipediaによると「海援隊」は「「亀山社中」が前身とされており(諸説あります)江戸時代後期の幕末に、土佐藩脱藩の浪士である坂本龍馬が中心となり結成した組織である。1867年(慶応3年)から1868年(慶応4年)までの間、私設海軍・貿易など、薩摩藩などからの資金援助も受け、近代的な株式会社に類似した組織、物資の運搬や貿易の仲介など商社活動としても評価されている。運輸、開拓、本藩の応援、射利、投機、教育(修行科目 政法・火技・航海・汽機・語学等)等、隊の自活運営、政治・商事活動をおこなった。」とされており、一部からは「日本初の株式会社」とも言われている。(諸説あります)

その海援隊創設と同時に定められた隊の規則書でもある「海援隊約規」現代語訳を参照にすれば下記のような事が記載されている。

およそ、以前に土佐藩を脱藩した者、他の藩を脱藩した者で、海外に関心のある者は、この隊に入る。

物を運び、利益を求め、土地を開き、有利な仕事に賭け、土佐藩の応援を主な仕事とする。今後、この考え方に従い、納得のうえこの隊に入ること。およそ、隊の中のことは一切隊長の考えに任す。敢えてこれに背かないこと。 (中略)

およそ、隊で修業することは、政治、法律、鉄砲取扱い、航海、蒸気機関、機械、語学などで、隊の方針に従って決めた。互いに励まし合って学び、怠ってはならない。

およそ、隊で必要な資金や食糧は、自分たちで稼ぎ出す。

また利益は隊員で分配し、独り占めしてはならない。 (後略)

同ページによると、「入隊資格や経営目標、隊長の権限、隊士の義務、修行課目、給与のことなど5か条から成り、龍馬のめざした運営指標が明文化されており、特に藩閥意識や身分に一切とらわれず、海外で活躍する人間を求める龍馬の考えが、第一条に反映されている。」とある。

(諸説あるが)「日本初の株式会社」たる組織の経営方針のシンプルさに魅力を感じ、感銘を受けた。


まだ頭の整理は追いつかないが、一般社団法人つなげる30人の会員に求める人材像や、株式会社ADDRIVEが牽引するインクルーシブ社会プロデューサーに求める人材像を明文化したいと感じる。

PS.「亀山社中の跡」に行くためには、かなりの階段を登る必要がある。その途中に龍馬や海援隊に関連深い人物の紹介掲示板があるのだが、この「陸奥宗光」で足が止まった。

「カミソリ大臣」として辣腕をふるった外務大臣・陸奥宗光は坂本龍馬について贈った賛辞がとても好きなのである。

「坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その識見、議論の高き、その他人を遊説、感得するの能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき

「龍馬あらば、今の薩長人などは青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言へり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のやうに思はれき」(千頭清臣 『坂本龍馬』)

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