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第8回「セルフサービスフレンチ・ルナティック」 聖なる川「多摩川」を臨む、天国酒場的三つ星レストラン|パリッコ

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 天国酒場の存在を初めて認識したのは、今はなき「たぬきや」という店だった。
 神奈川県川崎市、JR南武線の稲田堤駅および京王稲田堤駅から徒歩数分。多摩川の広大な土手にポツンと建つ、掘っ建て小屋のような店。川茶屋というんだろうか。地元民の憩いの場でありながら、飲み屋としてもあまりにも素晴らしく、そこでボーッと酒を飲んでいると、目の前の多摩川がいつしか三途の川に見えてくる。まるで天国にいるようだなぁ、なんて思っていたら、自分の中に自然と「天国酒場」というジャンルが生まれていた。
 前回この連載で紹介した「澤乃井園」も、たぬきやよりずっと上流になるが、やはり多摩川沿いにある。営業情報が不確定で行けていない店も多いが、二子玉川に「かわや」、登戸に「太田屋」と、まだまだあるらしい。多摩川は天国酒場の宝庫であり、自分にとっては「聖なる川」なのだ。

 今回ご紹介する「セルフサービスフレンチ・ルナティック」という店もまた、多摩川沿いにある。
 今年の6月、京阪神エルマガジン社から発売された『景色のいい店 東京』というムック本に、数ページの原稿を寄稿させてもらった。テーマはもちろん「天国酒場」。とはいえ、本自体の内容は純粋に景色のいい店、つまり、ビルの高層階にあるレストランとか、広々とした公園にある近代的なカフェとかを多く紹介するもので、僕が考える天国酒場とはまた切り口が違う。本当に素晴らしい本なので機会があればぜひ手にとってほしいが、この連載で紹介しているようなお店がたっぷり載っている、というようなものではない。しかしながらその中で、「こ、これはまさしく天国酒場!」と強烈に興味を惹かれたのが、セルフサービスフレンチ・ルナティックだった。

 店は二子玉川駅から徒歩10分ほどの川沿いにある。二子玉川と聞くとハイソで都会的なイメージがあるかもしれないが、それは再開発された駅前エリアに限ったことで、駅から2、3分の場所にある多摩川沿いはこの風景。そんなギャップがおもしろい街だなぁと思う。

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◆水遊びを楽しむ地元民たち

 さて、こんな河川敷をのんびり歩いていると、一瞬ギョッとするような威容を誇る建物が前方に見えてくる。それこそがセルフサービスフレンチ・ルナティック。

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◆この存在感!

 そういえば以前、お仕事をご一緒したミュージシャンのかせきさいだぁさんが、「二子玉川からちょっと歩いたところに、海賊のアジトみたいなお店があるよ。あそこ、パリッコさん絶対好きだと思う」と言っていて、ずっと気になっていた。いつか探しに行かなきゃと思っていた。ここのことで間違いないだろう……。それにしても「海賊のアジト」とはまた絶妙な表現だ。
 店内は入り組んでいて、1階がメインの室内席とテラス席がある。系列店と思われる「BBQ & カキ小屋 ゲッコ」という店も同じ建物に入っていて、2階の室内席とテラス席がある。とても言葉で説明しただけでは想像できないだろうが、そのカオスな感じにとにかくワクワクさせられる。

 セルフサービスフレンチ・ルナティックのおもしろさはそれだけではない。そもそもここは何屋なんだ? という話をまだしていなかったけれど、その名のとおり、セルフサービスの「フランス料理店」なのだ。しかも「食券制」の。混乱は増すばかりだが、フレンチを愛するオーナーが「本物のフランス料理を多くの人に日常的に食べてもらいたい!」という想いのもと、このような形態の店を作り上げてしまったのだそう。
 具体的なシステムとしては、まず店内どこでも好きな場所に席を確保し、券売機で食券を買ってカウンターに提出。料理ができたら呼び出しがかかるので、受け取りに行き、食べ終わったら食器類を自分で片づける、という感じ。やっていることは立ち食いそば屋と同じなのに、食べているのはフレンチ。最高だ。
 お得なランチメニューを例にあげると、「ロブスターのロースト」「ブイヤベース」「鮮魚のパン粉焼き」「牛フィレのステーキフォアグラのせ」「仔羊の香草バター焼き」「牛タンの煮込み ビーツソース」の6種類が1500円。「牛ハラミのステーキ ディアブルソース」が1091円。どちらにもパンとコーヒー、または紅茶がついてくるという、本気の日常価格だ。もちろん単品料理もアルコールも豊富にあって、ワインケースに詰め込まれて並ぶ多種のワインが、すべて1本2364円というのも嬉しい(すべて税抜き価格)。

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◆「牛フィレのステーキフォアグラのせ」

 これがもう、目頭がジーンと熱くなるような美味しさの、正真正銘本格フレンチ。繰りかえすが、これにパンとコーヒーがついて1500円。価格は手頃すぎるけれど、これはやっぱり非日常的絶品料理。しかも忘れてはいけないのが、それをこんな非日常空間で食べられるのだ。

 この店が大好きだという、人気サイト「デイリーポータルZ」のウェブマスター林雄司さんお気に入りのメニューが「あさりのワイン蒸し」。いわく、「残った汁を水筒に入れて持って帰りたいくらいうまい」そうだが、実際に食べてみると、もう本当にその通りの、濃厚な美味しさ!

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◆自分が普段食べている料理と次元が違いすぎる

 あいにく水筒は持っていなかったので、皿がツルツルになるまでパンでぬぐいきり、それをつまみに黒ビールを飲む、それはそれは夢のような時間を過ごさせてもらった。

 それにしても、次々と予想もしないような名店と出会える多摩川の、そして天国酒場の懐、あまりにも深い……。


セルフサービスフレンチ・ルナティック
住所:東京都世田谷区玉川1-1-4
電話:03-3708-1118