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第14回「伊勢屋鈴木商店」自由な時間をすごせる地元民憩いの角打ち|パリッコ

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 実家のある西武池袋線の大泉学園駅から、現在の妻と同棲を始めるため、石神井公園に引っ越してきたのは10数年前。隣駅ながらもまったく雰囲気の違う街並みが物珍しく、毎日毎日ふたりであちこち歩き回った。駅前再開発の早かった大泉に比べ、石神井公園には昔ながらの商店街や飲食店がまだまだ残っており、それが僕にはすごく楽しかった。いまやすっかり近代的に生まれ変わってしまった駅周辺だが、それでもその周囲の個人商店はけっこう生き残っていて、特に昔ながらの食堂、「ほかり食堂」と「辰巳軒」は、石神井の2大酒場遺産といえるんじゃないだろうか。

 中でもメイン通りといえるのが、南口から公園方面へと続く商店街「パークロード石神井」。その中に「伊勢屋鈴木商店」という1軒の酒屋があって、何を隠そう、ここが僕の心のホーム酒場であり、同時に「天国酒場」でもあるという、地元にあって心から良かったと感謝したくなる店なのだ。

 見つけたのは引っ越しをしてまもない頃。一見街によくある昔ながらの酒屋なんだけど、広い軒先があり、そこに丸テーブルとベンチが置かれている。気になってその前を通るたび様子をチェックするようになると、必ずといっていいほど常連と思しき人々が楽しそうに飲んでいる。いわゆる角打ちというやつなんだろうが、ちょっと雰囲気が違う。開放的で、老若男女入り乱れ、まるで気心のしれた友達が集まって飲んでいるような明るさがある。しかしそれゆえ、さらに、今よりも酒場経験がずっと浅かったこともあり、ちょっと入るのに勇気がいった。それでも気になりだしてから数ヶ月後、偶然人の少ないタイミングを見つけ入店。女将さんに、「ここで飲んでも大丈夫ですか?」と聞くと、無事迎え入れてもらうことができた。

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◆ずっと気になっていた店、通称「いせや」

 そこは、寡黙なご主人と、美人で博識な女将の、あけみさんが営む小さな酒屋。あけみさんはお酒を飲まれないそうだが、それが信じられないほど、酒や食材に対する知識と愛情にあふれた人で、訪れるたびに興味深い話を聞かせてもらうことができる。練馬産のブルーベリーを使った「ネリマーレンブルーベリーブロイ」や、海外から樽で仕入れる季節ごとの生ビールなど、いつ行っても他ではそうそうお目にかかれないような絶品の酒と出会うことができる。もちろん、店内の商品を購入してリーズナブルに楽しんでもいいし、常連さんたちは好き勝手におすそわけのつまみを持ちこんだりしているから、ご相伴に預かることもあれば、自分が持っていくこともある。

 店頭にはあけみさんが大切に育てられている植物の緑があふれ、それが影になって夏でも不思議と過ごしやすい。冬は石油ストーブにあたりつつ、その上に煮込みの鍋が乗っているなんてこともある。

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◆これまで飲ませてもらった中でも特に感動したベルギービール「セント・ベルナルデュス・アブト」の生

 以前、酒飲みの大先輩、漫画家のラズウェル細木先生とここを訪れた時、ラズ先生が、知り合いからもらったという氷見の干物を持っていた。「これ、炙って食べられたら最高ですね~」なんて話していたら、あけみさんは「どうぞ」と、さっとコンロと焼き網を持ってきてくれ、その干物に合いそうな日本酒についてまで、あれこれ指南してくれるのだった。こんな自由な角打ちがそうそうあるだろうか。思わず「どうです? ラズ先生」などと、地元民として勝手に誇らしい気持ちになったものだ。

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◆ここで知り合った友人の料理人が突然持ちこみ蒸しはじめた「香箱蟹」。こんなことができるのも「伊勢屋」の魅力

 天気のいい週末に家族で駅前まで買い物に出れば、帰り道にちょっと一杯がてらの絶好の休憩スポットになる。また、目と鼻の先に「豊宏湯」という、地下水を薪で沸かす銭湯がある。ちょっと早めの夕方に仕事が落ち着いた日、その熱~い湯であったまっておいて、間髪入れずここで生ビール。なんてこともできて、その至福といったら筆舌につくしがたい。

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◆この石神井の空を見上げながら飲む時間が好き

 ある夜、仕事帰りにふらりと立ち寄ると、ウクレレを練習中だという女性ふたり組が先客にいた。角打ちで飲みながらウクレレ練習というのも粋だが、彼女たちが控えめに爪弾く「イージュー☆ライダー」なんかを聴きながら飲んでいたら、あまりにも良くて、ポロンポロンという音とともに、自分まで夜の空気に溶けてしまいそうになった。

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◆節度さえ持っておけば、どこまでも自由にすごせる場所

 そして、あらためて思うのだった。「石神井って、いい街だなぁ……」と。


伊勢屋鈴木商店
住所:東京都練馬区石神井町3-17-12
電話:03-3996-0084