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日本史20 平安京は永遠に未完成である

愛想笑いが得意っていう、ちょっと悲しい特技を持ってる人います?

私がそうです。
社会性のある動物である人間には、愛想笑いって必要だと思うんですよ。

でもね、
愛想笑いするのって、人間だけじゃないんですよ。

チンパンジーも愛想笑いするんですよ。
しかも、自分より強い相手に。
人間やん。
それもう人間やん。

「はぁ~疲れる」

光仁天皇の次の天皇は、桓武天皇なんですけど、桓武天皇は平城京が気に食わず、平城京に代わる新たな都の建設を始めます。
平城京って、豪族や仏教の勢力が強かったから、政治に「横やり」が入りやすかったんですね。
道鏡とか鬱陶しかったんでしょうね。
天皇のリーダーシップを発揮しにくかったんです。

というわけで、桓武天皇は新しい都を作ろうとしたんですが、これがなかなかすんなりといきませんでした。

桓武天皇はまず長岡京っていう、京都の南西ぐらいに都を移したんですけど、長岡京は淀川の水運の便が良い一方で、水害に襲われることが多かったんですね。
しかも、造営長官の藤原種継が暗殺されちゃって、造営途中で放棄されて、結果的に、淀川の上流にある平安京に都が移されました。

ここからいわゆる「平安時代」が始まるんですね。

桓武天皇がやったことで、もう1つ重要なのが、蝦夷の征服です。
朝廷に従わない東北の勢力である蝦夷は、族長の阿弖流為のもとで、めっちゃ力つけていってたんですよ。
阿弖流為って読めます?
阿弖流為



あてるい!です。

桓武天皇は、この東北の蝦夷も、そのトップの阿弖流為も、めっちゃ鬱陶し
かったんですね。
自分の言うこと聞かないから。

そこで、坂上田村麻呂っていう部下に、蝦夷をぶっ倒してこい!って命令するんですね。
この坂上田村麻呂の役割を、「蝦夷」を征服する「将軍」という意味で、征夷大将軍っていうんですけど、この征夷大将軍って、後々は、蝦夷を倒すっていう本来の意味では使われなくなって来ます。

結果的に、阿弖流為は桓武天皇の支配下に入って、朝廷の支配は岩手県の北部まで拡大しました。

この「都づくり」と「蝦夷征服」は桓武天皇の二大事業だったんですが、この2つの事業には莫大な費用と民衆への負担がかかったんです。

都づくりの労働力や兵役にヒューマンリソースを割いた結果、耕作に手が回らず、肝心の税収は安定しなかったんです。

桓武天皇はできる限り民衆が耕作に専念できるように、なんと二大事業の中止を決定します。
もう平安京に都移すって決めてたんだよ?
もう岩手県まで征服してたんだよ?

でも中止を決定します。

「税金とれないので、事業やめます」


その結果、平安京は「未完成」の都となってしまったのです。
ディズ〇ーランドと一緒ですね。
「ディ〇ニーランドは永遠に未完成である」みたいな。

(´_ゝ`)

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