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スフィーダ

歴史は繰り返す。

人が変わってもその事実は変わらないおもしろさと、その中でも人は変化しているおもしろさと。

いまのぼくが客観的にみることができるのは、文字通り一歩引いたところにいるからと、ぼくも同じ渦の中に身を置き続けた経験があるから。

サッカーのシーズンは長いかもしれないけど、一つ一つを構成する周期は短い。

よくもわるくも、「いま」に目を向けるには絶好の環境である。

「いま」を充実させることはとても大切なことではあれど、過去の事実からの学び、先立つものから計算することも、より密な時間を過ごすことには必要なことだ。

特に人生というやつは、思いつきの連続でなにかをなし得るには短すぎる。

話は少し逸れるが、最近よく感じるのは、日本語が話せるからと言って、言葉の真意を生きた知識として理解できているケースは少ないようだ。

いかにもな言葉が並べられ、そうだよねと納得するのも、その言葉を発すること自体にも、一体どれだけの理解を持った上でその行為が為されているのであろう。

それっぽい言葉を使うのは簡単だ。

自ら考えずとも、場数を踏んでいけば、それらしい言葉をコピーアンドペーストの要領で使えるようにはなる。

だけど、そのようなコミュニケーションで得られるものは一瞬の満足感だけで、歴史の渦から抜け出すまでには事足りない。

生きた知識を得るには、ひたすらにチャレンジすること、そして質の高い振り返りが不可欠である。

チャレンジは失敗を生み出し、それを振り返ることで、さらに質の高いチャレンジに繋がり、そのサイクルの先で自らの意思を持って成功体験を掴みにいくことができる。

これらすべてを実体験として経験していき、その過程を自らの言葉で話せてようやく言語化が成せたということになるのだと思っている。

申し訳ないけど、ぼくにとっていまのスフィーダという言葉はとても薄い。

単純に2周目だからという考えもあるかもしれないが、例えそうであっても時代は流れている。

「3316」

歴史を辿れば、今日この場に居合わせた誰よりも、この数字に値する人がいたかもしれない。

でも、運命はその人たちではなく、今日集まったぼくたちを選んだ。

この言葉の意味をもう少し噛み砕くべきであり、学びのチャンスは至るところに散らばっているとも思う。

今日の数字にしたって、チームで眠るポテンシャルを考えると、まだまだこんなもんじゃない。

もっと、ひりつく様な熱さがほしい。

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Serina Kashimoto
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