与えられる完全なんて不自由
完全栄養食品の開発が進んでいる。誰もが知る大手食品会社によって。
私はそんな情報なんてつゆ知らなかった。だから少し調べることにした。
意外なことに既に販売されている完全栄養食品は美味しそうに見えた。
一食で一日に必要な栄養素を1/3ずつを摂取できる。なんとも合理的だ。
だから災害時や閉鎖空間での食料としてかなり重宝されそうだ。
ましてや家庭に導入すれば献立を考えるハードルは下がる。
それさえ食べておけばとりあえず栄養素の面では十分なわけだから。
そこにつきまとう第一の問題は飽きであろう。
いくらアレンジできても同じものを食べ続けると飽きる。
第二の問題は食事のサプリメント化への懸念である。
「それさえ食べればいい」「簡単だ」という語調に注意する必要がある。
これらは食事を栄養供給の手段としか扱わない論調で誤解を与えやすい。
完全栄養食品が提供するのは豊かな食が入り込んだライフスタイルだ。
食事における悩みを小さくして、美味しさの喜びをより大きくする。
食事がサプリメント化すればそれほど味気ないものはない。
だからこそ完全栄養食品は、簡易さではなくその先にある豊かさに焦点を当てる必要があるだろう。
だけど「完全だよ」と与えられるとどうにも不自由で天の邪鬼な私は「そんなものいらない」と唾棄してしまいたくなる。
自分で試行錯誤する自分なりの不完全が自分らしさだって思っているから。
それが完全かどうかなんて関係ない。そんな食事には心を豊かにする作用があると思っているから「完全栄養」だなんて価値観に染まりたくはない。
結局、完全栄養というネーミングに問題があるんじゃないかと思っている。