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三人称一元視点のすすめ

一人称視点と三人称視点のいいとこどり! 三人称一元視点の小説は書きやすいぞ、というプレゼンです。

三人称一元視点とは、ざっくり言うと「たまに視点主の心の声が聞こえる三人称」ですわね。

一番のメリット:視点主の口調や考え方/経験の考慮がほとんどいらない

■一人称視点の難点(と魅力)

憑依レベルの一人称の地の文は、視点主の口調・考え方・経験の考慮が常に必要です。

たとえば、語り部Aがナチュラルボーンコテコテ関西人の場合がいちばん分かりやすいわね。Aの心の声がすべて関西弁の場合、地の文も関西弁にしなければいけません。(以下エセ口調でごめんあそばせ)

【地の文の例】関西人の一人称
 角から現れたリーマンが、おばちゃんにぶつかった。そいつは謝りながら立ち去ったが、右手にごついワニ皮の財布を握っているのが見えた。
 うわ、人の財布スるなんて最悪や。
 俺はアカンと思い、シュッとした男を追いかけた。

また、語り部Bが現代社会に来た中世ナーロッパエルフの場合は、現代の名詞やものを知りません。

【地の文の例】エルフの一人称
 薄い板――スマホというらしい――が光っていたので触ったら、突如別の空間と接続された。
『あ、ナディアさんだ。兄貴いる?』
 ――くせものだ!
 私は反射的に槍を構えた。
「出たなドワーフ、何用だ!」
 ニホンとやらにはまだ慣れない。異空間の小人と話ができるなんて、何度見ても度し難い魔法である。


このように、一人称の場合は常に「語り部の口調・考え方・経験の考慮」が必要です。

【電車でいちゃいちゃしているカップルを見た場合の例】
恋愛少女の語り部:「いいなあ、私も大きくなったら素敵な恋人がほしい」
カップルアンチな語り部:「うわ、最悪。所構わず発情する猿は滅べばいいのに」
学者な語り部:「ああすることで人は常に己の立ち位置を周りに誇示しているのかもしれない」

極端な例ですが、同じものを見ても、人によって受け止め方が異なるわね。


一人称を突き詰めて考えると、「常に語り部の思考をシミュレート、あるいは憑依する」必要がありますわ。

使える語彙も変わってくるわね。たとえば中学生のヤンキーキャラ一人称で「畢竟」「慚愧に堪えない」なんか出てきたら、違和感がすごいわ!
ほかに比喩表現なんかも、現代の12歳がする比喩と、中世ヨーロッパの50歳がする比喩は全然違うでしょうね。

……とまあこんな感じで、一人称小説は「その人の視点」が面白さに繋がります。一人称の語り口をこだわり抜いて面白おかしく書くのを極めているのは、作家の森見登美彦先生お嬢様ね。
極めればメチャメチャメチャメチャメチャメチャ面白い・魅力的なのが一人称、というイメージだわ。

森見先生お嬢様の地の文は、大学生の語り部と小学生の語り部で全然文体が異なるわね。以下、冒頭の試し読みです。


ただ、厳密な一人称芸はとても難しいので、ビギナーにはすすめづらいわ。あるいは関東出身なのにバリバリ博多弁のキャラにはまったときとか、分からない方言で「すべて」を書くのはつらいわね。

そんなときは、後述の三人称一元視点がおすすめよ。

■三人称一元視点とは

定義は色々あるけど、よくある三人称小説とは、地の文に語り部キャラクターの主観が入ってないヤツね。(作者の主観は入りうる)

映画でいうと三人称視点はカメラマンが別にいて、役者の芝居を離れたところから撮っている感じ。この場合、誰かの心の声をカメラが拾うことはありません。カメラは、外から見聞きできることしか撮影しないわね。

では、三人称一元視点とは?
カメラは、視点主の傍にいる。基本的には視点主の立ち位置から撮影し続けて、たまに視点主の内部に潜って心の声を録音し、また離れる……そんなイメージね。

上記の一人称の例文を、三人称一元視点に直してみます。

【三人称寄りの三人称一元視点】
 角から現れたサラリーマンが、壮年の女性にぶつかった。彼は謝りながら立ち去ったが、右手に大きなワニ皮の財布を握っているのが見えた。
(うわ、人の財布スるなんて最悪や)
 竜田は正義感に駆られ、細身の男を追いかけた。

これは、視点主の心情(モノローグ)を表すカッコ内以外は、主観のない地の文にしています。
視点主の心情は、「――(ダッシュ)」の後に書いてもいいし、カッコもダッシュもなしに、地の文内にそのまま書いてもOKです。

【三人称寄りの三人称一元視点】(主観度:低)
 光っているスマートフォンに触れると、ビデオ通話が始まった。
『あ、ナディアさんだ。兄貴いる?』
 ――くせものだ!
 ナディアは反射的に槍を構えた。
「出たなドワーフ、何用だ!」
 現代社会にはまだ慣れていない。彼女にとってビデオ通話の相手は、何度見ても小人と会話できる魔法具なのだ。

途中ダッシュで直接的に心情を書きつつ、最後は客観的に視点主の内面を語っています。こういうやり方もあるわね。どちらかというと神の視点に近いかしら……?

【一人称寄りの三人称一元視点】一人称から主語を変えただけ(主観度:高)
 薄い板――スマホというらしい――が光っていたので触ったら、突如別の空間と接続された。
『あ、ナディアさんだ。兄貴いる?』
 ――くせものだ!
 ナディアは反射的に槍を構えた。
「出たなドワーフ、何用だ!」
 ニホンとやらにはまだ慣れない。異空間の小人と話ができるなんて、何度見ても度し難い魔法である。

こちら、上記の一人称のサンプルと変えているのは主語だけですわね。「私は」を「名前は/彼女は」にしただけ。こうすると、視点主の主観によりそった地の文になるわ。

地の文にどれだけ視点主の主観を入れるか入れないかは自由でしてよ。
※基本的には主観ゼロOR視点主の主観で。神の視点を入れていいかどうかは人によって意見が異なる。(神の視点:視点主が知覚できないことを書くこと)参考


……とまあ、三人称一元視点は、大枠さえ守っていれば何でもアリの、自由度の高い書き方ですわね。
人によって主観度が違うこともある……あるいはシーンごとにカメラの距離(主観度)を変えてメリハリをつける、という手もありますわね。


☆要注意 視点の混在
趣味の同人ではほぼルールはありません。けれど、ゆくゆくは公募に応募したいとか、小説オタクにウケたいとかなら、視点の混在はおすすめできません。
公募だとまず「基礎力不足」と弾かれるそうです。

視点の混在の例
・同じ段落や章などのまとまり内で、意図せず視点主が変わる。
 
例:
 もし拒絶されたら――恐怖を感じながらも、AはBに言った。
「ずっと好きだったんだ!」
 その言葉を聞いた瞬間、とても嬉しくて涙が溢れた。
「うん、僕も好きだった」
 喜びの余り、笑顔で抱きついた。一生大事にしようと思った。

この場合、開始時の視点は告白する側のAだけど、「涙が溢れた」のはBね。そして、最後には誰が誰に抱きついたのか分かりません。

こういう場合、読者は「あれ!? 今どっち視点なの!?」と混乱してしまいます。

改善案:カメラの位置(視点主)を固定する

 もし拒絶されたら――恐怖を感じながらも、AはBに言った。
「ずっと好きだったんだ!」
 次の瞬間、Bの目から涙が溢れた。
「うん、僕も好きだった」
 喜びの余り、Aは笑顔でBに抱きついた。一生大事にしようと思った。

カメラの位置をA側で固定しました。
上記の失敗例では、Bの内面にカメラが潜り込んでいたから違和感がありました。Aの側からBの内面は分からない。外側だけを撮影するイメージね。

反対に、B側でカメラを固定するのもOKわね。

改善案:神の視点にする(上級者向け)

 もし拒絶されたら――恐怖を感じながらも、AはBに言った。
「ずっと好きだったんだ!」
 Bは息を呑んだ。とても嬉しくて、涙が溢れた。
「うん、僕も好きだった」
 喜びの余り、Aは笑顔でBに抱きついた。
 俺の大事なB。一生大事にしようと思った。

二人の内面に触れつつ、誰が誰に対してそう思ったか/行動したかを分かりやすくしました。これはどちらの内面にも踏み込む神の視点ね。

ただ……上級者向けです。混乱せず書くのは難しい&ミステリーや恋愛ものでは、「何を考えているか分からない相手に振り回される」のが主要な面白さだからです。
ミステリーの新人賞の選考委員をしている方が「神の視点はまず落とす」と言っていた、というのも読んだことがありますわね。(既に書いている方は落ち込む必要はないのよ、あくまでミステリー畑の一人の意見なので)

……もっとも!ダメという訳ではありません。
既存の文学作品にも素晴らしい神の視点作品はいくつもあるし、自分の書きたいものを書くのがいちばんですからね。
あとは、昨今は漫画やドラマで「複数人の心の声が当たり前に聞こえる」ものが多いので、それに引っ張られている気はしますわね。

一人称と同じで、ビギナーには積極的におすすめしないというだけで、芸風を昇華させれば素晴らしい作品になりますわ。わたくしの大好きな作家お嬢様も、神の視点の使い手よ。


■ビギナーにおすすめな書き方

ビギナーにおすすめなのは、三人称一元視点。つまり「一つのシーンにつきカメラが内面に潜るのは一人」という縛りですわ。
たとえば章ごとにカメラの持ち手が変わるのはOK。でも、同じ段落内でカメラがめまぐるしく移動するのは、読者を混乱させるのでおすすめしない、という主張でした。

また、「主観度をどれだけ入れるか」だけど、視点主の心情はカッコ内にしか書かない縛り(主観度:低)が最初はおすすめね。

カッコ内(あるいはダッシュの後)にしか心の声を書かないならば、ほかの地の文は全部客観的な三人称カメラになる。こうすると、カメラの距離感や視点主がワチャワチャにこんがらがることはないのだわ。

慣れてきたら、少しずつ意識的にバランスを変えてみて、自分の書きやすい方向性を探っていくといいと思うわ。


えっ? A視点でもBの心情を書きたいって?
モノローグがなくても書けますわ!

たとえば料理を食べた瞬間顔をしかめたり、嘔吐いたり、青ざめたりしたらそれは「まずい」ってことだし、○○さんと赤い顔で話した後にガッツポーズをしていたら、それは「○○さんが好き」ってことよね。

映画がおすすめなのだけれど、そうやって「役者の演技で感情を伝える(シャレード)」のはおおいにアリアリアリアナグランデですわ。


視点については客観主観色々言説がありますね。こちら綿密な考察があって面白かったので、気になる方はどうぞ♡(気にしすぎる方にはおすすめしません)

重ね重ねになりますが、ご趣味なら楽しく書けばいいと思うわ。
ただ、「一般的に上手いとされるものを書きたい」「誤解のない文を書きたい」なら、心を砕いて分かりやすい文を書くのはエレガントね。

一人称は一人称で憑依レベルが少ない、フラット寄りな書き方もありますし、だいじなのは厳密なルールじゃなくて楽しく書くことですわね。
ビギナーにおすすめなのは三人称一元視点ですが、一人称も三人称も試してみて、書きやすいラインを探ってくださいね。

たそを(楽しい創作活動を)!

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