〜亀の歩み稽古日記〜2023.12.19
エネルギーの動き、その必然性
そこに自然に乗ること
すると、凄いことになる
癖、死角、見ていないこと
なんと多いことか、、
それにより、自分の動きに気づかない
エネルギーがわからない、乗れない、
という現象がおこる
自分でも、実感が得られない
なんか変だ、不自然だ、違和感がある
いつも同じところをぐるぐるしているような、気持ち悪さ、新鮮さがない
閉じ込められている感じがあって、窮屈だし、がっかりもする
エネルギーに乗れないな、、自分でエネルギーを塞き止めてることを感じていた
でもその理由を掴めない
エネルギーを塞き止めてるものって何?
抵抗、癖、無意識、、
あえて、そこにいきたい場合はそれで良いんだろうけども、、
そうじゃなくて、水や空気や重さ軽さ、そういったエネルギーと共にありたい時
そうか、、すなわち、求めていることとやっていることが別々な時、そういう時って何も現れない スカスカな感じがするのだ
エネルギーと共にある、繋がっている感覚は、どういうものかというと、上手く言えないけれど、、実際そうなると、、全っ然違うから、否が応でもわかる。別人。
うわぁーーってなる、、っていうか、
開かれてる世界に身をおいてる感じ
どこまでも広く、柔らかく、豊かで繊細で自由
そして艶めかしい。湧いてくる創造性。
「水を得た魚」の如く
「エネルギーを得た人間」、、はどうなる
この世のものとは思えない心地になって、、、
魅力が溢れ出してしょうがない状態、となる
一瞬にしてそうなる不思議。
また当然ながら、そうならない理由も見つめることになる、、
…私がずっと知りたいと思ってきたこと。
それは、この世界はどうなっているの、私はどうなっているの、なぜこうなってしまうの、どうして何も知らないの、、、何かあるはすだ、、本当のことが、、という漠然とした、果てしなき疑問、謎。
このすべての謎たちを、舞踏に、稽古に投げ込んでいる気がしている。
それはつまり、、この舞踏稽古の師が、そのことに深く向き合い探求してこられたからこそ、私は投げ込むことができるんやんなあ、、と思うに至る。
感謝を忘れては、あきません。
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