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由良部正美さんにとって舞踏とは何か。インタビュー!!

少し前(2年程)になりますが、舞踏について由良部さんにインタビューした内容です。

・由良部さんにとって、舞踏は何ですか?

ーーー 舞踏は、この世の踊りではない。で、この世の踊りではないということはどういう事かというと、魑魅魍魎とか架空のものではなく、まさに私達1人1人のカラダがこの世のものではない。少なくともこの世を超えている、という事。「今、ここ」という事が、この世を超えているという事を表していて、そういうものの現れとして、舞踏はある。

あと、舞踏が日本で生まれた背景について、少し補足しておくと、戦後に生まれたとても精力的で意味深く、個性的な踊りのムーブメント、独特なダンスとして捉えられている。
そういう流れの中で、舞踏という語られ方がある。確かに時代的な流れがあって。それはやっぱり、我々が時代的な裂け目を生きざるを得なかった、ということ。廃墟、全ての価値観が崩れ去り、個人というものの中で、とても不安な寄る辺のない感覚みたいな中で、じゃあ我々の存在の根拠は何なのか、という問いが湧き起こった。(それと同時に外のものがいっぱい入ってきた。西洋的な異端の考え方とか) それまでは(近代以前)、共同体の中でそれなりに安定していた。私というのが共同体であり、もっと大きな意味でいえば、歴史の中での個人、私、という生き方だった。
近代的なものというのは少し違っていて、つまり私というのは、社会の中での一員ではあるけれど、私というものが何をしなければいけないかを、主体的に選択する存在として、社会と対峙するようになった。

そこで、一体私は何なのかという事を、とても大きな不安の中で問うことになり、その中で最も身近なカラダを問うていった。そういった、ひとつの問いとして生まれたのが、舞踏だとたぶん言える。

じゃあ今僕が、舞踏で何をしたいのか、今生きてる人に何を提示できるのかというと、
それは今まで私達というのが、歴史の中に生まれたもの、集団の中に、空間の中に生まれたもの、という世界観がずっとあるけれど、でも実は、カラダっていうものを、よくよくよくよく見つめてくるとですよ、そういう風に空間、あるいは時間の中に、ポンっと生まれたものではない。むしろ、時間も空間も超えたものとして、私達のカラダの本質があるんだ、ということに気付いていくという事の重大さなんです。これは全く世界観の転換な訳です。尚且これは、思想的、宗教的なレベルではなくて、まさに踊るということ、私達のカラダが踊るということの中にあらわすことが舞踏。それは舞台ということ。舞台というのは、ただ表現の場ではなくて、この3次元空間の場を超えて、身体が置かれている場自体が全く違う広がりの中にあるということを現していくこと。全く違う次元が開示される、ということ。つまりそれは、「今ここ」を現していくということ。ここで言う「今ここ」というのは、時間の中で細分化された「今ここ」ではなくて、全ての時間、全ての空間が遍在する「今ここ」。それは次元を超えている。そういう「今ここ」として、カラダが現れるということなんじゃないかな。

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