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第3回 「おんたき茶屋」 目の前の滝を眺めながら飲めるだけでじゅうぶんなのに……|パリッコ

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 とあるラジオ出演の依頼をいただき、生まれて初めて神戸に行くことになった。せっかくの機会だから、スケジュールには余裕を持たせ、できる限り現地の酒場などに寄る時間を作りたい。

 まず新幹線が到着するのは新神戸駅。そこでGoogleマップやストリートビューを使い、駅周囲の様子を眺めてみる。すると、神戸という響きに対して漠然と抱いていた「港街」というイメージに反し、どちらかというと山側にあって、ハイキングルートの起点となっているような土地だということがわかった。

 地図で見るに、駅から驚くほど近くに川が流れ、いくつかの滝が点在している。興味を持って調べてみると、「布引(ぬのびき)の滝」の「雌滝(めんたき)」と「雄滝(おんたき)」までが、それぞれ徒歩5分と10分と特に近い。ふらりと散歩するような感覚で滝を見に行けるなんて、なんて素晴らしい街なんだ。さらに嬉しいことに、雄滝の横には一軒の茶屋があって、滝を見下ろしながら一杯やれるらしい! 行くしかないでしょう。

 新神戸に着き、舗装された上り坂を約5分歩くと、確かに「布引雌滝」があった。規模はそこまで大きくないものの、すでにマイナスイオンが充満している。滝壺を取り囲む人工建造物は兵庫区にある「奥平野浄水場」へ水を送るための取水施設で、竣工は明治33年。国の重要文化財にも指定されており、重厚な雰囲気で見ごたえがある。
 さてあと5分で雄滝か、と歩きだすと、そこからが意外ときつい。道は徐々に険しくなり、上り坂が途切れず続き、普段怠けきった体にかなりくる。これはもはや、登山だ。それでも10分ちょっと歩くと、「布引雄滝」が見えてきた。雌滝よりも規模が大きく、神秘的な色の滝壷と、表情豊かな岩肌。うっとりとする自然美を堪能できる。

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駅から徒歩10数分とは思えない風景

 さてさて、いよいよ最大の目的地。その場所からほんの少し階段を上ったところに、確かに「おんたき茶屋」はあった。日本全国の登山道中に、休憩所を兼ねた茶屋はたくさんあるが、雰囲気はそれに近い。こんなに気軽に来られる店はめったにないだろうけれど。

 入り口すぐのテラス席からは間近に眼下の滝を眺められ、ちょっとできすぎたくらいのシチュエーションだ。コンロにかけた大鍋におでんがグツグツと煮えていて、周囲にたまらない香りが漂っている。

 寒い時期だったので、室内の部屋へと通してもらうと、ここがまた最高の雰囲気。子供の頃に行った親戚の家を思い出すような壁色の、木造の小屋。やかんが乗った石油ストーブの匂いがノスタルジックな気分に拍車をかける。大きな窓の先にはもちろん、滝。

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登山道中に出会う茶屋のような佇まい

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こんなにも素朴な空間が滝の目の前に

 もはや、この空間の中に存在していられるというだけでありがたい。それなのに、おでんをつまみにビールまで飲めてしまう。さすがにもう、それ以上の贅沢は望みません。と、客の身としては言いたいのに、それだけにとどまらない過剰なサービス精神にあふれているのは、僕の知る「天国酒場」に共通する特徴かもしれない。

 おんたき茶屋もまたそんな店だった。まずメニューが豊富だ。おでん、うどん、そば、ラーメン、焼きそばなどに加え、酒のつまみになりそうな一品料理もあれこれある。しかもおでんはひとつ100円。麺類はすべて500円と安い。その横に「大正4年創業」とあり、そんなに歴史が古く、かつこの立地であれば、すべてが倍の値段でも誰も文句は言わないと思うんだけど。その他、「ミニ懐石コース」なんてのが用意されていたり、季節ごとの宴会のしらせが貼られていたりと、あぁ、自分はなんで神戸に住んでいないんだ……と泣きだしてしまいそうなほどに魅力的な文字が、壁のあちこちに踊っている。

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いよいよ夢の時間の始まり

 おでんの盛り合わせを頼むと、それはもはや優しさのかたまりで、とろとろの厚揚げの食感とともに、食べている自分まで溶けてしまいそうになる。

 滝の名前を冠する「布引ラーメン」は、昔懐かしい素朴な見た目で、オーソドックスな醤油ラーメンに比べると若干甘辛いようなスープが、柔らかい麺とマッチしている。スープにカニカマが浮かんでいるのもかわいらしい。

「湯豆腐」がまたすごく、土鍋のフタを開けると、パッと見ただけでも、青ネギ、白菜、おぼろ昆布、しめじ、ちくわ、刻みアナゴが確認できる。さらに掘りおこすと、なんと豚肉に、鶏肉まで……。

 そんなおんたき茶屋のサービス精神の象徴ともいえるような、僕がもっとも骨抜きにされてしまったメニューが「鍋うどん」。まず、ベースが大好きな「アルミ鍋うどん」だ。アルミ鍋のまま出てきて、あと乗せサクサクタイプの天ぷらが乗ってるんだから間違いない。が、そこに、斜め切りにしたネギ、シメジ、カマボコ、ちょうどよく半熟になった玉子、さらには、こんがりと焼かれたモチまで乗っているという豪華版なのだ。こんなにも心癒される一杯のうどんには出会ったことがない。静かな小屋で、滝を眺めながらすする、湯気の立ちのぼるアルミ鍋うどん。つくづく、真の贅沢とは、ただ高いお金を出せば手に入るものではないと思わされる。

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アルミ鍋うどんが一品料理に

 思わず「昔アイドルでもやられてました?」と聞きたくなってしまう美人の女将さんが、ちょこちょことこちらを気にかけ、話しかけにきてくれる。そのご好意に甘えてつい、「メニューにある瓶ビール、缶ビール以外に、お酒類は……ないですよねぇ?」なんて聞いてしまうと、そういう客も多いのだろう、缶チューハイやカップ酒を出してくれた。しかもカップ酒は、鍋に湯を張り、ストーブでお燗までしてくれる。

 最後に熱いお茶をいただき、あらためて、抜群なシチュエーションの上にあぐらをかかず、どこまでも客のことを気づかってくれる、おんたき茶屋の、女将さんの温かさに、言葉をなくしてただ滝を見つめるのだった。

おんたき茶屋
住所 兵庫県神戸市中央区葺合町布引遊園地45
電話 078-241-3484