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能登ボランティア活動レポート②(5/2〜5/6)

2024年5月2日〜6日、石川県能登地方にて災害ボランティア活動を行った。
能登半島地震の発生後、二度目。以前行った時は2月で、まだ雪もちらつく真冬だった。約3ヶ月ぶりの能登。

本当はもっと早く来たかった。けれど石川県出身とはいえ現在は兵庫県在住の身で、新しい仕事を始めたばかりで有給もまだない。遠方から月に何度も足を運んでいたり、長期滞在を選ぶボランティアの方に比べれば、自分のスパンは物足りないと感じる。いっそ仕事を休職して飛び込んじゃえばいいのに、と思う時もあるが、最近始めた対人援助の仕事はあまりにも面白くて、それを止めることはどうしても選べない。罪悪感と焦りを、深呼吸で押し留め、大丈夫、ゆっくり息長く関わればいいんだよと言い聞かせてきた3ヶ月だった。

そうこうしているうちに3月16日、北陸新幹線は敦賀まで開通し、大阪から向かう時は乗り換えを挟まなければならなくなった。

この記事では、能登でボランティアをした5日間についてレポートします。能登に思いを寄せている人、能登に行きたいけれどどうしたらいいかわからない人の参考になればいいなと思います。

今回のスケジュール

5月1日(水)仕事終わりに大阪駅で19時代発のサンダーバードに乗り込み石川県へ→実家泊
5月2日(木)金沢駅でレンタカーを借り能登に移動→珠洲市の街を歩く→輪島市「のと復耕ラボ」泊(〜5日まで)
5月3日(金)輪島市「のと復耕ラボ」の紹介によるボランティア活動
5月4日(土)珠洲市「ボランティアキャンプすず」によるボランティア活動
5月5日(日)珠洲市の父の実家の片付け
5月6日(月)珠洲市の父の実家の片付け→午後移動→金沢駅18時台発の列車で大阪駅に帰る

こんな感じだった。

石川県が募集しているボランティア活動には参加しなかった。
今回お世話になった「のと復耕ラボ」「ボランティアキャンプすず」の2団体はどちらも行政から独立した民間団体だ。それぞれ地域の団体や社会福祉協議会などと連携しつつ、地元住民と独自のつながりももちつつ、地域のニーズをすくいあげ、柔軟にボランティアの斡旋を行っている。
2月に来た時も多くの民間団体が活動している様子が見えたが、被災者の中でも自分の家屋の片付けまで手が回っている人は決して多くない印象があった。しかし今回は、少しずつ修繕や解体の目処も経つ中で、個別のニーズに対応しサポートする民間団体の存在感は以前にもまして大きくなっているように感じた。もちろんその過程には、地域の人との信頼関係を作り上げてきた3ヶ月があったのだと思う。

声を大にして言いたい。「石川県が募集するボランティアじゃないと役に立てない」なんてことは決してない。上記のようにちゃんと地域に根ざして活動している団体に敬意を払いつつ、乗っからせてもらっていいと思う。

5/2:珠洲視察〜輪島市「のと復耕ラボ」へ

今回はパートナーと関西に住む私の友人2人の合計4人での活動となった。
「能登にボランティアいかない?」の軽い一言でフル装備揃えて早朝の金沢駅に降り立ってくれた3人と合流した時、胸がいっぱいになったと同時に、一瞬、とんでもないことをしてしまったと思った。
①にも書いた通り、私は石川県出身で、父が生まれ育った珠洲市にはここ3〜4年の間に亡くなった祖父母の家がある。空き家になっていたその家は、今回の震災で全壊判定を受けた。今回は、そんな祖父母の家の片付けを兼ねたボランティア活動だった。
しかし当然、彼ら三人は私の祖父母に会ったことすらないのだ。そんな三人を呼び寄せて、心理的な負担がないはずがない被災地に連れて行き、自分の親族の家屋の片付けを手伝わせるーー。ほんとに、そんなことしていいの?このメンバーならきっとなにかしら充実した活動になるという確信があっての行動とはいえ、自分で自分の大胆さに早速不安になった。

当事者の顔をしたくなる

金沢駅でレンタカーを借り、さっそく能登地方を目指す。
連休で道が混んでいるかと思ったが、逆に心配になるほど車は少ない。むしろ祝日は工事の車両が減るので、対向車の心配もなくかなりスムーズに進むことができた。メンバーのうち1人は日本海を見るのが初めてとのことで、驚きの声をあげていた。

途中、「道の駅 のと千里浜」に立ち寄る。

砂浜を車で走れるという「千里浜なぎさドライブウェイ」のほど近くにあり、金沢から「のと里山海道」を走らせた早々の休憩地点として使いやすい。地元食材を使った料理もいただけるので昼食を取る。

地元の魚を使った海鮮丼

昼食後、千里浜の砂を使った石像の前ではしゃいでいると、すぐそばの足湯に入りにきた母娘が通りがかった。モンベルのジャケットやパーカーを着た、いかにもボランティアです!といった服装をした私たちに母親が「湯加減はどうでしょうね〜」と声をかけてくれた。
こんなふうに地域の人から話しかけられることは2月にはなかったので、びっくりしつつ、話す。
その方は内灘町に住んでいて、穴水市の実家の片付けに行くという。金沢市に隣接する内灘町は、報道はされていないものの液状化で被害が凄まじい。自分の住んでいる街の被害もひどい中で、さらに北にある穴水市の実家は家財がめちゃくちゃ。整理のために毎週末実家に通っているのだという。
大変ですね、というと、その人は「そうねえ、ボランティアに頼んでもいいげんけど、ボランティアに頼むと急に物捨てられるかもしれんし…」とふとこぼした。

反射的に、その懸念、わかります!と思った。私が現地の人だとしても、ボランティアの人には頼まないかもしれない。ボランティアなのに何を言っているのかという感じだが。いや、現に頼んでいないのだ。実際に父は週末に母や、信頼のおける職場の元同僚一人を連れて何度も家財整理に珠洲に通っている。私は父に「もっと私に頼っていいのに」とは思ったとしても「ボランティアに頼めばいいのに」とは不思議と思わなかったのだ。
実際は家財整理ボランティアの心得として、「家主に聞かずに物を捨てたり移動したりしてはならない」というものがあると聞く。だからその方が心配するような、物を勝手に捨てられる事態を防ぐ手立てはある。
でも、名も知らぬ人たちが、家の中に入りこんできて動きまわって家財を動かされ、またどこかへ帰っていく、そんな非日常への抵抗感はあって当然だと思う。

私は気付けば、「兵庫県からボランティアをしにきたんですが、私は石川県出身で、祖父母が珠洲の出身なんです、だから今回はその家を片付けにいくのも兼ねていて」と口にしていた。
相手は、少し顔を緩ませて、ああ、珠洲はもっと大変ですよね、といった。すかさず、「だから、今後も珠洲に通うので、何か手伝えることがあったら…」と口にすると、その人は薄く笑って会釈した。連絡先は聞かずに別れた。

どうしてあの時、自分は石川県出身であると、珠洲市にルーツがあると言いたくなったのだろう。多分、私は”ヨソモノじゃないんですよ”と言いたくなったのだと思う。地元にルーツのある人間なんですよ。だから信頼して欲しい、という下心のような何か。しかしこの12年ほどはその大半を県外で過ごして地元の方言すら薄れつつある、何より被災しておらず関西で悠々と暮らしている身である。絶対的に”同じ”ではないのに。ていうか信頼にウチもソトもないのに。外部からきた人がいかに震災のその後を支えているかを前回の旅で実感したのに…。

今回の活動では、”珠洲にルーツがある”という当事者性を表明することの誘惑に抗えない自分を実感した。

ボランティアに依頼することを決めた方、そのことに強い抵抗がない方もいれば、当然そうでない人もいる。抵抗のある人の多くが、ボランティアに依頼するという選択肢のないままに、自分の力でなんとかせざるを得なくなっているのではないかと想像する。
珠洲市の街で知り合った人と話す時、「なにか手伝います」という明らかによそものの顔をした私たちに、一瞬、その人は戸惑いの目を向ける。当然だと思う。焦った私は亡き祖父母が珠洲市の人であることを話す。祖父は地域の有名人なので、相手はふっと安心した顔をする。
本当はその街に住んで、時々顔を合わせて、ゆっくりと互いを知り合う中でしなければならないことを、自分はショートカットしようとしているのかもしれない。もちろん、祖父母が誰だろうが、私(たち)自身への信頼はその時点ではないに等しいだろう。しかし、自分の身内を明らかにすることで、入り口を少しだけ開けてもらえた感覚があった。
これに頼りすぎていてはダメだ、そう思うんだけど、それでも、今私が珠洲に通っている動機の核には、祖父母の存在と、自分のルーツとしての痛みがあるのは事実なのだ。ずるいきもするけど、一番正直な気もする。整理がつかない思いを抱く。

珠洲の街は、2月以来ほとんど、変わった印象はなかった。それでも、以前は休業中だったスーパーが再開していたり、全壊した本屋さんが近くのガレージに本棚をDIYして書店として再開していたり、道の真ん中で話し合う地元民の方々の姿を見かけたり、以前よりも、生活が動き始めているような空気を感じた。
2月家屋で塞がれていた道は、瓦礫がどかされ、少しだけ走りやすくなっていた。

珠洲市の飲食店情報をまとめたこんなサイトも。

珠洲市の飯田港

珠洲の街を離れ、車を1時間ほど南に走らせて輪島市に向かう。宿泊場所である災害ボランティアの拠点「のと復耕ラボ」に到着。5日までお世話になった。

輪島市の三井という「のと里山空港」からも程近い里山のど真ん中エリアに、もともと古民家レストランだった現地の建物で「ボランティアBASE三井」を運営している。各地から集ったスタッフや、地元の被災者の方が中心になって、「能登の里山らしい復興」を掲げてボランティアの滞在受け入れや、地域でのボランティア活動斡旋を行っている。

外観、茅葺の素敵なお家

GWに合わせて全国から多くのボランティアが集まっているということで、私たちが到着した時も、宿泊の手続きにきた人たちで混雑していた。
現地スタッフの方は同世代の若い人々で、古民家の真ん中にある囲炉裏で一緒にご飯を囲み話し合えたのは得難い時間だった。

珠州で買った油揚げの味噌汁、絶品

古民家の中に2人用のテントを張り、2人ずつに分かれて滞在。個室も確保でき、風呂もあり、非常に快適だった。5月上旬とはいえ夜はしっかりと寒い。冬用の寝袋を持ち込めばなんてこともない(寝袋レンタルもあり)。
夜はまばゆいほどの星空!疲れはててぐっすり寝た。

5/3:輪島市で地域の炊き出しボランティア

「のと復耕ラボ」の紹介で、4人のうち2人は地域の避難所になっている地域の学校の炊き出しへ、うち2人は輪島の名所、「千枚田」の整備に行った。これ以上ないくらいの青空の下での草刈りは最高に気持ちよかったと聞く。

千枚田。お天気!

私は学校の炊き出しに。その学校では未だ100人以上が二つの体育館に分かれて避難生活を行っている。もともとは自衛隊の炊き出しが行われていたが、それが終了し、弁当に切り替わったものの、やはり脂量も多く、味も満足いくものでなかったという。そこで地元の有志の料理人たちが、自身も被災した状況にいながら、チームを組んで、昼・夜の炊き出しを自主的に行なっているのだという。

そんな説明を運営の方から聞き、すごいですね、と言いたくなった私を察してか、その言葉をあらかじめ打ち消すように、「でも僕らがこういうこと(炊き出し)をすることで避難所ごとの”格差”を生んでしまっていると思う時もある」と語られていたのが印象的だった。

そもそも、地元の人が身を削らなくても、どの地域に住む人も、区別なく、最低限の生活の質が保障されて欲しい。揚げ物だらけの弁当を毎日食べるなんて、誰だってしんどいと思う。本当は全体の底上げと改善が必要だと身に染みながらも、まず目の前の人たちの生活をどうにか守るために動くしかない。そんな葛藤を地域の被災者に押し付けていていいはずがないと思った。

今回の活動で度々耳にしたのは「自立」という言葉だった。避難所生活に慣れすぎてはいけない、本人が「自立」できる、そのためのサポートを…ということだ。
わかる部分もあるが、いやいや、とも思う。声高な「自立」の声が、「我慢」や「自己責任」や「自己犠牲」や「孤立」を導くものにならないためにはどうすればいいのか、私にはわからない。私は仕事でDV被害者の支援に関わっているが、暴力や喪失などの大きな傷を負った人が1人で生活を営める道は数ヶ月なんかで至れるものではない。まずは安心して、ゆっくり生活を立て直すことが第一で、その道のりは遅々とした丁寧なものであっていいと思うのだけど…。

炊き出しは、のんびりしていて、時には笑いもこぼれ、穏やかな時間だった。でもその中で、今やっていることはとてつもない逡巡と葛藤の中でなされているのではないかと、ふと感じることもあった。

昼食の豚汁

夜は「輪島KABULET(カブーレ)」という施設の中にある源泉掛け流し温泉へ。2月は一切お風呂に入れなかったが今回はなんと温泉に…!泣

輪島市の中心部にある、温泉、交流施設、レストラン、高齢者デイサービスが一体になった施設。障がい者福祉の事業を行う企業が母体になっていることもあり、カブーレ自体が障がいを持つ人の就労の場にもなっている。多様な属性の人が集える「ごちゃまぜで街づくり」を掲げる全国でも先進的な取り組みを行っている…なんだかとてもすごい施設である。

お風呂は熱々で体に染み渡る。地域の人でわいわい賑わうカブーレを見るだけでも意味があると思う。

5/4:珠洲市にてティーパーティー用のお団子づくり

こう書くとなにをのんびり?と思われるかもしれないけど、本当にいろんなボランティアがあるということですね。
そしてその間に優劣もないと思う。倒壊した街を見たあと、その立て直しに直接関わる作業をできていないと、つい焦りや「これでいいのか」と情けなさを感じてしまうこともある。でも、今自分のところに様々な偶然から行き着いたある”役目”があるとして、それを真っ当するとで、それをするかもしれなかった他の誰かが、また別のその人がやるべき”役目”ことに集中できているかもしれない。そだから無意味なことなんて何もないのだと、だんだん思うようになった。

ということで様々な偶然から珠洲市のある地域で行われる予定のティーパーティーで振る舞うお団子を作ることになった。ティーパーティーの場所は、ある地域住民の方の民家の裏山。そこはその人が丹精込めて育てた能登名産「キリシマツツジ」が広がったちょっとした庭園になっていて、そこでコーヒーとお茶、そして団子を振る舞い、地域の人はもちろん、日々頑張るボランティアの人がくつろげるティーパーティーをしたい、という趣旨からの企画だった。
「毎日ボランティアの人も大変なことばっかりじゃなくて楽しいこともやって欲しいしねえ」と、企画の一部に関わったのであろう地域の人がおっしゃっていて、ボランティアの身としてはいやいやそんなそんな…!とつい恐縮してしまうが、実際、せっかくきたのなら能登を楽しんで欲しい、と強く思うのもよくわかる。

キリシマツツジ

4人で必死になってああだこうだいいながら団子をつくる。ちょっと固くなってしまったが、一応完成…!
今回私たちの団子作りをサポートしてくれた方が能登でとれた胡桃を使ってタレを作ってくれて、それが驚くほど美味しかった。

胡桃の団子

天気はすこぶる良く、パーティーには、地域に人がぽつぽつと集い、和やかな時間になっていた。

5/5〜5/6:祖父母の家の片付け

いよいよ珠洲市の祖父母の家の片付けに。
2月にはものが溢れ倒れていた祖父母の家だったが、この3ヶ月の間に父が大量の家具を、地域の被災ゴミ収集場所に運び続けていたおかげで、家の中は見違えるようにがらんとしていた。

災害ゴミの収集場
思い出の応接椅子

と思ったが、後回しにしていた押入れの物を出し始めると、「ようこんなに取っといたなあ」と父がなん度も連呼するほど、家の中はたちまち大量のもので溢れてしまった。
数十年前、まだ父が子供の時に家を改築した時に外した障子、父の姉が結婚したときのご祝儀袋、祖母が営んでいた骨董屋さんのノベルティのマッチ、大量の箸、なんでも自分で直していた祖母の大量の工具(チェーンソーまであったという)、土井たか子とのツーショット(なぜかこれだけ額装してある)…。

メンバーの4人に父を交えながら、こんなものがあったあんなものがあったと報告して、いちいちツッコミをしつつ、笑いながら分別する。
それが、なんだかとても救われた。
その救われるような気持ちは、父と私だけの作業ではきっと得られないものだったんじゃないかと思う。祖父母が愛した家具や物を捨てるのは痛ましく、祖父母がせっかく取っておいたのに申し訳ないという気持ちに駆られる作業である。
でも、祖父母のことを知らない3人が、今、まるで立会人のように、祖父母が生きた痕跡である大量の品々や、詰め込まれた家具を、見ている、触っている、動かしている。その一つ一つに触れ、時には過剰さを笑ってくれる。3人にしたら突拍子もないかもしれないが、「今3人は祖父母に出会ってくれている」と思った。
そこには、祖父母と私と父の”家”という閉塞感が破られて、広がっていくような開放感があった。祖父母なき今も、祖父母を知っている人が増えたような、心強さ。2人が生きた証拠が拡散するような感覚。
家族のことを、家族以外の”そとのひと”がいる場所ですることが、こんなにも後悔の念をぬぐうものになるとは思わなかった。それは、私が祖父母の家と別れるために絶対に必要な儀式だった。

見届けるだけでもいい

作業がひと段落して一服していると、近所の人が家から出てきて、私たちの方に近づき「ごくろうさんです」と、深々と頭を下げた。地域に人が決まって私たちに聞くのは「どこからおいでで?」という質問だ。関西ですーと言うととまたな何度も頭を下げるので、いえいえ私の祖父母の家なんですよと言う。そうですか、と一瞬ふっと笑うが、まだごくろうさんと繰り返す。1人が、「初めて珠洲に来たんですけどすごくいいところですね」というと、その人は、急にしゃきっと胸を張って「ああそう思ってくれたのならほんとうになによりです」と言った。

春が来てから、「もう来てもいいよ能登」という言葉をよく見かける。もう道も通れるから。ボランティア大歓迎だから。なんならボランティアじゃなくてもいいから、ただ、能登を見に来て欲しい、という言葉を見かける。
その近隣のおばあさんの姿を見て、その気持ちが少しわかった。それは、この地域に起きたこと、起きていること、そしてそれをどうにかしようとしている地域のひとを見届けてほしいということだと思う。
これまであったものをなくす、壊す、動かす作業、そんな、かつてを知るからこそ躊躇われ痛みを伴ってしまう作業は、そのかつてを知らない人がいる方が、かえって踏み出せるのかもしれない。それは、単にその人が「知らない」からではなく、わずかに残るかつての痕跡を、決してそれを知る私たちだけで占有しないでいられる、誰かが覚えていてくれるかもしれないということへの心強さだと思う。

そういうわけで!「もう来ていいよ能登」なのです。
なんでもいいから、お金と余裕がある人は、ちょっと休みを工面して、来て欲しい。どの民間団体も「人が足りない」「やることはいっぱいある」と言っています。民間団体にどんどん申し込んでいいし、申し込まなくても行ったら何か見つかるし、見つからなくてもいい。なんなら私にDMしてください、いい方法をアテンドしますから!

しっかり疲れ切った3人は「来て良かった」と言って帰っていった。珠洲はいいところだね、といいながら。かつてを知る私は「いやー!珠洲はこんなもんじゃないのよー!」と悔しくなる。
でも、大胆なことをして、本当に良かった。

⭐︎「なみなみ団」にご寄付を!⭐︎
これからも継続的に能登地方の災害支援活動を続けるために、ぜひご寄付をお願いいたします。現地でのガソリン代や活動費に利用します。非石川県在住だからこそできる支援や、ジェンダーの視点を伴った活動も行う予定です。
●ゆうちょ銀行
店番:408  
普通 口座番号:6395539
カシダナミキ
※ご寄付いただいた方はぜひメールにて一言いただければ幸いです。idanamiki@gmail.com

⭐︎能登に行きたい人向けの情報⭐️

・能登とととプロジェクト「能登においでよ!ボランティア向け宿泊場所&交通費助成情報まとめ(instagram)」
https://www.instagram.com/p/C68qK6BJtn1/

・「やさしや足湯隊」(被災地NGO恊働センター、CODE 海外災害援助市民センター)によるボランティア活動 (*基本的に学生対象?)https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdS5yqoRdDRDXfB_oXbQrkILw38lpmKQNviExr8ZZ6CBoUEPw/viewform

のと里山空港:実は羽田→のとは飛行機で60分!空港のレンタカーも再開したようなのでめっちゃアクセスよし

のと復耕ラボ・ボランティア応募&滞在希望フォームhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeH-BpvprXJAz0lSTdLM8yynJF6DdawtPkdik28INC_Xq-IVQ/viewform


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