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亀の歩み稽古日記~自主練編8/14-8/31~

・ずっと気になってる不自由さがあった。水の動きの中で。そして今日、当たり前のことに気がついた。それは、、このカラダには腰や胸があるんや…!!ということ。

…驚いた…何故なら腰と胸を殆ど使ってなかっ
たから。水は “情動と共に” なんだけど、どうも不自由を感じていた。私の場合、それは腰や胸や関節の多くが眠っていたことが大きいんじゃないか。意識が通ってないということ。対話をスルーしていた。
カラダだったのだ、、!!これ。色んな動きが眠ってる。不自由さの謎のひとつ。

なんて不器用なんだろう。
情動と共に、の情動が、「何処に流れたらええの、、」ともじもじ。生まれたと思ったらすぐに引っ込んでしまっていた。カラダがまだまだ分離している。「全体と一緒に動く」それはいったいどういうことなのか。この対話をしてるんやな。。

動きが先にきてしまっては、動きに振り回されて情動が見えなくなるし。かといって動きを押し込んでしまっては、情動がひとりもじもじする、、。もじもじしてるということは、言わずもがなそれは情動ではない…。
情動は滞りなく流れ柔らかい。情動と共にありたいのだ。動きを押し込んでいたな…。力が入り抵抗していた。ブレーキかけながら動く感じ。その変なところと、ひたすら対話したい。


・全体、ということ。
情動、動き、対話、、全体と共にあり、その中で生まれる踊り。その、全体を問う。全体とは…?
その問い、対話。それらがぜんぶ踊りを深めてくれるんだと思った。絆が生まれる。
この世界との絆。カラダという、パーソナルでありながら、最も深く開かれる場で。私もここに集う。知っていく。


・腰と胸の眠った関節や筋肉たち。そのもの達を一番柔らかく自由に動かすことが出来るのは、情動。ハート。感じるおもいみたいなもの。その意識があれば、全体が変わる。
ハートだハート。


・ほんの少しの時間だけでも自主練を続けていくと、変化があるのがわかる。(何故今までやらなかった~!) 自分の不自由さの原因を見つめていくことと、どうしたら良いかやってみること。自主練でやっている事はそんな感じ。繰返し繰返し。堂々巡りの中でふと変化が訪れる。問うていれば。それだけでも少しずつ変わっていく。その対話自体が何かしらの作用を及ぼしているんだろうな。解決しようがしまいが。

踊りも変わっていくが、日々の精神状態も変わっていく。自分の中に大切な場所が出来ていく、という感じ。不思議な感覚。皆でする稽古とはまたひと味違う。でもその皆でする稽古が、より楽しみになる。そんな感じがしている。

自主練の大切さを想うことは、稽古の大切さを想うことへと直結。改めて、大事に思っててるんやなぁ…と気づく。

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