原爆俳句アンソロジー句集『広島』を読むために(前)
【必読】公開に際しての注意書き
1点目
今回公開する「原爆俳句アンソロジー句集『広島』を読むために」は、2022年11月20日発行の『里』11月号に掲載された総力特集「U-50が読む句集『広島』」に対する批評文です。
もとは、筆者が所属している『小熊座』の2023年2月号(前編)、3月号(後編)に掲載されたものです。「小熊座」HP上での掲載を編集長にお願いしていましたが、いま少し時間がかかりそうなので、編集長に許可を得た上で、「小熊座」HP上で公開する準備が整うまでの期間限定で、筆者が個人で開設していたnoteに転載します。よって、「原爆俳句アンソロジー句集『広島』を読むために」が「小熊座」HPに掲載された時点で、このnoteは非公開となります。
noteへ転載するにあたり、段落ごとに「■」を加えるなど、読みやすさのために内容を変えない範囲で文章に加工を施しています。本稿を引用する際には、『小熊座』誌上に掲載されたものを参考にして頂きたく思います。
2点目
下記に掲載する「原爆俳句アンソロジー句集『広島』を読むために(前)」には、堀田季何氏の随想に言及している部分に、筆者の誤読があります。
この点については、下記に引用する『小熊座』時評で訂正を行っています。
「原爆俳句アンソロジー句集『広島』を読むために」を読む際には、以上の注意点に留意していただきたく思います。何卒よろしくお願いします。
○序
■本稿は、2022年11月20日発行の『里』11月号の総力特集「U-50が読む句集『広島』」に対する批評である。本稿は前後編の前編にあたる。編集長には本稿の掲載をご快諾頂き感謝している。
■本稿は、原爆俳句の研究に従事する筆者が、①より広い読者がこの原爆句集にリーチするための手段を示し、②”原爆”を表現した俳句への読みの蓄積をエッセンスとして紹介しつつ、③なかでも特に読者の「想像力の射程」を広げることを目的に、筆者の実作・研究の蓄積を開陳するものである。
○句集『広島』は”入手困難”か?
■句集『広島』は1955年8月6日、句集広島刊行員会発行の原爆俳句アンソロジーである。初刊本は数年前まで広島市内の古書店の実店舗や通販サイトで取り扱いがあったが、現在はいずれも品切れで、入手困難といえる。
■しかしこれは、現物が入手困難だったということに過ぎない。現物にさまざまな価値があることは言を俟たないが、デッドストックの発見というニュースの強調が、あたかも原爆俳句や原爆俳句アンソロジーを残してきた人々が皆無だったかのような言説の創出につながることには断固抗したい。それは、読む側の責任の免除でもあるからだ。
■句集『広島』へのアクセスは、実は簡単だ。国立国会図書館(以下「NDL」と表記)デジタルコレクションでは「図書館・個人送信資料」になっており、手続きを踏めば全文がネット上で閲覧できる。そして『里』の特集では誰も触れていないが、広島の俳句結社「廻廊」(主宰:八染藍子)が2005年――戦後60年、句集『広島』刊行から50年――を経て復刻版を刊行している。八染による「序」が付け加えられたこと以外、初版から体裁に変更はない。非売品だが、NDLや俳句文学館には初刊とともに所蔵されている。
■そして内容に限っていえば、これよりも前、俳壇が長らく句集『広島』の存在を忘れているうちに刊行された『日本の原爆文学 ⑬詩歌』(1983、ほるぷ出版)や『日本の原爆記録 ⑰原爆歌集・句集 広島編』(1992、日本図書センター)などの原爆文学アンソロジーにも、抄出が収録されている。
■このように句集『広島』へのアクセス方法を整理すると、デッドストック発見のニュースによって、これまで”私たち”が綺麗さっぱり原爆俳句アンソロジーを忘れていた事実も明るみになったのではないか、とも思わされる。
■もう一つ”思い出”すべきことがある。句集『広島』と同年同日に刊行された句集『長崎』(句集長崎刊行委員会編、平和教育研究集会事務局)のことだ。本書も、NDLのデジタルコレクションの図書館・個人送信資料に登録されている。先記の原爆文学アンソロジーにも収録されているし、2021年には『原爆俳句1954‐2020』(長崎原爆忌平和祈念俳句大会実行委員会)が刊行され、句集『広島』とは比較にならないほど稀覯本だった句集『長崎』の全貌が明らかになっている。一読を勧める。
○句集『広島』は誰のものか?
■”私たち”が綺麗さっぱり”原爆俳句アンソロジー”を忘れていたことは、つまり句集『広島』が長らく”私たち”以外の、他者のものであったことを示す。では、句集『広島』は誰のものだったのだろうか。”被爆者”のもの? 本当に? そもそも、『里』の句集『広島』特集は誰を”被爆者”と呼んでいるのか。この点、随想の執筆者はそれぞれに自分がヒロシマとどのように関係する/しないかを開示しているが、”被爆者”の射程を明示するのは特集扉だけだ。扉は「現存被爆者手帳保持者」として「127,755人(2021年3月現在、厚生労働省資料)」を挙げ、「この方々の戦争に、終わりはない」と書く。
■この文章が示す被爆者手当保持者=被爆者という構図と認識は間違っている。被爆者手帳は”被爆者”全員には発行されず、国が示す複数の要件を満たした人のみに発行される。そして、この要件の一つ「黒い雨にあったことを証明する書類の提出」について広島市のホームページ「広島の「黒い雨」に遭われた方へ」で検めると、(https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/69/261039.html)「要件に該当するかどうかは、必要に応じて広島の「黒い雨」に遭った事実に関する書類(中略=筆者)を求め、個別に審査します」とある。
■特集扉に則るなら、審査に通って手帳を貰っていなければ”彼ら”は被爆者ではないのだろうか? そんなわけはない。しかし、苦難のうちにある人の存在を忘れ、被爆者手帳保有者のみを「この方たち」と強調する語りは、原爆の問題に限っても語り落す存在を多く孕む。また、こうした分かりやすいニュースや数値に飛びつくさまは、『里』代表の島田牙城が過去に猛批判した東日本大震災における長谷川櫂の震災詠に関するそぶりに近似しているとも指摘しておこう。島田は長谷川の俳句には「「千万」「幾万」「国」「人々」「人間」と、複数または塊としてしか、生者も死者も出てこない」(https://twitter.com/younohon/status/169657407281176577)と批判している。では、特集扉で島田が数値化して示した”被爆者”に、個人の顔はあるのだろうか。
■さて、被爆の当事者性の問題ではなく、句集『広島』の問題に戻ろう。被爆者以外にも、句集『広島』の書き手がいることは、堀田季何や大塚凱、中山奈々が触れている。であるならば、おおざっぱで情緒的な括りだが、句集『広島』は、集った人々全員のものとして理解するしかない。そして、句集『広島』を読むということは、句集『広島』を自分のものにする行為なのである。このことは、原爆という事象の孕む表現不可能性や想像不可能性と矛盾しない。こうした困難と向き合い続け、相克することで味わう苦しみもまた、原爆の悲惨さ――絶対に想像し、表象し得ないことが現実に発生したこと――の一端なのである。
○1945年と、1955年と、2022年の結節点としての赤城さかえ
■筆者が原爆句集や原爆俳句を読む時、いつも念頭に赤城さかえがいる。赤城については日野百草『評伝 赤城さかえ』(2021、コールサック社)等に詳しいが、略歴を紹介する。
■国文学者・藤村作の次男として生まれ、東京帝国大学に入学した赤城は、在学中に日本共産党に入党し地下活動に入る。しかし、後に当局の弾圧に屈服し転向。1940年には結核を発病し、入所先のサナトリウムで俳句に触れた。1943年には加藤楸邨の『寒雷』に入会。戦後は日本共産党に復党し、新俳句人連盟に加入。1947年にかの有名な評論「草田男の犬」を発表して論争を巻き起こした。水原秋桜子の『馬酔木』に連載された「戦後俳句論争史」は単行本にもなり(1968年に俳句研究社から出版ののち、1990年に青磁社から復刊)、俳壇では論客として知られていよう。現代俳句協会の幹事としても活躍したが、生涯を病魔に蝕まれて過ごし、1967年に58才の若さで没した。
■さて本題だが、赤城は1955年、くしくも『里』の特集の条件「U‐50」に当てはまる47歳の時、『俳句研究』11月号に一本の書評を書いている。句集『広島』と句集『長崎』を対象とし、当事者性や原爆俳句における「季」の扱いを論じた「国民詩としての俳句は人々にこのように呼びかけている」である。当時の原爆句集出版に対する代表的な反応であり、現代で原爆俳句を議論する場合も真っ先に参考にするべきものである。当事者性や季の問題といった『里』の特集でも言及されている論点は、既に赤城が触れている。NDLのデジタルコレクションの図書館・個人送信で閲覧可能である。
■執筆の経緯は、確定はできないが推測はできる。『里』の特集執筆者の一人、堀田季何が随想内で触れているように、句集『広島』にはビキニ環礁での水爆実験を題材にとった句がある(「ビキニ」と明言するものは筆者調べで6句)。これは1954年3月に発生した第五福竜丸の被爆と放射能に汚染されたマグロの発見、そして同年九月の久保山愛吉の死によって、全国の人々が受けた衝撃を反映している。これを端緒として全国で起こったのが原水爆禁止運動である。戦後、地域の引揚者の生活改善などの活動に尽力していた赤城はこうした活動にも積極的に関わった。赤城は句集『広島』に投句こそしていないが、「第一回母親大会へ捧げる」と前書きのある〈平和へ平和へ玉菜はつねに蝶をかかげ〉という一句を残している(『赤城さかえ全集』1988、青磁社)。母親大会とは、ビキニ環礁の水爆実験を背景にした女性たちの反戦反核運動大会である。赤城には他に「原爆乙女三人の宿舎となり」という前書きの〈痕負える語々きよらかに乙女の汗〉(『赤城さかえ全集』)がある。「原爆乙女」とは、被爆によって負ったケロイドを渡米して治療することになった女性たちを指して流通した当時の名称である。赤城は彼女らを自宅に宿泊させて金銭的負担を軽減させ、彼女たちは赤城をはじめとした人々の前で広島のことを語ったに違いない。これらのことから、赤城が当時の俳壇では人一倍、原水爆問題に関心が深かったことは疑いない。
■そして、句集『広島』も原水爆禁止運動と強い結びつきを持つ。1955年8月6日、被爆から10年のこの年この日は、第一回原水爆禁止世界大会の開催日である。句集『長崎』とともに、二つの原爆句集はこの大会に合わせて刊行されたと、当時は自然に受け止められていたと思われる。例えば藤野房彦「原爆句集のありかたについて」(『俳句研究』1954・12)では、「原水爆」という言葉が自然に用いられる。「広島原爆の日」に合わせて刊行されたという認識でとどまっていては、認識としては甘いと言わざるを得ない。
■赤城にとっても、同時代の人々にとっても、核の問題は限りなく自分ごとであった。
■そのため、堀田季何がビキニ環礁での水爆実験を題材にとった句を「ニュース俳句の類」と同列に遇することには異を唱えておきたい。1955年当時、原爆の被害と水爆実験による同時代の人々の被害とは密接に関わっており、これらを単なる想望俳句として切り捨てることには慎重になりたい。例えば句集『広島』の金子兜太〈電線ひらめく夜空久保山の死を刻む〉における久保山愛吉への弔いは間違いなく、”1955年に作られた句集『広島』”を体現した一句である。
■大塚凱の随想も、1955年という歴史的背景を考慮しないことで想像力の射程を狭めているように思われる。大塚は「ヒロシマ忌」という言葉が忘却を免れようとする「集団的な意識による「固定」だったとし、「ノーモアヒロシマズ」という合言葉にも同様の効果を見出している。この点、この句集が一つの運動体として1955年時点の原爆表象を行っていることを示唆する、興味深い指摘であるのは間違いない。しかし、にもかかわらず大塚は「広島の者」たちの表現を重視したため、「広島―県外」という分かりやすい二項対立を導入してしまう。これでは、一つの句集を運動体として示唆する自身の想像力が有効に働かないのではないか。自身の置かれた立場も念頭に置く大塚は「県外から」の「著名俳人」の句作に対し「戦火想望的な傍観者視点」を感じ、これを戒める。しかし、1955年刊行の句集『広島』の「著名俳人」は本当に「戦火想望的な傍観者視点」でこれらの句を書いたのだろうか。というのも、大塚が「著名俳人」の例として取り上げたうちの栗林一石路は、戦前からプロレタリア俳句に没頭した俳人であり、戦中は新興俳句弾圧事件の屈辱を味わい、戦後は初代幹事長として新俳句人連盟に所属している。こうした背景と、当時が原水爆禁止運動の最盛期ということを踏まえれば、栗林の〈紅葉にうたう若きは「原爆許すまじ」〉は、「若き」という主体ではないにしろ、実景だったのではないか。「饒舌さ」についての指摘は栗林の文体も考慮せねばならないため慎重を期して留保するが、少なくとも現代に生きる我々よりは――とはいえ、我々もまた1955年とは違った形で核問題を自分事として考えるべきなのだが――「傍観者視点」でいたとは考えにくいだろう。
■そして大塚が取り上げたもう一句、加藤かけい〈雲暑し民族の一部焼き殺され〉の句は、敢えて二項対立を適応するのならば働いているのは「広島―県外」ではなく、「日本―それ以外」という分断であろう。加藤句の「民族」という言葉は、原爆で死んだのは日本人だけではなく、日本が強制連行した朝鮮人・中国人、留学生やアメリカ人捕虜もいたことを覆い隠す。赤城の原爆句集評の題に使用される「国民詩」という言葉とともに、当時の思想の枠組みと短詩型の関わりが示唆される重要な語彙だともいえる。
■句集『広島』の面白さは、原爆被害を受けたのは「日本」あるいは「日本人」であるという見方を打ち破る存在をも含むことだ。それが、唯一韓国からの投句者の李漢水である。俳号を李桃丘子という。彼の存在、彼の日本語の俳句〈原爆忌迎ふ妻はも国さみし〉は、戦時の日本が何をしたのかを読者に沈思させるきっかけとなるに違いない。
■赤城さかえを通して1955年の光景を立ち上げ、どのように句集『広島』が受け止められたのかを知り、蓄積された議論を知る。そしてさらに読みを蓄積する。こうした姿勢は句集『広島』の読みに欠かせない態度の一つではないか。
(後編に続く)
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